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中国人が「目覚める」ことは、本当によいことなのか

昨日のマガジンで、以前は中国の中央政治的なものを強めに肯定していた中国人の嫁が、コロナ以降は体制への疑問を口にしがちになった、という話を書きました。

体制に反対する自由がなく、思想的な統制も強まるばかりの中国において、そうした思考を手に入れられることは、一見すると好ましいことのようにも思えます。一応は自由主義陣営に属し、中国の体制を不気味なものとして捉えることの多い日本人から見ればなおさらでしょう。

ただ、それが中国人にとって、中国に暮らす人にとって本当によいこととなのかどうかというと、そう簡単な話でもありません。

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まず、中国において「目覚め」、思想的なメインストリームから外れた人は、確実に生きづらくなります。

安田峰俊さんの「八九六四」には、インターネットを通して中国のさまざまな欺瞞に気づき、「目覚めた者」となって反体制活動に身をやつすうち、最後には当局の厳しい拘束を受けるまでになってしまった人が登場します。

これは極端な例であり、また本人が自ら積極的に動いたことの結果でもありますから、「目覚めた」人がおしなべてこのような末路をたどるわけではありません。

ただ、中国において「主流ではない非主流」思想を身につけてしまった人は、多かれ少なかれ息苦しい思いをすることは避けられなくなるでしょう。

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