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【入賞御礼】古いスーツを捨てる。

書いたものがテーマに合ってるかもな~と軽い気持ちでタグ付けした投稿コンテスト、マイナビ様の #あの選択をしたから  

な、なんと入賞!! 

8月にnoteを始めたばかり、SNS連携もしていないフォロワーゼロの私にとって棚からぼた餅、ビギナーズラック、こういうのは本当にフォロワー数など大人の事情に関係ないのですね、、と驚愕しております。読んでいただき選んでいただき本当にありがとうございます。

そこでアンサーソング的な、その続きを一筆申し上げます。

着ないスーツは
ウェディングプランナーが着そうなスーツ。入学式用ママさんスーツでもなく、就活のリクルートスーツでもなく、冠婚葬祭の礼服でもなく、シュッとカッコいい黒。

黒のパンツスーツがクローゼットに増えていく。デザインも時代によって少しずつ変化し、20年経過した現在ではもうクローゼットは満杯だが、結局2〜3着のみを着回している。

着ないスーツをなぜ捨てられないのか。まだ着れるから、誰かにあげるかもしれないから、思い出が詰まってるから、もったいないから、なんとなく、、

しかし今回のエッセイの入賞で、心の整理とともにふとクローゼットも整理しようと思い立った。

こういうことは不図(ふと)やるのがよい。思い立ったが吉日なのである。

さてと。クローゼットに着手する前にまずは今着ているスーツのポケットに手を入れてみることにする。


ポケットの美学
モノが色々入っていてポケットが膨らんでいるジャケットを着ているとどうなるか。

まず重いので肩が凝る。必要なものが取り出せない。ちょっと何かを入れたい時に余地がない。第一見た目もダサい。ポケットが膨らんでいる人って気持ちに余裕のない、効率の悪い、汗をかいてせかせか動いてる人ってイメージ。(個人的見解)

余裕、遊び、アイドリング。
スーツにおけるポケット本来の役割。そもそもポケットはデザインでしかなく、モノを入れるためにあるのではない。そういえばウェディングドレスにポケットがあるものを見たことがあるが、その主張に痺れたものだ。

故に胸ポケットにペンを何本も挿していたり、パンツの後ろポケットにスマホを入れてお尻が四角くなっているのは美しくない。

美徳としては絨毯に落ちている小さなゴミを拾ってポケットに入れよ、という昭和の新人研修が思い出されるが、その教育のお陰か否か可愛いどんぐりやイチョウの葉が落ちていると拾い、ポケットに入れる癖がある。

どんぐりが入らないポケット。(←マイ格言)

これは余裕がないと急に来るチャンスを掴めないということを指す。どんぐりを握ったままでは次のアクションができないし、そのまま転んだら手を使えず顔面に怪我をする羽目になる。まずはポケットを整理してどんぐりチャンスに備えよ。

右のポッケにゃ夢がある
左のポッケにゃチューインガム

美空ひばり「東京キッド」

ポケットにいれるべきは夢。
ということでクローゼットも同様に、次なる夢と幸運の入る隙間を空けておくが吉。「もったいない」が聞いて呆れる不活性クローゼットとは金輪際オサラバなのだ。


変わる世の、変わり方。
結婚式のデザイン(スタイル)も時代によって変化する。ひとたび第一線から離れれば、浦島太郎状態で分からなくなりそうだと現場に出続けてきた私だが、

真っ只中に居ながら感覚が麻痺している状況は滑稽である。流行や風潮に合わせて柔軟に!とは便利な言葉で、時に加速する多様化に迷子になり、劇的変化に右往左往することになる。

変わるというのは軸があってこそ成り立つことであり、言い換えれば捨てるということに他ならない。

できませんの意味
「できません」とはもう二度と言いたくない。自分の心にそう誓ったあの出来事から12年。

東日本大震災の時「ごめんなさい。来週の結婚式できません」と言った。「何が何でもやる」より辛い事があると知った。

できませんの意味は二つある。一つは「不可能」もう一つは「やらない」

やろうと思えばできるのに「できません」と言うそのココロは、やりたくないという事である。なぜやりたくないのか、ブレない軸があるならば「できません」もありよりのありだ。

今になって思えば、震災の時のできませんは両方の意味だった。

空っぽに近い
ジャスコのスーツよ、今までありがとう。とりあえず形から入る私に勇気と自信をくれた君に敬意を表す。

どうか新しく心身にフィットするスーツが見つかりますように。

これが今現在の私のクローゼットに残る少しのスーツの、そのまたポケットの中身だ。


かしこ


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