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判断を迫られたとき迷いや悩みはなぜ起きるのか

ものの見方や考え方で重要なことは、大別すると3つあります。

言ってみれば、それら3つの要素のうちのいずれかあるいはすべてが満たされていないから迷いや悩みが生じるわけです。ですが、多くの人はそうしたことを学校でも社会でもなかなか教わりませんし、知りません。

まず第1は、「現象面だけにとらわれない」ことです。

たとえば、仕事上で問題が発生した場合、発生した事象への対応は素早く行うのが鉄則となりますが、その後の恒久的対策はよく考えて行うことが重要となります。このときの「よく考える」ことが、ものの見方や考え方の在り方につながってきます。つまり、ものごとの本質を見極める思考をすることが重要となってくるわけです。

第2は、「“もの”と“こと”を分けて考える」ことです。

経営用語では、仕事の鉄則を『現場・現物・現実』の三現主義という言葉で表現していますが、これが徹底されている企業や上司、社会というのは存外少ないものです。絶対に誤った認識をしないためには、他人から聞いた内容から頭の中でのイメージするだけではなく、実際に現場に赴き、現物を観察して、現実を歪曲することなく認識した上で判断することです。

そして“こと”の本質を見極めるには、自分の目で確かめるということと、“こと”の分析が重要になってきます。現場に赴いても“ものごと”の“もの”は見えても、“こと”は見えない場合があるものです。

“もの”とは、問題の事象を目で確認できる物理的な形としての存在を指します。たとえば、現物の破損、欠損、摩耗、変形、変色などがこれにあたるといっていいでしょう。これに対して“こと”は事象の状況であり、時間の経過によって背景も変化し、その存在が明確ではなくなる場合もあるため、速やかに三現主義が徹底できない現場ではどうしても見えなくなってしまうことがあるのです。

そして企業で発生する問題事象には、“もの”と“こと”が重なった問題も多く存在します。当然です。常に片方だけしか存在しない…なんてことはありません。

たとえば、顧客から納入した機械が故障したのは品質上の問題であるというクレームがあったとしましょう。ところが、早速訪問し、顧客が問題だと指摘する個所を点検しても故障となる現象は再現せず、その原因となる症状も発見できない…ということはITの世界にだって起こりえます。こうした場合、技術者としてどう判断すべきなのでしょうか。“もの”だけに固執しないで、どのような状況で“こと”が発生したのか、前後のプロセスに着目して判断することが大切となってきます。

そして最後に、第3は「自分の思考力を出しきって判断する」ことです。

自分なりのものの見方、考え方をするという意識を常に持つことです。人間という生き物は、世の中のことをすべて経験できるわけではありません。そのため常に経験則で判断することは不可能です。そういった場合に、未経験のことでも過去の類似経験とこれまでに吸収した知識を応用・駆使して考え抜くことです。世の中の「優秀」と呼ばれる人たちはすべてそのようにしてあらゆる課題と向き合ってきました。

ものごとの本質を見極めるにも、その都度逡巡していては混乱してしまうだけです。まして仕事となると時間の制約もあることでしょう。ここで思考が堂々巡りしないためには、論理的思考法などを用いると少なからず役に立つこととなるでしょう。


他人からの評価が気になり悩む

仕事上で判断するときに生じる迷いや悩みの根底は、ものの見方や考え方に自信がない場合に起きることが多いのではないでしょうか。心当たりのある人も多いかもしれません。人は自分のものの見方や考え方に確信がないと、その社会性ゆえに自分が下した判断に対する他人からの評価や反応が気になり、それで悩むことが多くなるようにできているからです。

 自分で判断しなければならないのに、判断に自信がない

というジレンマが悩みをもたらすとも言えるでしょう。

迷いも同じようなことではありますが、どれを選択すべきか選択の基準があいまいな場合に迷うことになります。分かりやすく言えば、

 迷い : どうするかはわかっているが、方向が決断できない状況
 悩み : どうするかもわからない状況

を指すのだと私は考えています。つまり、ものごとの位置付け自体が分からない状態にあるのでしょう。山の中で現在位置を見失い、地図を見ても磁石を使っても、まったく役に立たないような環境に置かれている感じとなっているのを想像してみてください。

悩んだり迷ったりする大半の場合は、「制約条件がない」ときです。

たとえるなら、白紙を渡されて「好きにデザインせよ」と言われるようなシーンをイメージしてみてください。提出後、厳しく評価されるのに事前に評価基準を教えてもらえない。どうすることが正解なのかイメージすらできない。ヒントもない…。

これをITの開発プロジェクトにあてはめると、たとえば「要求仕様もなし、制約条件もなし」といった状況と同じようなものです。

ということはすべてにおいて自由なわけですから、それこそ本当に自分が「良い」と思ったものを、自分の能力を最大限発揮して取り組めばいいのですが、常日頃いくつもの制約条件の中で判断をせまられることが多い多くの社会人にとっては、「自由にやれ」と言われると逆に不自由を感じてしまうのではないでしょうか。

