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小確幸の日日

 むかしむかしから魔法使いといえば、十三歳の満月の夜に魔法使いのいない街を見つけて定住し修行を積むべし、とされたが、現代においてそれは容易いことではない。義務教育も終えていないものが、保護者の後ろ盾もなく、ひとりで暮らすのも、ましてや他の魔法使いがいない街を自分だけで見つけるのも、とても無理な話だ。
 そしてなにより、時が経つにつれ、強大な力を持つ魔法使いが少なくなり、ほとんどが周りのひとと変わらないくらいになっている。そうなるともう、みな魔法使いとは名乗らずひっそりと暮らしているのだ。
 もしかしたら、あなたの隣にも魔法使いがいるかもしれない。

 望もそういう魔法使いのひとり。
 時の流れとともに、ひとり立ちは十八歳になってからとなり、行く先に他の魔法使いがいても構わないし、黒っぽい服は毎日着ていると悪目立ちするからと、かえって注意されたりするくらいになった。
 相棒であり使い魔でもある黒猫についても、もともとひとのそばにいて不自然でないのが猫の姿であっただけで、最近では猫アレルギーのひともいたりするため、使い魔は無理に猫でなくてもよいとされている。母方のいとこである陣は猫アレルギーではないが、ハムスターを相棒にしていた。
 望はというと、十八歳の誕生日に両親に連れられて訪れた使い魔との顔合わせ会で出会った、オッドアイの白猫を相棒にしている。初めに目が合うやいなや、何故だか惹きつけられて目が離せなくなったのだ。ほかにも猫はもちろん、犬や別の動物もいたのに。
 使い魔にすると決めてから家に連れて帰り、あらためて名前はあるのか聞くと、かわいらしい見ために似合わない低い声で『真白』と名乗った。見たとおりの真っ白で艶やかな毛並みにぴったりの名前だが、こいつがまた生意気で、毎日着たい服を着て過ごす望に『魔法使いらしくねえな』とけちをつけるのが日課らしい。

 大学進学とともに親元を離れた望は、薬学部を修了後、小さな薬屋を開業した。
 しかし、初めのころはそれだけでは生活できず、朝には新聞配達のバイトをしていた。そこで手作りのちらしを新聞に折り込ませてもらったり、「よく眠れる薬」を気に入った新聞配達店の店長さんが近所のかたがたに紹介してくれたり、だんだんと軌道に乗ってきた。
 望の薬の効用は、大病を治す、などではなく、よく眠れるとか二日酔いに効く、気圧の変化による不調が治る、といったものばかりだが、そこがいいとみな言ってくれる。なんだか不思議とよく効く薬、と評判になっていった。
 薬草をいい感じに調合して、最後にかけるおまじないが望のささやかな魔法だった。


 ある日、望が店に着くと出入り口の前でうろうろする人影があり、ひと目見てぎょっとしてしまう。なぜかというとそのひとは上から下まで全身真っ黒だったから。
 まさか、魔法使い……? と、警戒すると、一緒に出勤した真白も気配を察して全身の毛を逆立てて尻尾を膨らませている。
 バケットハットを目深に被り、顔の半分を覆っているマスクまで黒い。望に気づくと駆け寄ってきた。こちらを見据える漆黒の瞳がきらきらと輝いている。
「望さんですよね? あのっ、ぼく、惚れ薬がほしいんです!」
「はあっ?」
 第一声、思ってもいなかったことを言われて声が裏返った。
『あわてんなよ』
 すでに落ち着いている真白の呆れたような声がおもしろくない。こほんと咳払いをして黒いひとに向き直る。
「まあ、ここじゃなんだから、中に入ってください」
 出入り口の鍵を開け、店内に招いた。

