自己肯定感の話


やっぱり確信したけど、私は人付き合いがものすごく苦手だと思う。
私を客観的に見てる、つまり私以外の人には大抵そうは見えないようだけど、私自身、それと私をすごくよく見てる人にはわかる。

例えば些細なラインのやりとり。パッと浮かんだ言葉を返せばいいのに悩んで、迷って、タイミングを逃して、返事を出せないまま外で会うのを怖がってる。
嬉しいならそう言えばいいのに、言えない。

きっと私は、相手に私が感じるのと同じだけか、それ以上の「好き」を求めてる。
「好き」が私より少ないと感じるのがとても怖いから、というかそうでなくてはならないと思っているから、それを計れてしまうような言葉を避けている。そして何も話せなくなる。


昔から友達や家族に、「自己肯定感が低いね」と言われ続けてきた。
でも、自分ではそうじゃないと思っている。むしろ逆では?と。こんなナルシストがいるだろうかと。
しかし先日、本屋で「自己肯定感の低い人へ」みたいな本をつい、買ってしまった。恥ずかしくて表紙を裏にしてレジに出した。


本には、私のことが書いてあった。(私は自分のことをナルシストだと思っていて、自信満々に本を開いたのだけれど、まずナルシストというのは自己肯定感には関係ないものらしい。ここでいう自己肯定感とは、自分を自然な思考回路で当たり前に愛せる人、という感じらしい)

私の思考回路とよく似たことが本の中で起こって、私は軽くパニックになった。



私は防弾少年団に出会って、自分を愛することを知った。
知った、というのは、認識した、という意味で、それまで私は自分を愛すること、なんて頭の片隅にもでてきたことはなかった。
それから私は自分を愛する努力をしてきたはずだった。

なのに、私の自己肯定感はその本によると最低ランクだった。
自分を愛そうと考えていた頭の仕組みごと言い当てられ否定された私は、なぜかとても嬉しかった。(私は言語化が好きだと思う。言語化できない感情を表現したくて美術の道に進んだはずだけど、自分を自分で言葉にして認識できる気持ちよさも知ってしまった)
今まで言語化しようとしてもうまくいかなかった(いくわけなかった、だって思考からすでに歪んでいた)私の一端がまた一つ明らかになった喜びが自分を否定された衝撃に優っていた。


今まで文字にした考えを否定するつもりはない。少ししたらやっぱり私は・・・とまた違うことを書きたくなるかもしれないから。
でも私は今清々しくて、それで勢い余って母にこの気づきを演説した。

すると、「普通の人ってそういうものだね」と感想をもらった。

私って普通の人じゃなかったのか。
私は普通の人、と言われることが嫌いだ。
小さい頃から変わってるね、とか言われてきたけど、嬉しかった。個性があると言われているようで。
でも、それを喜んでいる時点できっと私は普通の人で、頑張って他と違う何かになりたいと思う凡人なわけで。

きっと母が言いたかった「普通の人」は、ある程度他人に気を遣えて、ある程度は自分のやりたいようにやる、自立した人間のことで、じゃあ私は今まで人への態度で自分のアイデンティティの重になるところを形成していたことになる。



そういうことか。


これが自己肯定感の低い所以だった。


私の毎日は、自分勝手に生きているように見えて他人が主導していたのだ。
相手にどう思われるか、どう見えるかばかりに集中して、自分が見えていない。
自分を大事にしているように見えて、実は他人に映る自分ばかり追いかけていた。





さて、冒頭に私は人付き合いが苦手だと言った。
今だってもちろん緊張する。

でも私は、相手に同じ好きを求めるのをあきらめようと努力することにした。いまも鋭意努力中である。
私はおそらく、「人類皆恋人思想」なのだ。
好きを確かめたい。みんなが私と同じ好きを持っていないと悲しい。
本来恋人などに発揮される心理が、私は友達、知り合い、果ては初対面の人にまで及んでしまうらしかった。

それが私が人付き合いに過剰に恐怖する理由の一つだと気付いた。



私は私。私のしたいようにするのが正解。私に恥ずかしくない私を。
律儀に心でそう唱えてからラインを開く。ツイッターを開く。
今のところ、効果はあるように思える。



それと、嘘。
嘘をつくのは、自分を楽にしたい心理の奥に、他人に言い訳して許されたい、という思いが隠されているからだ。
嘘をつくのは自分のためじゃなかった。

「人類皆恋人思想」と、嘘。その二つは私を人付き合いから遠ざける大きな要因たちだった。



最後にやっぱり防弾少年団の話をすると、私の推しはおそらく自己肯定感が高い。
というかなんていうか、恐ろしく安定してる。
もちろん彼にだって緊張や不安でお腹を壊した日々だってあったろうし、いまだってたくさんの不安や、ネガティヴな感情を抱えていると思う。
でも、彼がくれる言葉や、小さな行動は愛と自信に満ち溢れている。
彼のふとした行動や言葉に見える愛がこんなに優しい色をしているのは、彼が自分自身を正しく愛せているからだ。
そして彼の自信はその絶え間ない努力とか、尽きない向上心や仕事への潔癖さが支えているけれど、それはやっぱり彼が自分へいろんなものを正しく投資できているからだ。

彼は自分を愛してる。

もしかしたら私が彼に惹かれたほんとうのほんとうの理由はそこにあるかもしれない。

私も自分を愛せるようになりつつある。
まだぎこちないけれど、ここ数ヶ月悩んできたことに、とりあえず、今のところ、という言葉はつくけれど句読点を打てたような。


そんな気分だ。




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