こころのちからになる話2 社長、子ども食堂の料理を作る

江平徹(えひらとおる)は、誰にも言えない悩みがあった。彼はただ今、業績絶好調になっている新しい企業の社長だ。自分の得意分野を活かして、並みの会社員よりもたくさんのお金を稼いだ。彼は自分の幸運に感謝し、また、新たなアイディアを駆使して人のニーズをつかむことにも長けていたので、そこそこの評判も得ていた。

彼の悩み。それは、お金を得ることにまったく喜びを感じなくなってしまったことだった。贅沢と言えるかもしれない。だが彼にとっては切実だ。通帳に積み上がっていくお金の表記を見ても、ただの数字の羅列としてしか感じない。

気晴らしに、海外旅行や、高い時計なんかにも手を出してみた。旅行は確かに、一時的に解放感と新たな場所を旅する楽しさがあったが、帰ってくれば再び憂鬱になる。高級時計にステータスを感じるのも、とても短い間だった。

「社長、そういうときは社会奉仕ですよ」

愛嬌のある顔立ちの、部下の斎藤良枝(さいとうよしえ)が、そんな彼の悩みを聞いて、にこにこと答えた。

「社会奉仕……?」

「ボランティアですよ、ボランティア」

「ふむ」

「ちょうど近所で、最近子ども食堂が始まっているんです。食事を作ったり、子どもの勉強の面倒を見てくれたりする人が足りないんですって」

「おいおい、僕は料理なんかしたことが無いぞ」

「だからいいんですよ! 外でおいしいものばかり食べているんです、味覚は鍛えられているんですから、あとは自分で作るだけじゃないですか。そうして、自分にとって新しいことを始めたら、きっと社長の贅沢な悩みも晴れますよ」

江平はなるほどと思い、子ども食堂のボランティア参加の意思を告げて、帰宅した。今日は外食じゃなくて、自分で飯を作ってみよう。素朴にそう考えた。数日後の子ども食堂に出るメニューを、もらってきたチラシで確認した。その日はカレーライスらしい。

カレーライスくらいなら、自分でもできるだろう。まずは包丁を持って、材料を一口サイズに切ればいいはずだ。

江平は材料を買ってきて、さっそくあまり使われていない綺麗なキッチンに立った。市販のカレールーの裏には、簡単な作り方が書いてある。

だが、外食続きでほとんど料理をしたことのなかった江平にとっては、包丁の持ち方からして難題だった。パソコンで包丁さばきの動画を調べ、見よう見真似で肉、野菜を切っていく。

なんとか、子ども食堂の日には作れそうだな。しかし一人でこの大量のカレーを食うのか。会社に持って行って、食ってもらうか。

そんなことを思っているうちに、いつしか江平の頭の中から、日ごろ感じていた空虚さは、さっぱりと抜けていた。

(了)

#短編小説 #ヒューマンドラマ #人生 #料理 #ほっこり

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