 黒いひとは和国と名乗った。大学の先輩に望の薬の噂を聞いてやってきたらしい。
 そんなのは無理だ、と言ってもまったく聞く耳を持ってくれない。どうしようか思案していると、受付カウンターの上に置いたクッションで丸まって座っている真白が囁く。
『なんか適当に調合してやればいいんじゃねえの』
「そんなのだめだよ」
 きゅっと真白を睨み小声で嗜めて、カウンターのすぐ奥にあるミニキッチンでお湯を沸かし始める。そして、和国にはよく近所のひとたちの溜まり場にもなるソファに腰掛けるよう勧めると、彼は帽子とマスクを外してひと息ついた。
 ものすごい美形ではないか。これには望と真白も思わず顔を見合わせた。
『なんだよ。惚れ薬なんて必要なさそうじゃん。なあ?』
「ほんとだねえ」
「え?」
 望の声に和国が顔をあげた。猫の真白が話す声はふつうのひとには聞こえない。
「あ、なんでもないです。ハーブティー、なにかおすきなものありますか」
「ミントティー、すきです」
「はい。じゃあもう少しお待ちくださいね」
 濃いめに煮出したミントレモンティーを氷で満たしたグラスに注ぐと、からんと氷が鳴り、仕上げに添えられたミントの葉とレモンの輪切りで、見た目も涼しげなアイスハーブティーになった。
「どうぞ」
 ソファの前のテーブルにグラスを置くと、和国はこくんと頷いてそれを手に取った。ひと口飲み込んで、目を閉じるとほっとため息をつく。
「おいし……」
 それを見て望も安堵し、尋ねたかったことを口に出した。
「そもそも、どうして惚れ薬が必要なんですか」

 和国は目を開き、顔をあげるとためらいがちに話し始めた。
「それは……大切な相棒に、すきなひとがいるので、叶えてあげたいと、思って……」
「あなたが使おうとしているわけではないんだ?」
「あ、はい。ぼくはとくに必要ないんで」
 自意識過剰というわけでもなく、悪気がある感じでもなく、ひょうひょうと言ってのける彼に呆気にとられてしまう。
「そっか……」
「それに、ぼくの顔見て要らなそうって話してたでしょ」
「えっ、なになに? さっきの、聞こえてた?」
 和国は質問には答えず、にこにこしたまま望と真白を見つめてくるので合点がいった。
「やっぱり……魔法、使い……?」
「望さんも、ですよね? あなたのお薬は魔法の薬なんでしょ?」
「い、いえ、あれは魔法と言うほどのものでは……」
「謙遜しないでください。よく効くって評判ですよ。ぼくのよりだいぶ有用です」
「和国さんの魔法はどんな?」
「ぼくのは、歌です。聴いてくれたひとには癒されるってよく言われます」
『へえ、それは聴いてみたいもんだな』
 真白が横から口を出した。
「あ。真白さん、ですよね。よろしくお願いします!」
 和国はソファから立ち上がると、真白の猫パンチに応えて、恭しくみずからの拳を触れさせた。
『ん。おまえ、おれのこと知ってんの』
「はい、」

 そのとき出入り口に作った真白用の扉から、一匹の三毛猫が飛び込んで来た。その物音に望だけがビクッとしてしまう。三毛猫はみんなの注目を浴びながら、全身で息をしている。そうとう走ってきたようだ。
『おまえ、智じゃないか』
『真白さん! おひさしぶりです……』
 この辺りの猫は真白を見ると初めは怖がるし、望にはなにを言っているかわからない。声が聞けるし、真白に対して、じと目で挨拶するこの三毛猫は、おそらく……。
「はじめまして、智さん? 望です。よろしくお願いします」
 望がしゃがみ込んで挨拶すると、智はぴんと姿勢を正す。
『こんにちは。はじめまして、智です。この和国の使い魔やってます』
 やはりそうだった。ぺこり、と頭を下げる智がかわいらしくて、望の口もとはゆるみ、きれいな毛並みを撫ぜようと手を伸ばそうとしたところで、地を這うような低い声が届いた。
『おい、でれでれしてんじゃねえぞ』
「え、なに? してないし」
 望は慌てて手を引っ込め振り返ると、カウンターでまったりしていた真白がいつの間にか立ち上がっていた。

 一瞬の沈黙に智ははっとして望に問いかけた。
『あ! 和国のやつ、なにかおかしなこと言いませんでしたか?』
「え、ああ、惚れ薬のことかな……」
『やっぱり! おい、勝手なことすんな。しかもよりによって望さんにそんなこと頼むなんて……』
「なんで? ちょうどよかったでしょ? あ、それともぼく歌ったほうがいいかな」
 和国は智を見下ろしながら言うと、舌をぺろりとする。すると智はちらりと真白を見たあとに和国へぴしゃりと返した。
『いまここではだめだ』
「ふふふ、そうだよねー」
 その様子を、真白は目を細めて睨むように見つめている。

