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日本イメージ勘違い

団鬼六という人は、頭が良く、ほどよい実践者でもあったので時代の流れをつかんで作品を作った。だから存外常識的な物語を書く。

乾正人(千草忠夫)は妄想の人なので、常識を如何に崩すかを考え、SMとSFを融合させて、現在当たり前のことが非道徳な世界を作る。

現在非道徳な行為が常識で、現在当たり前の行為が犯罪行為である世界を仮定すると、本来SMでない行為が、SMとして成立する。教師らしい哲学的なエロスがある。

前回書かなかったが、フランスではキリスト教倫理の下で、結婚は宗教行事であった。女性の恋愛には制限がつき、処女審査なるものもあり、日本人には理解不可能な真面目さで結婚は成立する。(現代欧州で、事実婚や教会を介さない結婚が存在する事を賞賛する人がいるが、厳格な倫理が現在も存在する事に触れないのが不思議である)ただ、これが面白いのは、結婚は厳格だが、その代償として、自由な恋愛なるものが存在した。

一つは貴賤婚、もう一つが跡継ぎを生んだ女性の自由恋愛。(余談だが生まれた子供は孤児院で育てられる事が多い。教会にやたら孤児院が併設されているのは、当時の貧しさだけじゃない。)日本では夫人の恋愛は不倫だが、欧州では逆で、未婚女性の恋愛が不倫として保護者の父親や兄弟から責められる。サドもそういう掌編を書いている。

媚肉時代(雑誌掲載当時は”肛門時代”)が生まれた背景には日欧の倫理的差異があったんじゃないかと思う。

おそらく同業者であった式貴士(蘭光生)の”カンタン刑”は読んでいるだろうし

映画MARQUISを観たかはちょいと気になる処である。


倫理の裏返しであれば、敗戦後を代表するのが沼正三だろう。

これも中学時代だったかに読んだ。ただ、知性と良識ある小説なので、倫理観をゆさぶる程の衝撃は無い。


むしろ、友成純一の”新人獣裁判”が面白い。拷問執行人・死刑執行人という現在には無い家業をとりあげる事で、現代の鏡にする。

ちょいと正気に戻って

倫理観を揺さぶる掌編を早坂暁も書いている

”日本ルイ16世伝”の中にある”夢の女”。

水揚げされる網に酔ってげんなりしたシジミの様な中年男と、外見は理想的だが遺伝子的には男な女の恋愛に、かって女だったオカマが出てくる。

時代の違う人の書くものは、今を考える鏡になる。

取材対象に対する接し方。個人差と云うより時代かも

戦前を知る一つの資料として、伊藤正徳氏はとても良い。

また、少し外から見た日本として、blogの横にあげたものと下記

呉善姫という人は、”スカートの風”以降、済州島の女を書く事で、日本を映し出す。

こんなものもある

また、日本と朝鮮を知る人間により秀逸なやまとことばで書かれているので、日本の勉強にもなる

noteには長すぎるので、これで一旦筆を置く


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