見出し画像

「何者かになりたい人」のアンサーは、福丸小糸ちゃんのGRADコミュにあった


福丸小糸ちゃんは、アイドルの『正解』を理解している。


※このnoteは、福丸小糸ちゃんのGRADコミュに心が震わされた話、それに起因する盛大な自語りです。悪しからず。


はじめに

先日、福丸小糸ちゃんのGRADコミュを読みました。
そのストーリー中に、現代の若者が抱く「何者かになりたい」という思いに対する答えがあったように感じたというお話です。

  • 老後のために、キャリアのために、就職のために、とりあえず「不正解ではない道」を選ぶ。

  • 「やりたい」よりも「自分(の将来)もしくは誰かにとってはこうしておいた方がいい」が、特に進路など、人生に関わる決断を下す際の基準の一つになっている。

  • 自分に足りないものばかりに目が向かって、肩の力の抜き方が分からなくなっている。

「何者かになりたい人」の一部には、こんな風に思っている人がいるんじゃないかと考えています。というより、私がそういうタイプであると自認しているので、私と同じような「何者かになりたい人」にとって、福丸小糸ちゃんの在り方は参考になるのではと思い、書き留めておこうと思った次第。
とは言え、エンジョイ勢他担Pが思ったことを書き散らしているだけなので、そのあたりを踏まえて目を通していただけると助かります。

「嫌だ」と言った福丸小糸ちゃん

個人的ハイライトシーンを語るにあたり、ストーリーをざっくりとさらっていきます。

【あらすじ】
公開個人オーディション番組『G.R.A.D.』の優勝を目指すにあたり、プロデューサー(以降、P)は福丸小糸ちゃんの練習風景を撮影し、SNSを通じて発信することを提案。
福丸小糸ちゃんは努力する姿を他人に見られるのが苦手なため、Pの提案に対し消極的な態度を見せるが、自分以上に気合が入っているPに流される形で「それが必要なら・・・」「わたしにはわからないので、プロデューサーさんが良いと思うようにやってください」と了承する。とは言え、戸惑っている様子だった。
後日、Pとの電話中に彼女は心情を吐露する。

以上、ここまでがあらすじです。

努力家で、故に空回りすることもあって、他人の視線や意思に敏感で、こちらの顔色を窺うようにおどおどしていて、でも意地っ張りで、頼られたり褒められるのが好きで、それらの要素が相乗効果となる小動物然としたルックス。周りが良く見えている分、一つの行動が周囲にどのような影響を与えるかも想像できる、聡い子です。

自分の気持ちに蓋をして『正解』を選んだ結果が、電話口でぽつりと溢したSOSだったのでしょう。
後日、彼女の意思を尊重せずに行動してしまったことを詫びたPに対し、福丸小糸ちゃんは以下のように伝えます。

アイドルとして『正解』の手法だと分かっていたから、福丸小糸ちゃんはあの時頷いた。

福丸小糸ちゃんの魅力である『一生懸命』に触れられるのは、既存ファンとしても嬉しいし、新規ファン獲得の手札としても非常に強力です。
福丸小糸ちゃんはちいさくてかわいいいきものなので、アイドルとして売り出していくにあたってそこを押し出していくのは分かります。

一生懸命なのはキラキラしていて、清らかで、見る者を惹きつける。
それに、これは私という、いちオタクの穿った意見ですが、いわゆる『かわいそかわいい』的な人気も得られるでしょうし、庇護欲やキュートアグレッション的な愛で方をするファンからも支持を得られるだろうなというのも分かります。

自分の現状も、打破のために「何か」しないといけないことも分かっている

応援してもらえることのありがたさ、みんな何かしら辛いことを抱えながら生きていることも分かっている。『できない』が、ことアイドルという職業においては強みにもなり得ることを福丸小糸ちゃんも理解している。

だから、自分の気持ちより優先する。それが正解だから、と。

感情と論理のジレンマに苦しんできた福丸小糸ちゃん。自分の思ったままの気持ちを他人に伝えるとき、胸を押し潰されるような気分だったでしょう。一つずつ、自分の気持ちを手繰り寄せるように言葉を紡いでいました。

「成らなきゃいけない」からの脱却

アイドルとして人気になるためには、自分の弱さすらもコンテンツにしてしまえた方がいい。そこにあるのはアイドルとしての強さです。
コンテンツは多いに越したことはない。あればある分だけ、ファンにとっては『推し甲斐』がある。

福丸小糸ちゃんは、アイドルの『正解』を理解している。


福丸小糸「そういうことを、ステージで言えるほど」

私の脳天に稲妻が走った瞬間でした。

そういうことを、ステージで言えるほど
まだ……強くは、なれそうにないんです

彼女はそれをしなかった。言い換えれば、できなかった。
できないと、言ったのです。自分の口で、自分の言葉で。

『アイドルとして』こうあるべき。
『良い子として』こうあるべき。

やらなければいけないことや、そうした方がメリットがあるであろう選択を、彼女は「自分にはできそうにない」と言った。
彼女は、自らレールから外れる覚悟を、既定路線に嵌らないが故の戦略を、自分自身で練る覚悟を決めたんです。

