たべドリペライチ

クックパッドの新サービス、おいしいたべかた学習ドリル - たべドリ - をつくったワケ

はじめまして、クックパッドの須藤と申します。
今回は、私達が現在開発しているアプリ、おいしいたべかた学習ドリル - たべドリ - について書かかせて頂こうと思います。noteは初投稿となりますが、よろしくおねがいします。

はじめに

クックパッドでは、レシピサービス以外にもいくつかのサービスや事業を展開していることをご存知でしょうか?私達が開発しているアプリ「たべドリ」もそのうちのひとつです。

私達のチームでは、「料理ができる!を楽しもう」をスローガンに、少しでも多くの人に料理をするという行為の楽しさを伝えたい、また、料理の捉え方がこれまでとはガラッと変わるような、そんな体験をつくりたいという想いで日々アプリを開発しています。

プロジェクトをスタートしてから約18ヶ月が経過し、先日のアップデートでようやく当初思い描いていたアプリの姿に近づけることができました。これまでの思考の過程は、今年の2月に登壇したcookpad tech conf 2019というイベントでも発表させて頂いたのですが、今回は、そのときにはあまり触れなかった、なぜこのアプリを作ろうと思ったのか、そして何を実現したいのかといった「想い」の部分を少し掘り下げて書かせて頂こうと思います。

おいしいたべかた学習ドリル - たべドリ - とは?

たべドリは、料理の上達をサポートする学習アプリです。実際には学習アプリというより、トレーニングアプリと表現した方がイメージしやすいかもしれません。英語の単語や文法をどんなに覚えても英会話がままならないように、料理の上達にも、繰り返しやってみるという実践経験が欠かせません。とは言え、要点を押さえないままにレシピの指示に従うだけの料理を繰り返していても、「料理ができる!」という実感を得るまでには相当な時間がかかります。

これは、間違った知識をもとに筋トレを続けても、なかなか筋力が上がらないことと良く似ています。短期間に効率よく上達を実感するには、押さえるべき要点である基礎的な知識と、それらを応用した調理技術の両方を、実践を通して着実にモノにしていくトレーニングが必要です。

私達のプロジェクトは、そのための学習メソッドを誰もが実践できるように体系化し、アプリの利点を活かした学習サイクルをつくることで、上達を目的とした料理の習慣化を促そうという非常にチャレンジングな試みです。そして、その成果物のひとつが、おいしいたべかた学習ドリル - たべドリ - というアプリになります。

このプロジェクトを始めた理由

学習やトレーニングと書くと、ただでさえ面倒に感じがちな料理がいっそう億劫なものになりそうですし、そもそも料理って、「そこまでして出来るようにならなければいけないもの?」という疑問が湧いてくるかと思います。プロの料理人になりたいわけでもなく、何かの資格を取りたいわけでもない多くの人にとって、料理は普通、しっかりと学ぶべき対象とは映らないからです。

ではなぜこのプロジェクトを始めたのか?

きっかけは、自分自身の日々の料理に、そのままでは解決し難いある種の不自由さを感じはじめたことでした。

私は料理をすることがどちらかと言えば好きな方です。見よう見まねではありましたが、それなりに長い期間、自分のために料理をしてきましたので、レシピがあれば大抵の家庭料理は美味しくつくることができます。

ただ、私にとっては、この「レシピがあれば」という部分が問題でした。

定番のきんぴらごぼうも肉じゃがも、これまでに幾度となくつくってきました。使う食材や大枠の工程はなんとなく頭に入っていて、あとは組み立てるだけという状態のはずが、いざやろうとすると調理をする手が止まってしまうのです。

先に炒めるのはどっちの食材だっけ?しょうゆとみりんと、砂糖は必要なんだっけ?それぞれの調味料はいつどれくらい入れるんだっけ?頭で覚えきれていない手続きの一部や細かなパラメータが気になって、まるで正解探しをするように、結局は毎回レシピを確認する。切ったり焼いたりといった基本的な調理を器用にこなせるようになるほど、確認のためにレシピを見るというほんのちょっとのひと手間がすごく面倒で、言いようのない不自由さを覚えるようになりました。

料理は毎日のことなのに、いざやろうとすれば、それを満足にコントロールしきれないもどかしさを感じる。

このプロジェクトを始めた理由は、これをなんとかしたいと思ったことでした。

クックパッドに感じた万能感

もう十何年も前のことですが、初めて一人暮らしを始めたとき、食事は不安の種のひとつでした。

そもそも作れる料理なんて数える程しかないし、どんな食材を買ったらいいかもわからなかったので、もっぱらスーパーやコンビニの弁当ばかりを買って食べていました。ときどき思い立ってカレーライスをつくっても、まだ沢山残っている鍋を夏の暑い日に放置して、蓋を開けたらカビが生えていたなんてこともあり、自分一人のために料理をつくるのは非効率だなと思ったものです。とはいえ、健康面での不安は拭えず、また、外食や中食ばかりでは、それなりのお金もかかります。

