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非常識な私は、人間としての常識を学びたかった

法学部でも学べなかったことを、全部旦那さんが教えてくれている。

ーー人間としての常識。
ーー距離感と心構え(器)

旦那さん本人はただ普通に生活しているだけなのだけれど、私にとっては母(=旦那さん)からもう一度人間としての生き方を教えてもらっている気がする。

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私は大学の進学先を決めるの際に「20才になったら社会的にアウトなことを知らずにしてしまい、捕まるかもしれない」という恐れから、法学部に進むことを決めた。
法学部で、人間が創り出した“法や常識”について学べば、人間としての基礎を学べるかなと安直に思ったのである。

だがしかし、(皆さん勘づいているように)法学部では私が期待する常識について学ぶことは出来なかった。

結局そのまま、よくわからない状態で社会に出てしまった私は、やはり自分の振る舞いが正しいのか間違っているのかわからずに苦労した。(表面的には優等生タイプなので、むしろちゃんとした人間っぽく見られていたように思う)

なんとなく、「こんな行動をすれば批判されずに・攻撃されずに済むだろう」ということは、これまでの人生で人の顔色ばかり見てきた私の防衛本能として身についていたが、それをすればするほど“本来の自分”からはかけ離れていって心と身体が乖離していった。

頭でっかちな“常識”ではなく、その心に至るまでの哲学、そして品位ある振る舞いとはなにか。
それが知りたかった。

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社会に出て学んだことの一つが、『みんな自分の常識で動いてるからみんなどこか狂っている』ということだ。

ある程度偉い人とか、役職を持っている人、人をまとめる立場にある人はそれなりに人間としての正道と言われる常識を身につけているのだろうと、社会に出る前の私は盲目的に思っていた。

そして、私自身に“常識”という言葉が全く当てはまらない(常識からかけ離れている&かけ離れようと意図してる)からこそ、余計に「偉い人はきっと常識的なすごい人だ」というバイアスが強くかかっていたように思う。

しかし、(仕事などで)一緒に過ごす時間が長くなるにつれ、私が出会った多くの人はみんなどこか狂っていた。

それが悪いとか、残念ということではなく、むしろ非常識な私は「みんな一緒なんだ」と安心感を覚えた。

しかし、それでは一向に私の命題は解決しない。
私の命題:『人間としての常識ある行動を学ぶ』

この答えのない道は私のなかで大きな岩のように立ち塞がり、その先に進むことを拒む要素になっていた。

だから横を見て“みんな一緒なんだ”と感じることがゴールではないと直感していた。

横を見て、多様な常識を受け入れる、まずその段階を経て、適度な距離感・品位ある行動で人付き合いをするということが大きな私の課題。その課題はおそらくこれからも長いこと継続しなければならない。(7ハウスキロン持ち)

大人になり、社会に出て一度ぐるーっと自分の体験として見て回る中で、やっと私が求める常識的な人はほんの一握りしかいないと理解した。

そして幸運なことに旦那さんという身近な構成員(笑)が、求める常識的な人としてぴったりだった。
そして私は5才児が「なんで?なんでー?」「なんで空は青いの?」と聞くように、
日々色んな人間の裏ロジックについて旦那さんの意見を求めている。

旦那さんのA面は非常に常識的なので(B面の奥深さがA面の品位にも活きている)私は、私が求める振る舞いを素直に学ぶことが出来ている。
旦那さんのロジックや振る舞いは私にとって非常に興味深いものだ。


そして旦那さんの言葉から「品位のない行動はしなさんな」とか「私利私欲ってこと」とかいう、
「へぇー、人間ってそんなことの為に争うんだ」という自分にはない常識に基づく行動について勉強している。

とはいえ旦那さんも『欲にまみれたこと』や『品位のない行動』をする人間を一刀両断するわけではなく、“人間とはそういうことをするものだ”というスタンスで説明をしてくれる。
(8ハウス蠍座太陽冥王星が効いてると思う)

そこがまたいい。

昔の頑固親父というわけではなく、“仕方のないことよ”という前提で裏ロジックを理解してくれている。
そこにさらに品位を感じる。

品位って、人間のB面や影の顔、清濁併せ呑んだ後に生まれ出る透き通った上澄みのようなものだと思う。
品位ある人は人間への理解が深い。だから品位ある人にはこちらも本当のことが言える。

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旦那さんが品位ある人としてすごいと思っているのは私目線のことであって、本人はただただ普通に暮らしているだけにすぎない。

でもその“普通に暮らすこと”に凄く苦手意識があり、自分の振る舞い一つひとつが気になってガチガチになっていた私からすると、凄く心強いモデルパーソンである。

もちろん、私から見ても“それは違う”という旦那さんの行動は多々あるけど、普段から『なんでなんで星人』として会話をしているから指摘もしやすい。

そして、常識を学べば学ぶほど、私の非常識さは封じ込めるべきものではないことも、ようやく理解した。
この非常識さを活かしまくって、社会と繋がるために、やはり土台である“常識”を知ることは継続して学ぶべきだと思っている。
(発射台を定めるイメージ)

過去を振り返ったら、あんな問題もこんな問題も、表層的なことでしかなくて、本当はこういうところにつまづいていたんだなぁという気づきだったので、記しました。

おしまい。

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