自由を与えられたということは大きな責任と権限も与えられたと解釈し、問題を生じさせない責任を以って好きなようにやればよいのですが、白紙で自由にデザインするにはそれを実現するだけの相当な力が必要になります。

いわばその力がないから不安を掻き立て、迷い、悩むことになるわけです。

自分の頭で考えて判断する

これだけは知っておいていただきたいのですが、そもそもものの正しい見方や考え方、判断力などは生まれたときから備わっているものではありません。誰もが後発的に身につけるものです。どんな天才でも、どんな才人でも、生まれたときからこうした能力がみについていたわけではないのです。

その意味では何歳になっても「手遅れ」ということはありません。

もしも身につけたいと思うのであれば、常日頃から自分の頭でものごとの本質を探ってみることです。本質とは、そのものごとを分析して最も強い影響を与えている要因のこと、つまり原因と言えます。

本質を見いだすには表面的な事象からその内部をさらに探究し、それ以上の探究が不要と判断した段階、つまりこれ以上は掘り下げることができない判断できる段階まで達することが重要です。時には、従来とは違った切り口で探究してみることも必要となってくるかもしれません。

そして、ものの正しい見方や考え方を身に付ける上で最も良くないことは、

 「他人の判断結果を鵜呑みする」ことや
 「他人を頼りにする」こと

です。たとえその結果が同じとなるにしても、自分の頭で考えて、「自分の生み出した答え」を信じて行動することが大切です。それで間違えてしまうこともあるかもしれませんが、自分で考えた結果であれば後悔や反省もあるでしょうが、他責にできないぶん納得はできるはずです。他人の言葉や評価をあてにした結果、間違えたとなれば責任の取りようがありません。他責は都合のいい言い訳によく使われますが、多用すれば自らを振り返る癖を永久に失ってしまいかねません。

日ごろの習慣として、自分の頭で考えてみることが最も大切になります。

部下を持つか否かに関わらず責任のある立場になれば、自分の思考力を生かして判断しようとする意欲が重要です。仕事での意欲、つまりやる気は、志があってこそ湧いてくるもの。ものの見方、考え方、判断という大事なことを他人任せにしては、自分がますます頼りなくなってしまいます。

それでも自信がない方は「仮説を立て、検証する」方法を実践してみましょう。仮説には責任も自信も必要ありません。そもそも自信がないからこそ、仮説検証を行いながら進めていくことになるのです。誤っていてもいいので、誤りを自分のなかで改修・改善できる範囲の作業に区切って仮説→実践→検証を繰り返してみましょう。

計算問題の検算とまったく同じです

仮説とは、現在位置を見失った山の中で、一応のベクトルを指し示してくれるものです。もちろん突拍子もない仮説では意味がありませんが、根拠が伴えばそれなりの確度となりますし、それなりに確度の高い仮説であればまずはその方向に向かって進むことができ、且つ仮説を設定し、設定した仮説が正しいかどうか調査を進めることで効果的に結論を見出すことが可能になります。少なくとも、立ち止まって「迷う」「悩む」という問題から解放されることになるでしょう。

周りの人の力も借りる

ここでは、他人にすべてを委ねるのではなく、あくまで自分の背中を押すための1つのきっかけを作るという意味で聞いてください。

そもそも「迷い」や「悩み」がなぜ起きるのか、今一度整理しておきましょう。

  1. 迷いや悩みの状況

    • 判断すべき状況の本質が分からなくなる時

    • 判断すべきことが何かわからない時

    • どのような判断をすべきかわからない時

  2. 迷い・悩みの理由

    • 今すぐ判断すべきか/後回ししても問題ないか(目的)

    • 判断すべき事柄に重要性はあるか/つまらない事柄か(意味づけ)

    • 正しい判断を下せているか/間違った判断をしていないか(責任感)

    • 良い判断と評価されそうか/悪い評価と判断されそうか(自己防衛)

迷いの根本には、自分の位置付けが分からなくなっていることがあります。登山で言えば、山中で迷い込んでいる状態です。自分の頭の中で堂々巡りしているときは、少し客観的に自分を眺めてみることで頭を冷やしてみましょう。

どのような人でも迷いや悩みはあります。

当事者も、初めから迷うつもりはなくても次第に迷っていってしまうこともあるものです。迷いを晴らすにはその原点に立ち返ることが基本ですが、無理に一択に絞り込もうとするのもまた視野狭窄に陥る悪手です。

様々な選択肢を持って柔軟に考えましょう。

周りの人の力を借りることも有効な方法です。心底悩んだとき、迷ったときに良い意見をもらえる人がいると心強いものです。客観的な立場にある同僚や上司のちょっとしたアドバイスで悩みが解消し、迷いが晴れることもあります。さらには問題や課題を言語化しているうちに自身の脳内が整理されて雲が晴れるかのようにひらめくことだってあるはずです。しかし、そうなるには、自分が十分に考えて腐心した上で、というのが前提です。

そして、日ごろからの良好な人間関係とコミュニケーションが、このようなときに役立ちます。日ごろのコミュニケーション不足や良好な人間関係を断つことは、それだけで「悩み」や「迷い」を解決するための選択肢を1つ失っていることと同義になるのです。

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