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noteと無関係なはずの自分がnoteを書くようになるまで

冷静に思う。

順調にいってれば、自分の人生に本来noteというサービスが関わることはなかったんじゃないかと。

もともと野球バカで、ごりごりの体育会系で自己主張はせず集団行動が得意で、一人の時間が嫌いで常に群がるみたいな。そして、そもそも大学入るまで唯一読んだ本がハリーポッターのアズカバンの囚人で、それですら挫折するような人間。

そんな人間が、紆余曲折に紆余曲折を重ねて、本を読むようになったし、こうやってなぜかnoteを文章を書いたりするようになった。それっぽい文章を書いて、noteというなんか洒落たサービスで50いくつものの投稿している。

そして奇行に奇行を重ねて、自己紹介がてら、noteに無関係なはずの自分がnoteを書くようになるまで、というテーマで、自分のことについて書くことを試みようと思う。

※鬼長い

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スポーツバカから勉強バカへ

授業は野球の練習のためのパワーを温存するための時間として寝ていたばかりだった自分が、血眼になって勉強にするようになったのは、野球での挫折が大きかった。

県内強豪の野球部に入部し、チームとして甲子園に出場するも、個人としては3年間ベンチ外で引退を迎えることになった。自分は本気だったし、子どもながらに色んなものをかけてたし、なんだかんだ本気を出せば努力は報われると、微かに信じていたから、そういう現実は辛かったし悔しかったし恥ずかしくもあった。この現実を早く忘れたかったし、塗り替えたかった。(参照:「下手くそが甲子園を目指した話」

そこに運よく、ちょうどいいイベントがあった。受験だ。そこで培った根性と体力、そして有り余ったエネルギーと、見返したいという想いだけで、受験をはじめた。

野球の才能がなさすぎて、努力する力と一生懸命やる力だけはめちゃくちゃ鍛えられていたこともあって、努力が反映されやすい受験というゲームは自分に向いていた。受験では簡単に成果が出るし、成長が目に見えてわかるということもあり、すぐにハマり夢中になった。

現役では大したところにも引っ掛からなかったけど、成績は伸び続けていたし、まだまだ勉強はまだまだやりたかった。そのように夢中になれてたからか、浪人を経て偏差値はぐんぐん伸びつづけて、場違いな慶応大にまで入ることができた。

意識高い系からアカデミックへ

大学では、目指すべき仕事を定め、そのための準備をやる時間にしようと考えた。しかし、野球しかしてこなかったし、何も知らなかったからとりあえず色々な経験をしてみようと思い、色々なことをやっていた。イベントをやってみたり、変な営業マンに引っかかりそうになったり、コピーライター目指したり。

そしてそのような活動を通してわかったのは、自分の思考力の無さだった。しかし、自分なりに考えて行動していたつもりだったから、盲目的に授業に出てる人よりかは、色んな面で先んじていると勝手に思っていた。

けどそんなことはなかった。

自分が余裕だと思っていた皆がふつうに余裕そうに受かる中、自分は大学2年次にゼミに落ち、そして、留年も同時にしたことによって、自分のしょうもなさを認識した。

今まで勝手に先んじていたと勝手に思っていたが、学業に力を入れて取り組むということの価値が今更ながらに痛感したし、自分が意味無いと切り捨てていた学業の中に、自分にとって必要な力を育んでくれるものがあったんじゃないかと思った。

そして、思考力の不足も感じることが多かったから、この留年を機会に、この思考力を鍛えて、違う世界にいけるようになりたいと思った。

そこからは、仕事どうこうよりも、どんな仕事だろうとどこでも活躍できるような思考力を身につけることの方が大事だと考えた。

これから先を考えると、もっと自分の考える力、思考力を根本的に鍛え上げたいと思ったし、それに着手できるのは学生の期間が最後とも思った。

また、学問というのはそれに適したツールなのではと思うようになった。

そうして、今後の自分のために、残りの大学での時間を学問することに充てると決めた。

図書館地下三階での思想家との対話

かといって、今まで学業をサボってきた自分に、探索したい領域があるわけではなかった。でもとりあえず、何でもいいから学問をすることが大事だと思っていたから、とりあえず新規で募集している政治思想史のゼミに入り、そこで一から教えを請うた。

そこで、思想はどんなものかを学んだ。しかし、政治思想史は言ってみれば、「薄く広く」といった感じだった。知識が広がったりするのは感じるが、思考が深くなったり、大きく変化する感じはしなかった。だから次第に物足りなくなった。

