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昨日はどこにもない


私の考えてることが毎日コロコロ変わるのは、もう悪いこととは思わないようにする。
私は毎日どうやったら幸せに生きられるかを考えていて、毎日考えを更新してる。だから主張が揺らぐのは仕方のないこと。


私はせっかちだ。すぐに結果を求めたがる。
私はそれを近視眼的な自分の性質だと思っていたけど、それは改めるべきだと気付いた。
急いで得た結果が良かった事はあっても、それは褒められるべきじゃない。
つまり私はいつも、自分にとっての最適解を求めてるつもりで不十分な正解で満足していたのだ。
不十分なものにはボロが出る。
私はボロボロの地盤にボロボロの結果を積み重ねていただけ。
歪に高く嵩んだ私の今までは美しくない。そして不安定だ。


積み重ねる以外に結果を出す方法はない。私はせっかちだ。でもきっとそれは私だけじゃない。みんなそうだ。すぐに結果が欲しいし、待つのは嫌いだ。
私はそのせっかちを許しちゃいけなかった。
そこが狂ったせいで、今まで私がやってきたことがまたボロになって崩れ落ちてしまった。とんだ無駄足。


また悔しい。最近ずっと悔しい。失敗ばかりだ。


部活を思い出す。
私は弓道部のエースだった。唯一の自慢。
でもどうやって的中率をあげたかというと、思い返せばただひたすらに的に向かうだけだった。
初めは筋トレしかやらせてくれなかった。そして的前に立てるようになっても、中らない。指や腕を痛めるだけ。
それでも私はあの頃、弓を触れるのが嬉しくて、矢をつがえるのが楽しくて、毎日飽きもせず弓を引いていた。きっと、あの場の誰よりも。

中るようになって、褒められるようになって、重要な役割を与えられて、私はいつしかそれをしなくなっていった。努力の方法さえ忘れるほどに。


私は知ってるはずだったのに。積み重ねることでしかものごとは一歩も進まないこと。
なんだかんだ私は20歳になって、21歳になって、自分は子供だと言いつつ大人になったつもりでいた。
否、大人というものを履き違えていた。


大人はピアスを開けられて、バイトができて、恋人がいて、与えられたタスクを自分の裁量で効率よくこなせる。
それが高校生の時に考えていた私の大人像で、その当時私には、それがすごく遠く感じていた。憧れていた。


大学生になって、私は自分のノートパソコンでかっこよく課題をこなすものだと思っていた。
入学前早々にピアスを開けて、髪を染めてバイトを始めて、恋人を作るためにサークルにも入った。
でも、どれも長続きしなかった。パソコンも買わなかった。
でもそれが大学生ってものだ、と思っていた。ばかだった。


特別束縛の厳しい高校にいたのもあったけど、大学生というものに、もっというと美大生というものに夢と憧れと理想を抱いていた。


馬鹿だった。


遅すぎることはない、と偉人は口を揃えてそう云う。


もう一度、馬鹿正直に信じてみたい。というかそうならないと一歩も前に進めない。(進まない人生もあるにはあるけど、私は進む人生がいい)


近すぎる過去の過程。最小単位は昨日だ。
でも私が一朝一夕で変えられるものなんてないんだったら、そんな単位、考えるだけ無駄だ。心が余計に急くだけ。


今日は昨日の延長線上にある。グラデーションは離れて初めて色が変わったことに気づく。



また明日、全く別のことを言うかもしれない。
それが定まるのはこのノートの更新が完全に止まったときだ。


だから今、確実に言えることは、昨日どこにもないぞ、ってことだ。



あるのは始まりの日と、いつかの幸せになれたその日だ。





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