自分の面倒を見れなければ、他人の面倒を見れるわけがない
というのがいつも私の持論でした。
これは仕事に従事する際にも、家庭を持つ際にも同じことがいえると思っています。だから私はできるだけ他人に頼らなくても、(ずっとそうし続けるかどうかは別として)たいていのことは自分でできるようになろうとガムシャラにいろいろ頑張った時期がありました。
そうしないと
集団活動において周囲に負担をかけてしまい
存在自体が集団活動の負債となってしまっている
可能性があるということでもあるからです。少なくとも人の上に立つ「マネジメント」においてはとても重要なポイントになります。
そしてこれはそのマネジメントの大家も同様のことを言っています。
経営学の父、P.F.ドラッカーの名言の一つです。
これを一般的に「セルフマネジメント」と言います。
たった1名分、最もコントロールしやすい自分自身のことすら満足にマネジメントできなければ、あかの他人のしかも複数人のマネジメントなんてできるわけがありません。偉そうにしているだけのそれはただ強権を生かして脅迫しているだけでマネジメントにはなっていないのです。
たとえば、ビジネスの基本中の基本「タイムマネジメント」や「タスクマネジメント」においても日頃から
・時間や期限を守っているか?
・自身に与えられたタスクはすべて把握できているか?
・やると言ったことはしっかりとやれているか?
・タスク一つひとつに課せられた期限を遵守できているか?
・遵守できそうになければ早々に"報告"できているか?
といったこのうち1つでもできていなければ、あるいはできるようになる努力をしていなければ、たった1人前でさえもロクにコントロールできていないということになるわけです。
そんな状態で複数人のマネジメントやコントロールが本当に可能になるでしょうか。おそらく情報の「管理」時点からまともにできておらず、気づいたときに気づいた分だけ指示・命令をする…という形になってしまってはいないでしょうか。
安易に
「あ、間に合いませんでした」
「すいません、できてません」
と言うのは簡単ですが、これは無責任な人によく見られる傾向です。
自分ではできない(他の人はできる)のであれば、やり方次第で自分でもできるようになるはずです。できるために必要な努力をすべてしていないからできていないにすぎません。
少なくとも業務/作業を依頼・指示された際に「はい、わかりました」と言って受け取ったのであれば、できなかった未来になるよう進めるのはおかしな話です。
受けた以上は「できた未来」になる進め方でなくては意味がありません。
また、仮に「間に合わなさそう」「できなさそう」という状態であったとしても、結果報告だけで「間に合いませんでした」「できませんでした」というのが本当に正しい報告と呼べるでしょうか。本来であれば早期に対策を講じるために
「スケジュールを調整いただいてもよろしいでしょうか」
「一人ではできそうにないので、ご相談させてください」
など中間報告を速やかに実施しておくべきですよね。それすらもできていなければ、よりセルフマネジメントが疎かになっているのだなということがわかることでしょう。
またコンディションマネジメントであれば
・プライベートが翌日の業務に支障をきたさないよう配慮できているか?
→朝方まで酒を飲んでいたり、徹夜でゲームしていたりしていないか
・暴飲暴食などで、体調等に支障をきたしていないか?
・自身のメンタル状況が把握できているか?
・不調になる可能性が分かった時点で相談や改善の対策を講じているか?
などが該当するでしょう。要するにただの「体調管理」です。
こちらも、1つでもできていなければできるようになる努力をしていなければ、「自己管理」ができていない人の典型と言っても過言ではありません。
集団活動に従事する以上、
・他人に迷惑をかけていないか?
・協働において、情報の制限・制約をかけて支障をきたしていないか?
・他人から不満やクレームや嫌われるようなことはしていないか?
