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Be guided.

note50回の、節目に捧ぐ。

昨年の4月、ちょうど1年前の今頃、私は自身のnoteアカウント作成に向けて、てちてちとノートPCに文字を打ち込んでいた。
4月末・金曜日のスタートのために、ひとまず3回分のストックを作ろうという作業だった。

やろうと思うことや狙いを周囲に話したときに、それはヨガインストラクターとしてのナラティブマーケティングにも成りうるし、勿論ストーリーマーケティングでもあり有効ではないかと評価されたが、発端はもっと単純だったように思う。

ただ文章を書いてみよう。
そして、それは何だか、すごくよいことなのではないだろうか、と。

「よいこと」というのが自分にとってなのか、
読んでくださる人にとってなのか、については
当時もわからなかったし、今もわからない。


毎週金曜、AM更新。

職場のお昼休みにでも、サクッと読んでもらえるように。
毎日更新をする人もいれば、2-3日に1度投稿する人もいる中で、投稿頻度が高いとは言えないだろう。でも私にとっては、リズムを保つことが何より大切なことだった。
1度でも落とせばもう書かなくなるのではないだろうか、という内なる恐怖心の影響もあった。読む人がいなくても、自分との約束事を守る、ということを遂行したいと強く思っていた。

ヨガレッスンのこと、
アニメや漫画、日々の些末な葛藤…
テーマも設けず、役に立つことを書こうなどとは一切思わなかったので、書き始めてさえしまえば、何とか書き終えられた。
それでも、自分の中で消化しきれなかったことや公開すべきでないと思ったことは書かないと決めていたし、公開前日(木曜日)の夜に至っても何も書けていないということも何度もある。

どんなにくだらなくても、短くても、
意味が無くても、何かを書く。
それはいつしか、私の精神的な筋力トレーニングでありストレッチにもなっていた。


やめるのか、続けるのか。

初めて1年、50回目の金曜日、
想定よりも続けられたなあ、と振り返る。
内容については「言うてももう少し役に立ちそうなこと書けたんではないか」というのが正直な感想だ。

毎週やってくる締め切りを負担に思わないわけでは無いし、疲れているときなどは「こんな非生産的なこと、やって何になるのか」と思うこともある。
知人に「私にはそんなものを書いている暇は無いから…」と嘲笑されたことも忘れてはいない。(根に持つタイプ。)
「負担なら、そろそろ隔週に切り替えてもいいのでは?」とのアドバイスもあり、やり方・頻度の変更については、ここ1・2ヵ月ずっと考えていた。

始めるときはいつも、その後の展開は考えない。
恐ろしいなら逃げてもいいし、
嫌になったら、やめたらいい。
いつでも。


Be guided.

物事について決断をするとき、「導かれる」という感覚に従うことにしている。この感覚は、心身の状態が比較的静かで整っているときしか訪れない。

音を消し、薄暗くて、モノの少ない空間で、どうすべきなのかじっと耳をすます。
自分と外界を隔てる「膜」を、可能な限り薄くする。
はっきりとではなくとも、「なんとなくこっち」が示されるのを待つ。

そう考えていたとき、飲んだヨギティーのメッセージがあまりにその感覚を的確にあらわしていたので、私の拙い和訳を添えたい。

Be guided.
Listen to the whispers of the universe.
( 導かれて。大いなるものの囁きに、耳をすまそう。)

from the Tag of Yogi Tea



3月はあまりに慌ただしく、メッセージを正しく受信できたのかは不明だが、ひとまず結論は出た。
このnoteを辞めることにも、隔週更新にすることにも、首肯できない。

非効率・非生産的、大いに結構。
今までどおり、続けて行こう。

せっかくの機会なので、もしこのnoteを定期的に読んで、フォローしないこと・「スキ」を押さないこと・コメントしないことを心苦しく思っている方がいらしたら、どうか気兼ねなくアクションを起こしてくださいとお願いしたい。(土下座)
貴方のその一撃は、貴方自身が思うより、励みになります。


最後に、

ヨガレッスンを通じてnoteを読みはじめた方、
インスタグラム・HP経由でこのnoteを訪れた方、
noteというプラットホーム上で私を見つけてくれた方、
そして、会ったこともないバナナハウスの君へ。


少しでも何かを受け取っていただけているのなら、
私はたぶん、貴方のためにこそ書いている。



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