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疑うこと、愛すること


わたしは基本的な考え方がマイナスから始まる。
でもそれあまり悪いことだとは思っていない。
なぜかっていうと、常に最悪の状態を考えてたら、現実はいつもだいたいそれよりいい結果に終わるから。
準備し過ぎてしまうのもそのせいだと思う。
失くなった時のために予備をとっておく。その予備がなくなった時のために予備の予備を、その予備の予備の...............。流石にやりすぎだと自分でも思うけれど。

つまりわたしはいつだって自分を、物事を、世界を、信用していない。他人なんてなおのこと。


2019年10月29日。防弾少年団SYS FINAL の最終公演が終わった。わたしはその場にいなかったし何があったのかなんて実際にはわからないけど。
わたしはナムジュンのメントが流れてくるのを待っていた。
それを読んで、なんとか和訳して、和訳されてるのと照らし合わせたりもして、とにかく読んだ。知りたかった。
わたしは防弾少年団以外にこんなに夢中になれるものを体験したことがなくて、こんな風に何かのコンテンツを心待ちにする日が来るとは思っていなかった。
だから油断していた。

ナムジュンのメントから、わたしは切実という言葉が浮かんだ。言葉にならない言葉を、でも言葉で伝える以外にどうしたらいいかわからなくて、その言葉以上の気持ちを言葉に込めて発する、ような。

なのに。
わたしはそれを読んで、聴いて、見て、胸の内からこみ上げてくる、花がほころんでくように舞い上がる感情の裏に、本当に?と問いかけてしまった。

「本当に、そう思ってる?そう言えば私たちが喜ぶと思ってるんじゃないの?すべては計算で、本心ではもう先の予定なんかぎっしり詰まってて、これも作業の一つみたいに思ってるんじゃないの?」

と。

それは100%本心じゃない。さっきの話で言えば最悪の事態を想像したということだから。でも、100%嘘でもないことに気づいた瞬間、ものすごく悲しく寂しくなった。
わたしは彼らを信じきれていないのか、と。

そうだった。わたしは人を信じていなかった。
だって身近な友達さえ信じきれないのに、雲の上の彼らをいくら好きだからって信じきれるはずがなかった。
彼らのことをわたしは何も知らない。そして今後も知ることは絶対、永遠にできない。
彼らが作り上げたアイドル像、厳選された公人としての個にいつまでも恋焦がれるしかない。そこに彼らのどんな心が注がれていようと、それはひとりの、ありふれた人間としての彼らには一切繋がらない。

だとしたら、わたしは彼らを一生、信じることができないんだろうか?彼らが発するどんな言葉に心を打たれても、はかりようのない言葉の裏の影に怯えながら受け取るんだろうか。


遠い人を信じることは不可能なんだろうか?


ナムジュンは信じて、と言った。
言葉のひとこと、歌詞の一行全てが私たちのためだと、一緒にいようと、愛してる、本当に愛してる、と言った。

彼らから言葉を受け取る時、もう一つ、いつも思うことがあった。

「わたしも、

わたしも愛してる。何をするときでもあなた達を思い出すし、あなた達を励みに毎日を生きてる。あなた達に救われてる。本当だよ、嘘じゃなくて、本当に本当のことなんだよ。」

これをなんとかして伝えたい。だからライブで大声で応援するし、彼らのコンテンツを買う。でもふとした瞬間にその感情は遠く冷たくなって、わたしの声が届くはずない、と思ってしまう。
リアコ、という言葉がちらつく。
Armyの声は届いてるかもしれない、でもじゃあ、わたしの声は?わたしはArmyだけど、Armyはわたしじゃない。
平凡以下の矮小なわたしの声はどうしたって届かない。届かない言葉は、思いは、ないものと一緒だ。


と、書いてる今まで思っていたけど、書いていくうちに考えが変わった。



気づいたのは寂しさについて考えてからだった。
「寂しい」って言葉は寒さをすごくたくさん含んでて、心が寒さを感じる状態が寂しいってことだ。
わたしの過去のトラウマやなんやらは割愛するけど、わたしは一度密着したものが離れた、その瞬間に感じ寒さがすごく怖い。
だからもう二度と感じなくていいようにした。


信じるのは怖い、という言葉はよくある。信じるのが怖いのは、もちろんそれを裏切られるかもしれない恐怖からで、大抵の人はその恐ろしさを身を以て知ってる。と、思ってる。


彼らは追えば追うほど見えなくなる。でも、その言葉は鮮明に届く。その姿は鮮明に届く。
彼らは鮮明すぎる蜃気楼だ。

だったら、彼らは一番近くにいるんじゃないか?彼らはどこにでも存在していて、どこにも存在していない。
その彼らが、信じて、というなら、何も怖くはないはずだ。いや、やっぱりアイドルだからアイドル社会的なもの(事務所絡みとか)には裏切られる可能性があるけど、でも彼らの言葉は裏切ることはない。だってその言葉が防弾少年団を作っているんだから。


見えないものを見ようとしたって仕方がない。望遠鏡もないし。
だったらもう、見えるものをバカみたいに信じて、見えないものは心のずうっと下に蓋をしてしまってしまえばいい。こと、信じるということにおいては。


だからわたしはここでもう一度叫ぶ必要がある。


「わたしも、

自分を愛することができる道を探すよ。一緒に。でも、別々に。信じてる。わたしだってあなたの助けになるよ。一緒に行こう。本当に、本当に、愛してる。」

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