そして、誰もが読みたがらない難解な著書を読み解くができたら、もっと思考力が上がると思い、個人的に「難解な本を読み解くプロジェクト」を発足させた。

怪しい寄り道もたくさんあったが、吉本隆明という人の本を読むことに決めた。戦後最大の思想家と称されているほどだから、この人の言っていることを理解できると物凄い人間になれるのではと思ったからだ。実際、その人の本を実際に手にとってみて、その深遠なる語り口はそう感じさせるのに十分だった。心中しようと決めた。

最初はもちろん分からないことは分かっていたから、とりあえず読みまくった。変化をする修行の期間と思って、邪念を消し、この人に成りきるつもりで読んだ。

前提知識や積み重なった知を勉強してないやつが、いきなり難しい本を読んでもわかるはずもなく、一年間くらいは文字をなぞってるだけだったが、吉本さんの他の著作や、影響を受けた著作などを読んでいくなかで、こじ開けるようにして理解できることが増えてきた。

そして、それと同時に他にも読みたい本や興味ある人がどんどん出てきた。読書のウイングが広がっていき、修行の一環としてやっていたつまらなかったことが、だんだんと楽しくなってきた。

拗らせという思考の思春期

「絶対的によいことというのはない。どんなことにも利と毒はある。」そう言ったのは吉本隆明だが、そういう意味で哲学、思想の毒がいつの間にか回っていた。

拗らせてしまった。

脳内が観念的なことばかりに支配され、浮世離れしたことばかりを考えていた。そして、それが素晴らしいことだと考えるようになった。世俗的な興味が消え失せ、実利に関心を持たなくなっていた。競争とかどうでもいいし、仕事なんてしょうもないことだと思うようになっていった。

思想とか哲学とか批評というのは、世の中を穿ってみたり、当たり前を疑ったりなど、独特の思考の癖がある。長らくそこに滞留していく中で、物事を斜めから見る癖を身に付けたり、そのまま斜めから見ることによって、ねじ曲がった社会観、世界観、仕事観を持つようになっていった。

そして、そのような状態のまま就職活動を迎え、全然前向きにはなれず、就職活動も途中で辞めた。だが、これはこれで正しいと思っていた。この先にそれよりも大事な何かがあると思っていた。だから、そのまま自分のやっていることを変えず、ダラダラと続けていた。

そうやってどんどん就職や世俗に興味がなくなっていった。凝り固まった世界観をどんどん堅く強くしていった。

みんなが働きにいっている理由がわからなかったし、キャリアに貪欲なのも意味がわからなかった。そもそも働ける気がしなかった。やっていけないなと思っていた。

本屋に行っても、ビジネスとかの方にいったら負けだと思っていたし、怪しい思想書コーナーばかりのところにいた。

そうやってやる気をなくし、ダラダラしまくっていた。就職留年とかこつけて、2度目の留年もした。何かがおかしい。その先に何かがあると思ってきたが、退廃があるだけだった。

影も見ながら、光の方へすすむ

就職をせず、留年をして、現実逃避としてアルバイトをずっとやっていた。

そして何かを変えようとして始めた深夜のランニングの最中、今まで自分のやってきたことは間違いだと思った。

楽しくもないし、この先に何かがあるわけではないし、食べていくということをしないといけない。生き方を変えないといけないと強く思った。このままじゃ生きていけない。だから、もう辞めようと。

どうせ人生はある。なら楽しい方がいい。別に思想家や学者になりたいわけじゃない。適当に都合よく解釈するつもりで、変わるんじゃないか。

どうせ働かなきゃいけないのであれば、めちゃくちゃ楽しみながら働きたいと思ったし、今までもそうだった。

明るく前向きに考えていこうと思った。悲観的にしか見えないけど、そう思って生きるのも勝手だし、それなら楽しんだ方がいい。無理矢理にでも、肯定的に見ようとそこから思い始めた。(参照:「面白ご都合主義」

そうして、これまでの道が正しくなかったとことを受け止め、もう一度やり直そうと、思想関連の本とかを読むのも、頭の中で考えることを辞めた。

光の側を見ることを、能天気だと思う人もいるでしょう。影の方を語る方が、真剣で深いことに見えたりします。でもね、光の側を見ている人、そうそうバカでもないし、影ばかり語る人、さほど優れているということでもない。


世界は思ったよりも凄いし素晴らしい

思想の勉強をするのを辞めたのはいいものの、どうしていいかわからなかった。自分とは関係ない観念的なことを考えるのは辞めて、とりあえず、自分の現実をどうするかに一生懸命になろうと思った。

まずは卒業。たまたま経済の必修科目がたんまり残っていた。とりあえず、経済学は仕事をやる上でも役に立ちそうな学問でもあるし、仕事に対してやる気が出そうだなと思ったので、とりあえず経済を一生懸命やってみようと思った。すがる気持ちで。

