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肱川鵜伝 大洲のうかい

大洲のうかいは、国内開催と唯一の「合わせうかい」
 開始されたのは1957年頃のことだで歴史は短いものの、この「合わせうかい」を目指して乗合船を申し込む方々は多かった。
 全国に鵜飼い開催地というのは12ヶ所あると私の現職時代にはそう理解していた。現在はどうなのか。2年に一度は「鵜飼いサミット」も開催されていたし、実際に大洲でも開催された。私も3回の大会のお世話をさせて頂いた。現状がどうなっているのかは分からないが、2016年の資料による開催地は以下の通りだ。

開催地
笛吹川(笛吹市)、木曽川(愛知県犬山市・岐阜県各務原市)、長良川(岐阜市)、小瀬(関市)、宇治川(宇治市)、嵐山(京都市)、有田川(有田市)、江の川(三次市)、錦帯橋(岩国市)、三隈川(日田市)、筑後川(朝倉市・うきは市)、肱川(大洲市)/※有田川は休止中
ウミウ捕獲地:茨城県日立市

大洲のうかいは「合わせ」うかい
鵜匠の技が光る肱川うかい
ここでの鵜飼いは「名場面」である。
「合わせうかい」をコントロールするのは「鵜匠専属船頭」
画になる夕闇の帳が降りる頃
主役登場

鵜飼いは、古く700年頃に中国から伝わったと聞く。
 開催地の中でもっとも古い歴史があるのは、聞いた話を元に史料等を探して確認していくと「有田川」の「1300年の歴史」に辿り着いた。かつての「都」などがあったとされることから、中国からの交流が元で伝わったと考えればこれも理解できる話だ。そう考えるととても浪漫があるのだ。

 何度も書いているが、私は現職時代は「地域情報が伝わる写真」を撮影してきた。芸術性を求めたり表現するのがメインではなく、肱川流域のこの城下町の素晴らしい自然と伝統文化や日常を撮影して「情報素材」として活用していくことが仕事であった。中でもこの鵜飼いの撮影は難しかった。

 退任する2018年はご存じの通り大水害に見舞われて7月4日から8月10日まで休止に追い込まれたが、それでもこの年は最終年度であるし写真の置き土産になればと思い、5000回以上シャッターを切っている。その中から素材として使える写真は約1%程度になる。暗闇の中での「合わせうかい」は全てが動いている状態。この状況を照明などは使わずにシャッタースピードも 1/25秒前後での撮影になるので至難を極める。

 ここで数点の写真をご紹介するが、2002年頃から関わり実際に鵜飼いの撮影を始めてから実に15年くらいの経験を積んだことで写真が画になり始めた。「伝わる写真」を撮影するのは容易ではない。それだけにその写真の価値は高い。それが伝統文化としての価値でもあると思う。

街づくり写真家 河野達郎
















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