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宗教団体による「騙しのテクニック」


聖書と教会


 聖書が成立して,その後に教会が誕生したのではありません。教会が誕生して,教会の手によって聖書が成立したのです。前者の視点に立つ時,私たちは聖書を盲目的に信頼してしまいます。しかし,後者の視点に立つ時,聖書を批判的に研究しようと試みます。なぜなら,聖書は教会のフィルターを通っているのですから。
 今申し上げたことを,年代順に整理しておきましょう。まず,「イエスや使徒の宣教」という歴史的事実がありました。この歴史的事実を題材にして,教会は文書を作成しました。これが原資料である写本です。これらの写本をもとにして,現在の聖書が成立しました。すなわち,イエスが語った言葉を教会が伝えたのではなく,教会が好きな言葉をイエスの口にのせたのです。

教会の意図


 教会的着色が入った文章を,今回は一つ紹介しましょう。少し長くなりますが,一読して下さい。

「アナニアという人は,妻のサッピラとともに持ち物を売り,妻も承知の上で,その代金の一部を残しておき,ある部分を持ってきて,使徒たちの足もとに置いた。そこで,ペテロがこう言った。『アナニヤ。どうしてあなたはサタンに心を奪われ,聖霊を欺いて,地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか。それはもともとあなたのものであり,売ってからもあなたの自由になったではないか。なぜこのようなことを企んだのか。あなたは人を欺いたのではなく,神を欺いたのだ』アナニヤはこの言葉を聞くと,倒れて息が絶えた」(使徒行伝5-1~5)

 この記事は,完全な創作です。第一の理由は,似た題材が旧約聖書にあるからです。ヨシュア記7章にあるアカンの故事です。また,アナニヤという名は,預言者エレミヤに敵対したアナニヤ(ハナニア)を拝借したと考えられます。つまり,この記事は,正確な史実ではなく,「信徒から金銭を徴収したい原始キリスト教の意図」をペテロの口にのせたのです。
 私は,「聖書のすべての記事が嘘である」と主張したいのではありません。「聖書の何箇所かに,こうした教会的着色が混入している」と言いたいのです。こうした次第でありますから,たとえ聖書であっても批判的に吟味する必要があります。つまり,対人関係や他の文献と同じように,私たちは「言葉の裏」を読まねばなりません。

宗教の本質


 真理は,神からの啓示です。一方で宗教は,人間の創作です。人間が作った宗教は,それを維持しかつ広めるために,金と力を必要とします(巷の宗教団体を観察すれば明らかです)。しかし真理は,真理自体の力によって広がるため,金も権力も必要ありません。ベンジャミン・フランクリンは,「政治によるキリスト教の保護」を議論した際,こう述べました。「本物の宗教は,それ自身の力で広がる。しかし,偽りの宗教は,権力の保護を求める。もしキリスト教が偽りの宗教ならば,早く滅びた方がよい」と。
 宗教の正邪を判断する基準は簡単です。金銭を要求する宗教は邪教です。また,教祖が権力を求める宗教も邪教です。ただ正義を求める宗教のみが,真理と共にある組織と言えるでしょう。原始キリスト教は金銭を求めました。しかしキリストは,神の正義を求めました。信じるべきは,キリストであって,キリスト教ではありません。
 

参考書籍です。

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