その状況を救ったのは当時はまだ珍しかった、インターネット上の無料レシピサービスであるクックパッドでした。

クックパッドは余らせた食材を捨ててしまうことの罪悪感から私を守り、それどころか、家庭ではつくれないと思い込んでいた数々の料理を、いとも簡単に再現する方法を教えてくれました。

掃除や洗濯など、一人暮らしをする上での厄介事はいくつもありましたが、とりわけ不安に感じていた食事の問題は、クックパッドが一瞬で解決してしまいました。

その時の気持ちは鮮明に記憶していて、「これで料理ができるようになる!」というよりは、「もう料理については考える必要がなくなる、自分で頑張らなくてもなんとでもなる!」という感覚に近く、まるで、困ったらいつでもそばにドラえもんがいる、のび太のような万能感を覚えたものでした。(この衝撃はあまりに大きく、これがきっかけで後にクックパッド社に入社し、今に至るのでした)

以来長らく、レシピをみながら料理をすることが自分にとっての当たり前になりました。

気が向いたときにつくる日々の料理はもちろん、魚介を沢山買ってきてホットプレートでパエリアをつくったり、激辛の韓国料理をつくったり、男の料理のようなものにもずいぶんとハマり、当時を振り返ると呑気に楽しく料理をしていたように記憶しています。

レシピに依存した料理に感じた限界

その後、家族ができ、二人の子供も小学生になり、同じ料理を全員で食べる日常が当たり前になった頃でしょうか。家族のために食事をつくるという家事が、やらなければならないものとして完全に生活に組み込まれたとき、楽しかったこれまでの料理スタイルが、次第に無理のあるものに感じられるようになってきました。

子の親としてできるだけきちんとした食事を、自分の親がそうしていたであろうように、一汁三菜のバランスのとれた献立を自分もつくらねばと、意識するようになったからかもしれません。しかし、これまで何をつくれば良いかをレシピ検索に頼り、見つけた料理を、レシピの指示にただ従ってつくってきた自分にとっては、そんな献立を毎日提供するなんて、到底続けることのできないハードモードのゲームのように感じられたのです。

そんな自身の課題を解決するために、クックパッドの検索サービスにいくつもの機能を追加しましたが、その状況を大きく改善することはできませんでした。

方程式のような料理の発想法

そんな状況に一筋の光が見えたのは、ある機能をつくっていたときでした。

ごぼうを炒めた料理である「きんぴら」、揚げた料理である「から揚げ」といった具合に、ひとつの食材の色々な食べ方を「煮る」「焼く」「和える」...などの5つの調理法ごとに整理して提案するUIを持ったその機能は、料理は方程式のように捉えることができるという新しい気付きを私自身にもたらしました。

「から揚げ」と言えば、鶏のから揚げをパッとイメージしますが、から揚げという「食べ方」側からそれに合った食材を見てみると、鶏肉の他にも、ごぼうや里芋といった野菜でも、白身魚やタコなどの魚介でも、実に様々な食材でつくることができることがわかりました。また、どんな食材でつくるから揚げでも、味つけという変数を動かせば、醤油味だけでなく、塩味やカレー味など、いくらでもバリエーションを増やせるということに気がついたのです。

今思えば笑ってしまうくらいにあたり前のことに思えますが、料理を食材と味つけ、調理法に分解し、それぞれの変数を動かしながら変化を付けるという、方程式のような発想法は、当時の自分にとってはちょっとしたパラダイムシフトであり、再び楽しく料理が続けられるようになるきっかけとなりました。

料理の捉え方が変わることで訪れた変化

料理を方程式のように捉えることで、自分の料理は驚くほどシンプルなものになっていきました。

人参をグリルで焼いて塩をふる、焦げ目が付く程度に香ばしく焼いたアスパラをマリネする。そんな簡単なおかずがテーブルの上にいくつも並び、そのどれもが今までの自分の料理では味わったことがないほどに美味しい。こうした料理をつくるうちに自分の中に起きたもうひとつの変化は、それぞれの食材が本来持っている、食材そのものの純粋な味や食感の素晴らしさ、そして、「それを引き出して楽しむ行為こそが料理なのでは?」という気付きでした。

