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継続は、力なりというけれど。

 エッセイチャレンジ、二日目。
まだここまでは序の口である。問題は明日、三日目。
私程三日坊主という言葉が似合う人間もなかなかいないだろう。
とりあえず、一週間で三記事書けたらよく頑張ったと褒めてあげようと思っている。

 それじゃあ、と、何を書くか。勢いでiPadを開くが今日一日面白い場面に遭遇することもなく、昼過ぎまで2度寝をかまして黙々と仕事をこなすだけのなんとも普通な一日を過ごしているので、読んでる本のことでも書いてみようか。

 エッセイが描きたくて、圧倒的に読む本数が少ないと昨日本屋で「こぽこぽ、珈琲」という多数の作家さんが書かれてるエッセイ集を手に取った。
ちなみに、元々珈琲は大好きだったが、体調を崩してからかれこれ半年珈琲が飲めていない。デカフェもラテも飲めず、完全にご無沙汰である。関係ないが酒はアホほど飲んでいたくせに飲めなくなって一年が経った。
エッセイ集は開けば珈琲の香りがしてきそうなほど珈琲に満ち溢れた文章が沢山載っている。読めば読むほど珈琲が飲みたくなってくるが、私のカップの中にはデカフェのアールグレイが入っている。
飲めないことに激しい悲しさや不便さは感じてないが、たまにほんの少しだけ寂しく感じる。あの苦味が恋しい。

 どんなものも、先人達が培ってきたものを目にする、手にするのが大切だと何か始めようと思うたびに感じる。
弾き語りなら沢山曲をカバーして、弾いて歌って曲の構成を理解して自分の中に吸収していく。
編み物なら編み図をお借りして編みまくる。編みまくって構造を理解していく。
イラストも模写して模写して、線の引き方や色の塗り方を理解していく。
どんな物でもオリジナルに手を出す前に先人の知恵を取り込むのが重要なのだ。
でもまぁ、そのまま何も捻らずマネのまま世に出すのは著作権はじめ色々道徳的にどうなのよ、と突っ込まずにはいられない。
マナーは守るべきである。

 話を戻すと、珈琲エッセイ集は非常に目で見てとっぷり珈琲に浸れる作品だ。できることなら珈琲の香りが充満したお洒落な喫茶店で読みたいものだ。当然、カップの中はブラックの珈琲で。

 飲めないうちは紅茶とハーブティに助けてもらおう。珈琲とはまた違う華やかな香りが心を満たしてくれるのだから。それぞれにそれぞれの良さがあるというものだ。

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