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虚言癖のパラレルワールド もう一つの記憶


孕みもせず、あまつさえ育ててさえもいない分際で
我がの遺伝子を引き継いだ子が大学を卒業したと言うニュースを聞いた。
確かに我がの卵子から作られた生命体である。

25年前の当時は結婚願望皆無とて、なんだかんだ言って将来は誰かに押し切られて結婚するものだと思っていたし、子供好きではないにしろ平凡に数人産んで人並みに育てている未来を予想していたのだ。

だからこそ、放り投げられた卵子。

そのパラレルワールドは切り離された点と点、或いはそれをつなぐ線であったはずなのに。

ところが今、何の因果か一人きりの部屋でこの文章をしたためている。近いうちに閉経を迎えると覚悟していた女体に、さらに一人で受け止めた余命宣告というフィルターが輪をかけてなのか。いささかこの身を感傷的な気分にした事も、否めない。

神父に吐露する懺悔のように、あの世でスタンバイしているであろう、孫は居ないと嘆いた父親への言い訳のように、これから御託という名の駄文を並べるのであろう。

これがお馬鹿なハリウッド映画なら良かったのだろうか。一昔前のマッドサイエンティストが脇役のB級映画でありそうな話。けれども
実社会であれば、沢山の芸術作品が飽和状態な現在でも、だいぶとアタオカな話である。何故って?その生命体はフィクションでもなく、確実に、ホモサピエンスと呼ばれる代物である。

話を令和から昭和後期に戻そう。

愚かなこの女は、裕福かつ厳格そして機能不全な家庭で育った。いっそ離婚家庭だった方が幸せだったのかもしれない。しかし女の両親は、俗に言う政略結婚で離婚は出来なかった。
富裕層の家庭にありがちな実家に流れるBGMは、ショパンやモーツアルト、ドビュッシーなどのクラシック…ではなく両親の激しい夫婦喧嘩で目覚め、それぞれの配偶者に対する、救いようが無い悪口で眠るのが日常。


実家は

"ここにあなたがいてくれて嬉しい"

そんな空間では無かった。いたいけな少女の自尊心は常に傷つけられていた。私なんか消えてしまったら良いのに。いつもそう思っては、ため息ばかりついていた孤独な少女時代であったのだ。


我が子を小中高とそこそこの模範的な優等生として育て、公務員家庭にありがちな勝手な思いこみで自宅から通える有名大学を志望校。。。と、疑いもなく描いていた彼女の両親は18歳になった少女が進路相談の時に、確実に引いたはずのレールが一ミリもひけていなかったことに
うちのめされていた。

俗に言うヨーロッパ移民ハーフとして生を受けた少女は、アメリカの混血ほど外見に白人の特徴が現れていなかった為、親しい友人や歴代の彼氏達を除き、少しばかり彫りの深い色白な純日本人だと周りには思われていたが、当時例外にもれず国籍を2つ持っていた。
これが、その後の運命の分かれ道だったのかもしれない。神様の悪戯だけでは成り立たない、自らが生まれる前から描いていたシナリオだったのなら、どうぞ好きに冷笑してくれ。笑止でも構わない。

少女は常に形容しがたい孤独と隣り合わせだった、ささくれだった心の支えであるサブカルチャーから辿り着いた現代美術を勉強するため、芸術大学への進学を理由に親の反対を押し切って家を出た。
ついでに島国からも出てやった。
初めて実家を出た一人暮らし初日、寝床に着いた時の爽快感を彼女は決して忘れることができないだろう。
18年間の実家暮らしは、決して安らぎや幸福感に包まれたものではなかったからだ。
睡眠中にでさえ容赦なく割り込む両親の争い声など届かない静かな1人の夜は、何事にも例えようがないほどの不思議な安堵感に満ち溢れ、堪らなく幸せであった。

モノクロ映画が急にカラーになったように、大学生活の始まりは新しい物に囲まれ幸福だった。なりたい自分になれる。親ガチャで失敗したからと言え不幸な人生など待っていない。芸術と同じように1から、いや0から創造できる。
そんな希望もむなしく、所詮温室育ちの少女は、一人暮らしの生活に、エグい程のお金がかかる事を自由から一ヶ月目で身にしみる程、痛感するのである。