それを『強さ』と言わずして何と言えばいいのでしょうか。

ありがとう、福丸小糸ちゃん。

この福丸小糸ちゃんの言葉を受け、目の前が明るくなったようでした。

突然ですが、これから少し自分の話をします。
私はこれまで、不正解は良くないことだと考え、自分の可能性と行動範囲と可動域と興味を低く見積もって人生の選択をしていました。
中の上くらい勉強ができたので、頑張って勉強したら入れる高校に入りました。大学は、お金とか会社のことを学んでおけば役に立ちそうという理由で経営系の学部。就職時は将来性がある、手に職つければとりあえずなんとかなりそうということでITエンジニア。自分の育った家庭は、日本の一般的なものより荒んでいて、人格形成にもそれなりに影響を与えた(と、大人になった今なら分かります)。創作を読みふけったり自分で書いてみたりしてみても、それらを自分の人生とは完全に切り離して、趣味の範囲でしか考えられていなかった。

興味があるものがあっても「やるからには全力投球でなければならない」「手を出してみて向いてなかったからお金の無駄」などと典型的で中途半端な完璧主義なども相まって、人生の選択と言うにはあまりにも消極的な、身内の失敗を避けて通るばかりの道だと、ふと人生を振り返った時に気付きました。

それから、何もできなくなりました。そして、転職活動に失敗して、病んで、退職しました。弱いです。

大学時代の就職活動で始めた自己分析を発端に、その時には答えが出なかった「自分が仕事を通じて実現したいことは何か」という問いの答えを探しながら仕事をする日々。正解か不正解かが基準になってしまっていたから、自分の外に正解などあるはずのないその問いの、明確な形を求めてしまいました。

趣味レベルのやりたいことはあれど、サラリーを稼ぐ手段で興味を惹かれるものは無い。何かを得るためにはそれ相応の努力をしなければいけない、という当たり前の感覚も頭では理解できていたけど、がむしゃらに働くほどの意欲も無い。生き生きと、目的意識を持って仕事をしている人がキラキラして見える。

こんな人間、今の世の中たくさんいるんだろうなと思う。何者かに、なりたい。正解を選んで、『何者か』で金を稼ぎたい。
正解だけを選んで来られたわけなんてないが、少なくとも当時の自分なりに選ぶ努力をしてきた。

でも、正解なんて無いんです。
人生も、『何者か』という正解は無い。

やれることをするしか、無いんだなあ。

福丸小糸ちゃんが教えてくれたこと


不正解でもいい。正解か不正解かが問題ではない。選んだうえで、最善の選択をすること。

福丸小糸ちゃんが教えてくれたことは、これに尽きます。

前述の『かわいそかわいい』の印象を、私はGRADコミュを読むまでずっと福丸小糸ちゃんに抱いていました。そういう属性のキャラクターだと。

恥じました。猛烈に。
自分が福丸小糸ちゃんを一人の人間として尊重できていなかったことを恥じた。

それと同時に、救われた。言語化できない小さな拒否感に蓋をしなくともいいのだと、彼女が身をもって教えてくれた。
あらかじめ想像できる正解を辿るより、自分で正解にしていくことに注力した方が、ずっとずっと、気持ちが晴れ晴れする。

周囲の意見と比べて、自分の意見というのはともすれば曖昧になりがちで、自分自身に言い聞かせれば簡単に形など変えてしまいます。
だけど、だからこそ、自分自身が大切にしてあげないといけない。
自分の声に耳を傾けて、知る努力をしないといけない。

福丸小糸ちゃんは、アイドルの正解と自分の感情を天秤にかけて、後者を選び、そして『正解』にした。

『正解がある』のではなく『正解にする』。

人の数だけ生き方があって、正解なんて無いことに気付くのに時間がかかってしまった。
あれもこれも、全部陳腐化された言葉ですが、本当の意味で理解できたのではないのだろうか…と思います。頭で理解してるのと、そのもっと奥のところで理解するのとは、全然違う。
まだ、かけらほどだったとしても、自分にとっては大きな価値がある。

私は、自分の人生の責任を負って生きていく。
自分の知っている世界は狭く、きっかけがあって広がる可能性はいくらでもあることをいつまでも忘れず、過ごすことができればいいなと、そう思います。

手を伸ばしても届かない範囲にあるものなら、脚を踏み出して動きます。

福丸小糸ちゃんには、とても大きなものを貰いました。
ありがとう、福丸小糸ちゃん。

おわりに

GRADコミュに衝撃を受け、流れるようにLPも読みました。
本noteの内容からは逸れてしまうので割愛しますが、こちらも好きでした。

「自分がやりたいからやる」という行動原理の人間が身近に二人もいる環境に身を置いていて、自分はそうではない。
静かな自信に満ちていて、気まぐれで、すべてを飲み込む底知れない恐ろしさを持つ、海のような浅倉透ちゃん。「まず自分が幸せであること」という一本芯の通った価値観があって、自分が歩く道に草花を咲かす、時に嵐も起こす、春のような市川雛菜ちゃん。(樋口円香ちゃんは対外的な影響を考える点において、福丸小糸ちゃんと通じ合う部分があると思うので、先の二人とは一旦分けて考えています)

卵が先か鶏が先か、という話ではありますが、身近にいるのが彼女たちというのは福丸小糸ちゃんの生き方にすごく影響を与えたんだろうなと思います。

GRADとLPで、弱さもプライドの高さも彼女は全て受け入れ、そして『成った』。

それを、心から尊敬しています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?