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ルーヴル美術館展 ジャン=オノレ・フラゴナール《かんぬき》からの妄想

ルーヴル美術館展 愛を描く。初日に観覧してきた。すばらしい絵ばかりだったが、感想(妄想)を書きやすい《かんぬき》をご紹介。
以下、公式サイトの紹介文を転載。

18世紀のフランスでは、自由奔放な性愛の快楽を肯定する「リベルティナージュ」という思想・生き方が、上流社会の一部の知的エリートの間で流行しました。「リベルタン」と呼ばれた彼らのこうした態度の裏には、それまで人々の道徳観の土台をなしてきた、キリスト教的な知や宗教的権威への批判精神があったともいわれます。リベルティナージュの風潮は、文学や美術にも反映されました。その流れを汲む傑作が、18世紀後半に活躍したフラゴナールの代表作《かんぬき》です。《かんぬき》はもともと、キリスト教主題の絵画《羊飼いの礼拝》と対をなしていました。近年の研究では、これら二作品をフラゴナールに注文した美術愛好家のヴェリ侯爵は、おそらくリベルタンであったと考えられています。
暗い寝室のなか、スポットライトのような光に照らされた一組の男女。二人は優雅にダンスをしているかのようですが、女性は男性から顔をそらしています。彼女は情熱と欲望に駆られた男性の誘いを拒もうとしたものの、彼が扉にかんぬきをかけた瞬間、身をゆだねたのでしょうか。それとも、当時のリベルタンの恋愛作法に則して、抵抗を演じているだけなのでしょうか。戸惑いとも陶酔とも受け取れる女性の表情は、一瞬の心の微妙な動きを映し出しているように見えます。画面には、かんぬき(男性性器の暗示)、壺とバラの花(女性性器・処女喪失の暗示)、乱れたベッドなど、濃密な愛の営みをほのめかす事物が描き込まれています。一方、ベッドの脇のテーブルに置かれたリンゴは、人類最初の女性であるエバの誘惑と原罪を連想させるモチーフです。 官能的な愛の戯れの賛美なのか、道徳的警告なのか、あるいはその両方なのか。一義的には解釈できないこの豊かな曖昧さこそ、《かんぬき》の最大の魅力といえます。悦楽が一瞬にして暴力に転じかねない性愛の繊細さ、複雑さを、フラゴナールはみごとに描き切っているのです。

ルーブル美術館展公式サイトより転用
《かんぬき》

かんぬき、壺、薔薇、乱れたベッド、リンゴなどに暗喩がほどこされているらしいが、それはひとまず横に置いて。
まず何の予備知識もなくこの絵を見た場合、ある違和感をおぼえるのは私だけだろうか。女性の髪も服もそれほど乱れていないのに、男性は殆ど下着姿でしかも素足。あまりに簡素なものだから、最初はこの男の身分を疑った。平民のアンドレですら、オスカルの前でこんなだらしない格好をしなかったぞ。
さらに、彼の上着や靴が近くに見あたらない。手前の黒い布がそれかとも思ったが、それでも辻褄が合わないのだ。かんぬきをかける→服を脱ぐ→抱擁…ならともかく、どうすると、こういうシチュエーションになるのだろう。

ここから妄想。
男性は、ある上流家庭の若い後妻と愛人関係にあった。ある日ふたりが愛の睦言を始めようとした瞬間、後妻の夫が帰宅。慌てて部屋から男を追い立てる後妻(服と靴は後妻により、ベッドの下に隠された)。
下着姿で屋敷内をうろうろしているところ、この家の娘(先妻の子)と遭遇。騒がれてはまずいと近くの部屋に彼女を連れ込み…。

ヨーロッパでは珍しくもない艶笑譚になった。日本でもあったような…と記憶をたどったところ『源氏物語』の光源氏・空蝉・軒端の荻の関係性そのものだと気づく。私の妄想力はこの程度。

そう、つまりこの絵は、空蝉を逃した光源氏が、軒端の荻を抱きしめている図なのだ。そう考えるとこの服装も得心がいく。
女性の顔に浮かんだ嫌悪と期待と諦観も、なんとなく腑に落ちる。多分、この女性は男を憎からず想っていたような気がする。

絵画は、モチーフなどを勉強して解読するのも楽しいが、自分の妄想力で補完するのも面白いものだ。

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