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怪談『大手チェーン』

「だいぶ酔ってたんでどの店に入ったかわかってなくて」

書籍編集者の根本さんは言う。

「夜中の三時頃とかでした。店も、三軒目で」

根本さんたちは、担当の作家と打ち合わせの後に飲みに行き、作家は帰ったのだが、同僚と合流し、はしご酒をしていた。

「かなり酔ってたんで、なんの店入ったかはわかってなかったんですけど、いつの間にかテーブルで寝てしまって」

尿意で目が覚め、フラフラの足で居酒屋のトイレへ向かった。

「男性便器の上の壁、自分の目の前にその居酒屋チェーン店のでっかいポスターが貼ってあったんです」

根本さんは用を足しながらも、飲み過ぎていたために量が多く、なかなか終わらないので、暇を感じ始めたという。

「おしっこしながら、目の前のポスターをぼーっと見てたんです」

そのポスターは、その居酒屋のチェーン店のフランチャイズやバイト、社員を募集するといった内容のポスターで、そこには居酒屋の制服を着た何人かの男女が、こちらへ手を差し伸ばしながら満面の笑顔で写っていた。

「全部で八人いました」

その八人は各店舗の店長であることがキャプションでわかった。

「でも、なんかポスターに違和感があって。なんだ? と思いながらもずっと見てたんです」

用を足しながら根本さんは違和感の正体を探ろうとする。

「あっ、そうか、と気付きました」

ポスターには、八人しか写ってないのに、こちらへ差し伸ばされている手の数が、十七本あった。

「一本多いんです。何度数えても、前列の人と後列の人の間から伸びてる一本の手が、余分で」

そこでようやく用が終わり、根本さんは首を傾げながら席に戻った。

「酔ってるから、数え間違いしたのかもしれない、とか考えてて、そこで初めて、今自分のいる居酒屋が何処か認識できたんです」

そこは、ネットやニュースなどで数年前から話題になっていた居酒屋だった。

「あ、あそこに来てたんだ、ってわかって」

その会社は、社員に過酷な労働を課すことで話題になり、何人もの社員が超過勤務の末に死亡してしまい、遺族たちに訴えられている所だった。

「それがわかった途端、ぞっ、として。でも、見間違いかもしれないし、次にトイレに行く人がいたら、確認してきてもらおうと思って」

同僚がトイレに行く際に、先程根本さんが自分がトイレで見たものを伝え、確認してきてもらうように言ったという。

「で、そいつがすぐ戻ってきたんですけど」

つい先程まで上機嫌で飲んでいた同僚は、今にも吐きそうな沈鬱とした表情で戻ってきたという。

「やっぱり、腕多かったよな? て訊くと、そいつは真っ青な顔でブンブン顔を横に振って」

今すぐ店出よう、と言うなり荷物をまとめ始めたのだ。

「は? なんだそれ、と思いながらも会計済ませて店を出て」

まだ始発が走るまで随分と時間があるのに、路上に出させられたことに不満を述べていると、

「そいつ、トイレに向かう途中、厨房の横通ってた時に」

厨房の中から従業員の声がしたらしい。

「『ありがてえありがてえ』て嬉しそうな声が聞こえたから、気になって覗いてみたらしいんです」

厨房と廊下を繋ぐ暖簾の奥に、何人もの従業員の姿が見えた。

「空いたテーブルから丁度皿を引き下げてきた店員の元に皆んなが集まっていて、客の残飯を手づかみで食べながら、『ありがてえ』とか『本当に美味しいです』とか言いながら食べてたらしくって」

その光景を目撃して、慌てて引き返してきたらしい。

「じゃあお前、トイレに行ってないのかよ、て言ったんですけど」

同僚は、青ざめた顔で、

「行ってないし確認してないけど、信じる」

と言った。

それから根本さんと同僚は、その居酒屋チェーン店には足を運んでいない。

「よかったら今度行ってポスター確認してきてくださいよ」

ごめんだ。

※登場する人物名は、全て仮名です。

#怪談 #短編小説

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