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本を読む理由

思考力が高まる。視野が広がる。語彙力が増える。受験に役に立つ。

など、色々言われてきてますが、

いまいち決定的な理由って述べられてきてないと思います。


本を読むべき最大の理由は
「自分の人生を生きる」ため

だと思っています。


人生の流れは判断の積み重ねで決まります

そして、判断の積み重ねはその時点での知識で決まります。

その時点で知識の量や質は、環境で決まります。


逆の流れで考えていくと、

環境によって、得られる知識の量と質が変わり、

得られた知識によって判断の内容が変わり、

判断の結果、人生の流れが決まる。



環境によって人生の流れが決まってしまう理不尽さに対して「親ガチャ」などと皮肉を言いたくなるんだと思います。



僕自身振り返ってみると、多くの幸運に恵まれて、ここまで生きてきたと思います。
しかしそれは「運任せ」で生きてきたことを意味します。

そのことに気づいた時、なんかヒヤッとしました。


「誰と出会うのか」「周りにどんな人がいるか」については本当に運に頼るところが大きいです。

スティーブジョブズと出会って影響を受けて起業して億万長者になった人も、
出会っていなければ、サラリーマンとして人生を終えたかもしれません。


「人生ってそういうもんだよね」という捉え方もあると思いますが、


そもそも誰かと出会うか出会わないかで自分の人生が大きく変わるのって怖いくない?

と思うようになりました。


自分の人生を運に任せていること自体、危険です。

「運ゲー」の人生で当たりが続けばいいんでしょうけど、大きなはずれを引いた時の絶望感は恐ろしいですよね。



「環境によって、得られる知識の量と質が変わり」
という部分ですが、

ここは運要素が強いようで、実はコントロールできる部分でもあります。

コントロールするための方法が「本を読むこと」です。


日本の小学校には図書館があります。図書館には膨大な数の本があります。

運任せでは絶対に会えない人たちの思考にいつでも自分の好きな時に、好きなだけ触れることができます。


これはとてつもないチャンスなんです。


得られる知識の量と質を自分でコントロールできれば、
その後の判断の質もコントロールでき、
その結果の人生の流れもコントロールできるようになっていきます。

少なくとも運任せにするよりは全然違います。


例えば、ビリギャルの本を読んで、
「やり方次第で自分も慶應に行ける可能性がある」という知識が増えれば、
高校生の段階で「大学受験にチャレンジしてみる」という判断が可能になります。


周りに大学受験をする人がいなかったから、大学受験をしようとさえ思わなかった。
という判断をした人生とは全く変わっていくと思います。



「あの時知ってさえいれば」ということがこれまでの人生でも沢山あったと思います。
これまでと同じように、これからも「あの時知っていれば」ということが起きるわけです。
そしてその度に自分の環境を嘆くという。


「そういうことを教えてくれる存在が周りにいればなぁ」
「自分の周りにはいなかったから、しょうがないよね」
(僕自身同じようなことを言ってきた覚えがありすぎて辛いです。。。)



何十年も(何百年も)読み継がれている「名著」と言われるような本は、
「あの時知っていればよかった」と先人たちが思ったことがまとめて書いてあって、
だからこそずっと残っているわけです。


自分の人生を「運ゲー」にしてしまわないために、本を読むんだと思います。


英語を勉強したほうが良い、というのも、同じ理屈で、
英語で書かれた本の方がこの世には多いので、さらに得られる情報が増えるという。


結論、小中で学ぶ漢字の勉強だけは最低限頑張っておきましょう。
漢字ドリルは人生を変えます。

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