自然の豊かな場所に旅行に行き、目的地に着いて車や電車を降りた瞬間に、「なんて空気が美味しいんだ!」と思った経験があると思います。空の青さや、木々の緑が色濃く鮮やかに見えたり、ひねった水道の水が刺すように冷たく美味しかったり、普段からあたり前にそこにあるはずのそれらが、全く違って見えるような体験を、毎日の料理の中に見つけたのです。

こんな料理なら続けられる。そう確信した瞬間でした。

もともと、レシピを見ないと作れないほどに複雑な料理を頑張ってつくる必要はなく、だれかに求められていたわけでもありません。料理とはそういうものだと思いこんでいたのは自分自身であり、自分や家族にとって丁度いい料理が何なのかを納得して決められたらそれでいいと思えた途端、ゲームは超イージーモードに変わっていました。

学ぶことで得られた料理の楽しみ

そんな料理を不自由に感じることなく続けるために、料理の基礎的な知識をもう一度おさらいしてみることにしました。これまで見よう見まねでやってきたので、実際にはおさらいというより初学に近く、知ること全てに新しい発見と納得がありました。また、学びの成果がそのまま毎日の食卓になっていたこともあって、机でする勉強のような感覚には一切なりませんでした。

ゆでる前に水にさらしたり、少しだけ切り込みを入れたり、塩をふってしばらく待ったり、一度フライパンから取り出して、また戻したり...。レシピには書かれていない、その処理の目的に意識的に目を向けてみると、理屈は意外とシンプルで、ひとつ覚えれば色々な料理に応用が効くようになるのでした。

そして自分でも意外だったのは、そこから新しい発想が生まれるということでした。

豚肉を焼くときに、あらかじめ粉をまぶせば、肉のうまみも流れ出ないし調味料も絡みやすい。そうと知ったら、同じことをじゃがいもでやったらどうなるだろう?タレで仕上げるときと、塩で仕上げるときで、どんな差がでるのだろう?基礎的な知識のインプットとそれを実際に試してみる機会が増えるたびに、まるで実験のような新しい発想が次々と勝手に浮かんでくるのです。そして、自分なりの試行錯誤が思った通りの結果になったとき、また、思いもよらない変化を見せて、びっくりするほど美味しく仕上がったとき、「料理はなんて楽しいんだ!」と思うのでした。

これに気がついた今、もう料理に「正解」を探す必要はないと感じています。自分にとっての料理は、もっと自由でクリエイティブなものだったのです。

自分の料理を楽しむということ

料理を楽しむということは、楽器を演奏することに似ているなと時々思います。

楽器を始めたばかりの頃は、たった4小節のフレーズを弾ききることに精一杯ですが、楽譜を見ながら練習し、1曲通して弾けるようになるたびに、様々な知識や技術を習得していきます。ある程度の技術が身につけば、複数人でのアンサンブルを楽しむことができるようになりますし、互いの演奏に触発されて、自分のプレイが様々に変化していくセッションは、楽器演奏の醍醐味です。

沸騰した鍋の中に放ったオクラがみるみるきれいな緑色になっていったり、フライパンに割り入れた卵が、パチパチと音を立てながら香ばしく焦げていく様子を観察しながら、ベストなタイミングを見計らっているとき、それはまるで食材と自分とのセッションだなと感じるのです。

楽器を自由に扱えるようになるには相当な努力が必要ですが、料理は違います。

料理は簡単なんて、分かったようなことを言うとプロの料理人の方に怒られてしまうかもしれませんが、2年生の息子でも、ちょっと教えたその日に肉じゃががつくれましたし、今では勝手に油をひいてウインナーを炒めては、「父ちゃん、料理って簡単だね!」とわかったようなことを言っています。

音楽のセッションに決まったルールが無いように、私の息子にとっては炒めたウインナーが立派な料理であるように、毎日の料理は、それくらい自由な発想で気軽に楽しめばいいんだと思います。

このプロジェクトで実現したいこと

私がこのプロジェクトを通して実現したいことは、自分の感覚で料理ができることの楽しさを一人でも多くの人に伝えたい。この一点に尽きます。

いままで私がお世話になってきた、レシピサービスであるクックパッドにレシピを投稿してくださる作者の方々は、きっとこの楽しさを知っているのだと思います。

料理という行為そのものが持っている自由でクリエイティブな楽しさを、私がそうであったように、多くの人が気づけるようにサポートしたい。
そうして、料理のつくり手を増やすことで、クックパッドはこれからも、もっと多くの人が楽しめるサービスになれると信じていますし、たべドリがそのきっかけをつくれたらと思って日々奮闘しています。

というわけで、おいしいたべかた学習ドリル - たべドリ - の今後を末永く見守って頂けると幸いです。

長文をお読み頂きありがとうございました。



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