そう、自由とは責任だ。

自由とは、孤独と隣り合わせで。


親の援助なしでこぎつけた芸術大学生活と海外生活である。
軍資金は子供時代に祖父の会社の付き合い絡みで、なんとなくやらされていたキッズハーフモデル時代のギャランティーだけ。
島国でたら、みんな混血なんだもの。今更日本人ハーフのアイデンティティーなんてありゃしない。それで稼げやしない。

ねぇ、生活費って凄いんですけれど。
ましてや私立の芸術大学は信じられないほどの高額な学費です。

これが現実の壁、「リアリティ・バイツ」なんだと、高校時代のバイブルであるウィノナ・ライダー主演の映画を思い出したりなんかしていた。

遺伝子ルーツ国では、一族に1人行方不明者と、自殺者、アルコール中毒者がそれぞれいるという。血筋と言うのは実に恐ろしいものである。
酒に溺れるのは時間の問題だったから。
クラブで呑んで騒いで踊って…そんなことで問題は解決しないのに、落ちていくのは簡単だ。
だって、そうでしょう。重力の法則って言うじゃない?ニュートンの林檎でしょう。

登っていくよりも落ちていく方が楽なのだもの。

そんな退廃的な生活をしている頃である。そこに現れたのは蜘蛛の糸のような出会いだった。
1組の美しいカップルに出会ったんだ。
きっかけは何て事のない、ありふれた喫煙所でのライターの貸し借りである。当時喫煙者でなかったら私の子供は生まれていない。たかだか煙草一本で人の運命だけでなく、生死までもが変わるのだ。

カップルは、二人揃ってどこかしら浮世離れした存在感のナホムとゲイリーという恋人達。ナホムはいつも清潔に洗濯された寒色系のクレリックシャツを羽織り、中肉中背の割にアンバランスな太い首と大きな手足がなんとも言えない、いびつな色気を醸すコンサルティング会社勤務のエリートで、ゲイリーはテラコッタ色の肌にグリーンアイズ、色男という言葉が具現化したような艶っぽい端正な顔立ちの長身R&B系のスタジオ兼クラブミュージシャンであった。

耽美趣味の美しい人間は背徳主義の美しい他人が大好きである。当時の彼女といえば、若さと中途半端な美貌の他には、親や世間に対する青臭い反骨精神しか持ち合わせていなかった。
それでも、人生の折り返し地点に立った時、取り戻せない大切な何かを噛み締めるのに、胸を苦しくさせるのにいささか疲れてしまった彼らには、ひとまわり以上、いや、ふたまわり近く年下である少女の荒削りな才能、若さ、未知数な可能性は眩しすぎた事を後になって知るのである。
距離が縮まるのは時間の問題であった。我々の三位一体は着実に始まった。

夜遊びだけでなく、アウトドア能力にも長けている彼らと気ままな海までの深夜長距離ドライブは最高だった。休日のカフェテリアで一週間の出来事報告やくだらない話、毛布に包まって雨の休日映画鑑賞カウチポテト、見たこともないようなキャンプ用品を携えて山奥でのリトリート、それぞれの誕生日にはホームパーティーを開催して、おのおのの郷土料理であるアイルランド料理・アフリカ料理・日本食での、おもてなし。

1人ではとうてい出来なかった世界を彼らは体験させてくれたのだ。

繰り広げられたのは確かな

"ここにあなたがいてくれて嬉しい"

という空間だった。

少女の斬新な課題作である油画は、彼らのセレブリティーな顧客が学費と生活費に変えてくれ、一生ものだと精神科医に匙を投げられていた幼少時代からの不安症と不眠症は、いつの間にか改善されていたのだ。
性的願望無しで他人に親切にされたのは初めてで、その経験は彼女に自尊心と自己肯定感を与えた。
親とは決して築けなかった確実な信頼関係
或いは、とうてい揺るぐことのない友情
即ち‥無条件の愛とやらを、彼らから学んだのだ。

そんな蜜月が1年と半年ばかり続いた頃である。

「僕たちは子供が欲しいんだ」

切り出したのはどちらからだっただろう。ゲイリーか?はたまたナホムだったのか?

覚えているのは、バカンスのインド旅行土産で買ってきた紅茶葉を、ベランダで繁茂したミントと一緒に煮出したオリジナルのフレバーティー片手にテラスで夕涼みをしていた風景だけである。

「君の卵子を、くれやしないか」

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