そしたら、経済学が面白かった。思想とかは、答えが曖昧だし、考え方もよくわからない。だけど、経済は、思考するツールもちゃんと揃っているし、ちゃんと答えが出る。

何より、経済合理性という尺度でもってすれば今まで意味がなさそうだったり、不合理に見えたり、勝手に悲観的に見ていたことが、全部経済合理的に意味があることを教えてくれた。

経済学は、世界を斜めから見ていた自分にとって、認識を前向きに正してくれる学体系だった。現在今あるシステムは、もの凄く素晴らしくできているということを、経済学的にきちんと説明してくれた。学べば学ぶほど、今まで思想で穿っていた世界観が、どんどん反転していき、正しく整理されていった。「あれ?世界ってちゃんとしてるじゃん!」って。勝手に誤解して理解していただけだと気づいた。

仕事論、再考

そして次に経営学にも手を伸ばしはじめた。経済よりもビジネスに寄り添った学問だったし、もっと自分を都合よく前向きにしてくれそうだったし、いずれすることになると思ったから。

そしたら、案の定、経営学も面白かった。企業が何をやっているのかわかってきたし、働くことが楽しそうに思えてきた。

企業がやっている戦いは、どれだけ人を楽にしたり、楽しませたり、儲けさせたり、幸せにできるかの戦い。

そして、価値を提供すればするほど、お金というものが手に入る。そして、人に価値を与えた分だけ手にしたお金で自分もまた、楽をしたり、幸せにしたり、楽しませてくれる商品やサービスと交換できる。またそれを、自分が今以上の付加価値を提供できる人間になるための武器や装備と交換してもいい。

働くことは、価値を作ること。その価値を作るという行為は、素晴らしい意義ある行為だと素直に思ったし、楽しそうなエキサイティングなスポーツのように感じた。野球よりよほど面白そう。

皆がこぞって仕事やビジネスに熱をかけたりする理由とか成長したいというその感覚が段々とわかってきたし、戻ってきた。自分も社会で価値を提供できる人間になりたいと思うようになった。

と同時に、おれは今まで何をしてきたのかと思うようになっていった。段々と自分のこの状況を恥じるようになってきた。皆が先にいって、おれは何をしていたのか。全然負けてなんかないと思ってるのに、だいぶ先をいかれてる。ここから挽回したいと思った。

これまでのツケ 

しかし、その後、体調の方を崩してしまった。というよりずっとしのぎしのぎでやってたことが崩壊したという感じ。ここ何年も身体にムチを打つため、カフェインを基準摂取量以上の量をバカ飲みしていた。そしてそれを日常的かつ長期的に摂取し続けたことによって身体が壊れた。具体的には不眠になったり、動悸・不安感に襲われたり、無気力になったりなど。多分自律神経失調症かなにかだったんじゃないかと思う。

そこからは、ただ生きることが目標の日々で、これからどうなるかわからないまま、どうにか日々をやり過ごしていった。完全に社会的には死んでいたことになっていた。

気持ちも自信もなくなっていったが、少しずつできることをやっていきながら、一から自信も積み上げていった。

そしてnote

ここからでも、道を切り開いていける自分になるために。むしろこうなってよかったというふうにしてやる。こうなってよかったと、これが正解だったと、意地でもそういうふうにしていきたい。その一環として、noteをはじめた。

でも、最初は何を書いていいのかも分からなかった。だからとりあえず、ただ、頭の中にあるモヤモヤを言語化していった。多分なんか意味あると信じて。

そして、書き続けて、あるとき気づいた。

ただ、自分を前向きにする文章を書いてるということに。(参照:『自分を前に向かせるコピーライター』)

いかにこの状況がよく見える切り口を考え、前を向けるか。この道でよかったと思える道を探していた。noteを書くことは、自分で自分を励ます論理を言語化する作業でもあった。

いかにこの状況でも前向きに、この道を正解にできる論理や言葉を紡ごうと必死だった。自分がこのnoteでしたことは、自分を前に向かせる思想なるものを紡ぐことだった。(その切り口でまとめたのがこのマガジン「谷底からの這い上がるためのハシゴ」

だから、そういうnoteを書く度に、社会的には何も前進していないのに、オーラが宿ったかのように、段々と強くなった気がした。(参照:「本気で書いたnoteの数だけ、人はオーラが纏える」)

地に落ちた自信も少しずつ回復し、noteを書きながら着々と築き上げた思想で、自分の脚でしっかり立てるようになっていた。

noteで培った足腰で、もう一度、この道を正解にするための歩みをはじめようかと思う。「いやー、こうなってよかったー」って心の底から思えるように。気持ち悪いくらいひきずってやろう、最低60歳くらいまでは。

とりあえず真面目に書きすぎたから、最後に中和しとくという意味も込めて。

おっぱい。

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