想像する、こと。

思考は、少なからず想像力で補われている行為なのだと思う。その範囲やいろ・かたちが異なっているから、時にはひどいすれ違いをおこしてしまう。

あなたが知っているものをわたしは知らない。
逆もまた。
異なった心では同じものを映せない。だから、痛みをつくらないためには、ていねいに想像してみる必要がある。……なのに、そうしているうちに置いてきぼりにされてしまうこともあるのだから、さみしいものだ。

どうしてそんなに急いでいるの?
こわい顔をして。
風の音は聞こえている?
雨の匂いを覚えている?

それくらいの、ささやかなさわりごこちで。
誰かは泣いてしまうのかも知れない。



今年を振り返るとき、どんなに頑張っても新型コロナウイルス感染症のことは避けられない。これまでの「当たり前」がこうまで変わってしまうなんて、誰が想像できただろう。
手放せないマスク、手指を濡らすアルコール、心の距離にもつながりかねない、人と人との間の空白。

会えなかった人、
行けなかった場所、
できなかったこと、

輪郭だけを残して、中身がなくなってしまったような、日々だった気がする。

そんな中で、私は何に思いを寄せて過ごしてきたのだろうか。
4月から多少なりとも環境が変わり、自分の身の振り方を顧みなければならないところに、この社会状況だった。私は、どうにかしようと足掻くよりも、過ぎ去るまで待つほうを選んだ。それが良かったのか悪かったのかは、まだはっきりと答えられない。変えることができたときはじめて、答えられるのだろう。

上記のことに加えて、困ってしまったのは創作する気持ちへの影響が多分にあったこと。この場所の更新がほとんどなくなった。
何かを書こうと思っても、どうにもすり抜けてしまうような感覚で。ここ数年でゆっくりそうなりつつある気がしていたが、とりわけ顕著になった1年だった。

Twitterで文章倉庫的なアカウントを動かしてみたり、140字小説の投稿をはじめてみたりと、自分なりの模索はしていたけれど。
もやもやと霧がかっているように、私は私の書きたいものに迷ってしまった。

だから、来年。
取り戻したいなと願う。
想像する力を。
(創造とも重ねて)

このことはまた改めて書ければ、と。
考えのとっかかりとして記しておく。

ああ、間もなく今年が終わる。
来年のことを、どう想像しようか。



ここまでお読みくださり、ありがとうございました