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ルポライター、インタビュアー、作家。取材記事➔https://coco-iro.jp/…

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ルポライター、インタビュアー、作家。取材記事➔https://coco-iro.jp/?page_id=62&um_user=oomura

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ライフエンディングレター 灯火

「最高の人生の見つけ方」という映画をご存知ですか。 余命宣告を受けた二人の男性が、亡くなるまでにやりたい「棺桶リスト」を作成して、世界中を旅しながら夢を実現していくストーリーです。スカイダイビングをしたり、ピラミッドを見に行ったり、アフリカのサバンナを巡ったり……。 レビューには、「やりたいこと、好きなことをして生きようと思った」といった感想がたくさん寄せられています。 だけど、考えてみてほしいのです。 本当に、そんなことをしたいでしょうか? もちろん、人によって違

    • 僕たちの「センス・オブ・ワンダー」

      ―どこかで朝が来たときには、どこかで夜が来る。どこかで春が芽吹き始めたときには、別のどこかで秋が訪れている。自分が悲しみに沈んでいるとき、どこかであたたかな喜びが育ち始めている。どんなに無駄に思えることであっても、意外な場所でだれかがそれを探し求めている。  それほどこの星は広い場所なのだ。宇宙の片隅を横切る、小さな天体でしかないが、クラゲもキノコも、ヒトもウイルスも、イチョウもコケもワカメもミミズも……そのすべてを受け入れるこの地球は、どんな偉大な人間よりも、ずっとずっと懐

      • 小説とビジネス書の違い

        「なんで小説とか読むの?作り話じゃん。ビジネス書は役に立つけど、小説って何の役にも立たないよね」 ー食べるものに例えるなら、ビジネス書はサプリみたいなもの。疲れが取れるとか、肌がきれいになるとか、目的がはっきりしている。一方で、小説は日々の食事に似ている。何に効く、とか関係なく、お腹が空くから食べる。どっちが良いとかじゃなく、別ものだよ。  ただ、生命を維持して身体をつくっているのはどっちだろう?食べて幸福感を得られたり、また食べたいって思ったり、この美味しさを大切な人と

        • 生きるべきか、死ぬべきか~「風の歌を聴け」を30年振りに読む

          To be, or not to be, that is the question. 虚無の中を吹き抜ける風でしかないとしても、生き続けることを選ぶしかない。理由もなく、目的もなく。そういうものとして受け入れるしかない。生きていくとは、そういうものだ。 ふと気になって、30数年ぶりに再読。そして、驚いた。この作品は、痛みに満ちている。空しさを十分に知り尽くした上で、そんな世界を、人生を、どう生き抜いていくのか。。。そんな痛みに。 夏目漱石の「こころ」や、志賀直哉の「暗夜

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        ライフエンディングレター 灯火

          ガラパゴスばんざい

          「活性化」ってなに? 新聞社にいたときから、ずっとこの言葉に疑問を持っていました。だって、あまりにも頻繁に、簡単に、どこでも使われるから。 フリーになって、250人以上の方に取材を重ねるなかで、だんだんと分かってきました。自分の住んでいるまち、土地に魅力を感じ、地元が面白く、「ここが好き」と感じている人がたくさんいる。そんなエリアは、「活性化」なんて言葉を使わなくても、自然と活性しているんです。 お金をかけて外部から何かを持ってきたり、誰かに来てもらったりして、その基準

          ガラパゴスばんざい

          「わたし」という腐葉土

          「わたし」という腐葉土 人生は、腐葉土のようなもの。 固有の体験という有機物が、長い年月をかけて分解され、発酵し、豊かな土に変わっていく。 有機物のひとつ、ひとつは、決して楽しいことばかりではない。 辛いこと、苦しいこと、悔しいこと、情けないこと、どうしようもないこと、忘れてしまいたいこと…… そんな痛みを伴う記憶や感情もすべて、わたしという豊かな土をつくる大切な有機物。 消毒したり、除菌したりするなら、わたしの土の豊かさは死んでしまうだろう。 よそから立派な土

          「わたし」という腐葉土

          自分の「識」が揺さぶられる映画体験

          神戸市長田にある介護付きシェアハウス「はっぴーの家ろっけん」の日常を記録した映画「30」。その山口上映会を2日、周南公立大学で開催しました。学生と一般の方も併せて約150人が来場され、とてもいい時間となりました。 今回、僕は実行委の一人として携わったのですが、なぜかショックを受けたような感覚が、二日経ったいまでも続いています。 この映画を観るのは2回目。だけど、今回は初見のときとはまるで違う作品のように感じたんです。映画を観た、というより、映画という体験をした、とでも言え

          自分の「識」が揺さぶられる映画体験

          本当は、リーダーこそ「聴いて」もらいたがっている

          「そんなこと言うなら、辞めてもらってもいいよって。それだけでした」 地域ではちょっと知られたカフェで、何年も働いてきた女性。お店の接客で気になる点についてひと言伝えたところ、オーナーから返ってきた言葉が「これ」だったそう。 「いままでも『意見があったら言ってね』とは言われてきたけど、それができる雰囲気じゃ全然ないんですよね。いつもピリピリしていて、人を寄せ付けない感じ。でも今回はお客さんに直接関係することだから、思い切って伝えてみたんです。そしたら……。正直、もう限界かな

