葛藤

この頃は葛藤が絶えない。会社に求められる働きをすべきか、自分に従って日々を過ごすか。普通に考えれば対立しないことだが、前者の実現がそうはさせない。それは勤務時間外にまで勉強や仕事を求めることを意味している。だから、自分の時間が奪われるのだ。最も、自分がそれを認めてしまえば協定成立なのだが。私が頑固なため、それを許せないままでいる。


 会社とはつまるところ人の集まりに過ぎない。それに貢献しようと考えるには、まず会社の人々が、私が助けたいと思えるような人物であるべきなのだ。もちろん、これは私に慈善の心が欠けているという見方もできるだろう。しかし、暴論かもしれないが、私は若い。時間も有限だ。したがって、満足とはいかないまでも、ある程度自分が報われるような環境で身を尽くしたいと考えている。そういう理屈で、私はそこの人々に貢献するか否かを判断する権利があるはずなのだ。だが、今のところはそれに値しないという結論だ。捨ててしまってもいいはずなのに、拭いきれない垢のような何かが私の姿勢を一貫させない。


 会社に貢献する過程でスキルが身に付けばいいじゃないか、という声もある。だがこれについてはナンセンスだと言い返すほかない。そもそも、スキルとは何だ。それは生きるために必要か。自己実現において重要か。私には必要とは思えない。むしろ、それを身に付ける時間があるならば、他の自分がやりたいことをやると思う。

 それは決して社会に還元することを意味しない。いたって根源的な、自己を探究する哲学的な何かだ。つまりは金にならないことだ。しかしそれこそ、本来人間がやるべきことではないだろうか。私を含め、現代のほとんどの人々はそれを見失っているように見える。偏見かもしれないが、私には世界がそのように映っている。別に比較して優れた人間になりたいとかではない。私は私でありたいだけなのだ。その時間を他の無価値な何かに奪われることなく、必死で守り抜いてやりたいと思う。だが、それが思考の段階を抜け出ないのは、社会の呪縛か何かか。最近の私を悩ませているのは、こうした単純な葛藤だ。

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