レポートは苦手だし、ルービックキューブもできない。

当方は大学生なのだが、大学のテスト期間に伴ってレポート課題も増えてきた。

そこで思うのが、

レポートの執筆はルービックキューブの面を揃えることに近いのではないかということだ。

理屈は次のように整理できる。

1)レポート執筆に用いる資料は各面が揃ったキューブである。

2)自分はそれを読み込む。多くの場合、この時点でそのキューブの面は崩される。理解できれば組み直せる。

3)参考資料としてそれらを自分の文章に落とし込む。残り一面を自分の文章と捉えるべきだろうか。残りの面は揃っていないままのことが多い。つまりは不十分な引用や参照が行われたまま、自分の面を揃えはじめる。

大体はそういう感じで、レポート執筆の一連の流れは、私にとっては一度面を崩したキューブを揃え直す作業と言える。


――私はレポートの執筆は苦手だ。

資料を選ぶのも、それを読み解くのも、またそれを自分の文章に再構成することも、つまりはすべてだ。

特に、書籍や論文を読む作業。「苦痛」以外にこれを形容できる言葉を私は知らない。

私はいつもここで、揃っていたキューブの面をぐちゃぐちゃに崩してしまう。手にしたときはきれいだったのに、遊んでいると一面一面がすぐにカラフルになってしまう。

出来上がったキューブは白の一面だけが揃えられ、残りの面はぐちゃぐちゃなものだ。こうしてできた不揃いなキューブに私は不思議な満足感を覚えるのである。

その不思議な満足感は、「わからないなりにわかろうとした」という努力の事実を私に認識させる。




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