          本当は、リーダーこそ「聴いて」もらいたがっている

          最期まで「職人」であり続けた人

          教授というと、どこか高貴で天才的なイメージが先行しがちだけど、一文、一文から滲むのは、悔しさや恥ずかしさを抱えた、人間くさい職人の姿。 入院中であっても、依頼された映画音楽などをつくり続けていた。満身創痍で、文字通り必死な状況下で完成させた曲がボツになったり、ダメ出しを喰らったりしたことも。怒りといら立ちを感じながらも、クライアントのために再び一から音に向き合う日々。まさに、最期まで「坂本龍一」で在り続けた。 テクノのカリスマ的存在は、歳を重ね、死を間近に感じるにつれて、

          最期まで「職人」であり続けた人

          「この世界にいてもいいんだ」と思える場所を

          「学校がつまらない。勉強が嫌いだから進学する気もない。かといって社会にも興味がないって言うんです」 ある集まりで、高校1年生の女の子を育てるお母さんはそう言った。 「とにかく、何事にも無気力で……。このままだと将来どうなるんだろうと本当に心配になって」 「そういう時期だよね」 「なにか打ち込めるものを見つけられたらいいかも」 その場にいた人たちは、自身の子育て経験を踏まえながら思い思いにアドバイスを口にした。 ただ僕は、胸が痛んだ。その子と同じころに、似たような気

          「この世界にいてもいいんだ」と思える場所を

          あらゆる食材は、永遠性を含んでいる。

          あらゆる食材は、永遠性を含んでいる。  野菜、穀物、果物、肉。すべては土、水、光、大気、微生物、重力……などの働きのもとで生まれてくる。宇宙と地球の環境と時間のなかで育まれた、一時的な「現われ」だ。 生物学者の福岡伸一氏は「『食べる』とは、まさに体の中で分子が絶え間なく分解と構成を繰り返す行為です。そして、分子の構成と分解の流れがとりも直さず『生きている』ということで、この流れを止めないために、私たちは毎日食べ物を食べ続けなければいけない」と語る。 分子の絶え間ない流れ

          あらゆる食材は、永遠性を含んでいる。

          雨の夜のビリー・ホリデイ

          「なんだか、気持ちが軽くなってとても安心できました。有難うございました。またお願いします」 1時間ほどのセッションが終わると、小さなお店を経営する女性はそう言って笑顔をみせた。 ただ、僕はモヤモヤしていた。何もしていない、何も役に立てていないという感覚があったからだ。 だから一ヶ月後、2度目のセッションの際には、いろいろとフィードバックをした。 「それはこういうことではないですか」 「その場合は、こう考えることもできますよね」 というふうに。 女性は「確かに、そう

          雨の夜のビリー・ホリデイ

          「聴く」と、人間の尊厳について

          「家族のもんはうるさがって、だあれも話を聴いてくれんのよ」 その高齢の男性は、はにかみながらそう話しはじめました。 「だから、あんたなら聴いてくれるんじゃないかと思ってのお」 15年ほど前、新聞社の支局にいた僕は取材依頼の電話を受けて、ある民家におじゃましました。80代の男性。戦後、シベリアでの抑留体験をお持ちでした。 「わしは孫たちに伝えておきたいと思うんじゃが、みんなうるさがって聴いてくれんのじゃ。新聞記者さんなら、なんとか後の世に残してくれるんじゃないかと思った

          「聴く」と、人間の尊厳について

          「これで、母も浮かばれると思います」

          「これで、母も浮かばれると思います」   まだ新聞社で働いていた十年以上前の夏。小さな離島で出会ったおばあさんは、そうつぶやいた。 1日に3便くらいしか連絡船がない島。もともとの要件がすぐに終わり、僕は次の便までの空き時間をどう潰せばいいか少し途方に暮れていた。港の周辺を当てもなくぶらぶらと歩いていたときに、そのおばあさんとめぐり会った。 「暑いですねえ」というたわいもない話から始まり、島での暮らしの楽しさや不便さ、孤独について、おばあさんは訥々と語った。そして、その流れ

          「これで、母も浮かばれると思います」

          弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く

          小学校低学年のころ、帰宅途中の路上で、よく中学生に殴られた。   相手のことは全く知らないし、何が原因で殴られはじめたのか分からない。自転車で追いかけられて、壁際や民家の庭の奥などに追い詰められ、泣くまでビンタをされる。そんなことが何度もあった。僕はただ怖く、相手が早く満足して立ち去ってくれるのを待つしかなかった。   あのとき、どうして誰かに相談しなかったのだろうか?なにか打つ手はあったはずだ。けれど、当時の僕は母親にも話せなかった。そんなことをされて泣いているだけの自分を

          弱い者たちが夕暮れ、さらに弱い者を叩く

          「満月の昇る姿を、あと幾度見るだろう」

          地元の美術館に興福寺の国宝展がやってきたとき、運慶の「無著菩提立像」の前で言葉が消え、時間が止まった。そこに在るのは命以上に命を与えられた「何か」だった。 そのとき、直観的に分かった。芸術とは、神への限りない接近であり、永遠性への果てなき希求なんだと。 それは、死すべきものとして運命づけられている人間存在の抵抗であり、「空しさ」の裏返しでもある。 「満月の昇る姿を、あと幾度見るだろう」 映画音楽を手掛けた「シェルタリングスカイ」の中の言葉を、坂本龍一は大切にしていた。

          「満月の昇る姿を、あと幾度見るだろう」