といったことが重要になってきます。
コラボレーションマネジメントを疎かにする人は、集団活動のマネジメント(≒PMBOK)で言うところのステークホルダーマネジメントもたいてい疎かにしています。自己中心的な視点しか持たず、自分以外の利害関係者の存在を無視した行動をとってしまいがちだからです。そしてその問題の殆どが情報連携/情報共有の不備といった形で如実に表れます。
これらの成否は、今までの仕事への取り組み姿勢が大きくかかわってきます。
ここで強調しておきたいのは、
「人は、自分が経験したことをもとに行動し、結果を得ている」
という点です。そして私たちはだいたいそれを無意識で未来の行動に還元しており、意識的に行われることはほとんどありません。
しかしセルフマネジメントは、もちろん所属している組織やその動向、戦略、資金、業務、そしてお客さまなどの外界をマネジメントすることでもありますが、さらに「自分の内側で何が起こっているのか」に関しても意識的にマネジメントすることが求められています。
「プレッシャーを、感情的な反応を想像し、マネジメントできるか」
「思い込みやバイアス、期待や判断が何なのか、何から来ているのか」
「そして、それらが企業や家族のために可能性を生み出しもすれば、制限/抑制をする可能性もあることを理解できているか」
といったことについても、常に自分の中で一定の答えを持っていなければなりません。それが意識的であるということです。
必要なのは、自分の外側にある世界と内側にある世界をどうマネジメントすればいいのかへの理解と、移り変わりの早いこの世界でセルフマネジメントを絶えず繰り返し実行することです。
しかし、
人は自分がやっていることの9割は意識していません
たとえ話をしましょう。
他者や、今起こっていることによく注意を払えばいいだけのシンプルなことのように思うかもしれませんが、これらは普段「ほとんど見えていないもの」です。その時、その場の雰囲気と感情でパッと出てくるだけで、マネジメントして行っているものではありません。
人は、自分がやっていることの9割は意識してコントロールいないのです。
実際、その瞬間瞬間に自分が何をしているかなんて見えていません。
たとえば、次の絵を見てください。
何に見えますか?
地図ですか?骸骨ですか?それとも何かカオスなものですか?
実はこれ、牛なんです。
「はっきり見えている」と思いこんではいても、実は見えていない…と言うことはよくあります。
「何を今体験しているのか、そしてそれが自分の選択肢や次の行動、
それから何よりもどんな結果を得るのかに影響してくる」
ということを知覚できるようになることがセルフマネジメントのもっとも重要な部分になります。要するにどれだけ客観視できているか、ということですね。
知覚できるからあらかじめ予測もできるし、対策を講じておくこともできるし、それらの集大成によって計画を立てられるようになるし、その計画に対して行動もできるし、細かい点をコントロールすることも可能になりです。
そして、そう言った一つひとつの活動があって初めて「結果」がついてきます。最後は常に「結果」が重要になります。
「その結果を望んでいるのか、いないのか」ということです。
もっと具体的に言えば、
「望んだ結果にするためには、どのように意識して行動すればいいか?」
その因果関係を意識して考えることがマネジメントのゴールになります。
では、また別の見方をしてみましょう。
こういったものに注意を払うようになったとして、またあのクライアントからの電話を取った時には怒らずに「おばあちゃんに話す時みたいに優しくしよう」といった別の選択を取ることができるかもしれません。
それがもしかしたら別の未来をもたらすかもしれません。
すなわち、
「どんな未来にしたいと望んでいるのかを考える」
「自分が取ったリアクション、その一瞬が自分の未来を創っている」
「望んだ未来(結果)にするために、どうすればいいかをマネジメントする」
ということに尽きるわけです。
自分自身に聞いてみてください。
「私たちの行動はどのように「意図せずに」可能性を制限しますか?」
「ネガティブな感情・反応は、コミットメントやイノベーションをどのように損ないますか?」
「今よりも良い結果を生み出すことができると思いますか?」
「できる」と思ったら、
「自分自身の状況をよくするために、具体的には何をしているのか」
「どうやって問題となっていることについて、関係者に率直に話すのか」
さらに自分自身に聞いてみてください。
理解し、予測し、望んだ結果をイメージし、
そうなるためにはどうすればいいかを考える
セルフマネジメントに限った話ではありませんが、少なくとも自分たった1人さえそれが叶わないのであれば、チームをマネジメントするなんてことできるはずがありません。
できたとしてもそれはメンバーがよほど優秀で、メンバーのおかげでできたにすぎません。けしてチームのマネジメントによって実現できたわけではないのです。
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