「とにかく! 惚れ薬なんて無理ですから」
 さきほどから続くぴりぴりした空気に耐えられず望が少し声を張って言うと、和国はつまらなそうに、はあい、と返事をした。
「そういえば、真白と智さんはおともだち?」
『ああ、おまえも来ただろ? あの使い魔の顔合わせ会で一緒だったんだ。な?』
 真白がそう答えると、智はまたさっきと同じじと目をしている。
『んもう、ほんとはぼくが望さんの使い魔になるはずだったのに!』
 唇を尖らせた智が文句を言った。
「へ、そうなんですか……?」
『あー、違う違う。おまえはまだちびすぎたし、それに望はおれに一目惚れだったろ』
「んなっ」
『それは望さんがぼくを見ないよう、あなたが邪魔したからでしょ』
『ああん、そうだったけか……』
 ぼんっと赤くなった望に構わず二匹は話を続けているが、だんだん声が大きくなる智を、のらりくらりと躱す真白のほうがどう見ても上手だった。
 真白はふだんから誰に対してもフラットであり、むしろあまり関心が無いようだった。しかし望には、みずから寄っていってよくからかっているし、生まれてからの年数は短いものの猫年齢的にはだいぶ年上なのもあり、使い魔のくせにいつも上から目線でえらそうにしていた。最近の魔力が弱い魔法使いと使い魔にはよくあるパターンではあるのだが。

 しばらくすると智が諦めたようなため息をついたのを潮に話が落ち着いたので、冷めたハーブティーをそれぞれ皿に注いでやると、二匹とも赤い舌を覗かせておいしそうに飲み始めた。
 黙って一部始終を眺めていた和国がおもむろに立ち上がった。
「今日はこのぼくの使い魔でもある智がお騒がせしました。お詫びと、おいしいハーブティーのお礼に一曲プレゼントしたいのですが」
『あっ、おま、やめろっ』
 智の制止も聞かず、朗々と歌い始めると、なるほどこれは癒しの声だった。気持ちよく耳を傾けていると、ふと目に入ったテーブルの上の花瓶に生けた花がさっきよりしゃきんとしている……気がする。店内を見渡すと、今日はまだ水遣りをしていなかったプランターのハーブや観葉植物も生き生きとしているようだ。
 もしかして、和国さんの魔法……?
 そう思いついたとき、二匹の使い魔の様子がおかしいのに気づく。ハーブティーの皿の傍らに倒れ込んで呻いているので、慌てて近寄ろうとした瞬間、急に襲った眩しい光に望はかたく目を瞑った。

 少しして光がおさまったようなので、おそるおそる目を開けると、二匹がうずくまっていたところにはふたりのひとが倒れていた。
 ひとりは艶やかな白髪で、真っ黒な服を着ている。もうひとりはきれいな茶髪で、真っ白な服を着ている。
「えっ、なんで? どうして?」
「ああ、これは、ぼくのせいなんです……」
「これが和国さんの、魔法……? すごい……!」
 望が驚き、大きな声を出せば、寝転ぶふたりは唸ったり、伸びをしながら身動いだ。

「んあ……いったいなにが起こったんだ……?」
 聞き覚えのある低い声で呟いたのは、白髪のほう。
「真白……?」
 呼びかけるとこちらを振り向く。いつもと目線が違うのに戸惑っているようだ。みずからの両手で顔や身体を撫ぜている。
「望……おれ、ひとになってる?」
「うん……」
 慣れない二足歩行で、お手洗いのそばにある鏡を見に行くのであろう真白は、白髪に負けないほどの白い肌をしていて、とてもうつくしかった。
 真白をぼうっと目で追う望を見つめる智は唇を噛み締めている。

 奥からは、おお、へえ、はあ、と感嘆詞だけが聞こえてきて、智は俯き舌打ちをした。和国はそんな彼の背をさすろうとするのだが、煩そうに避けられてしまう。しかたないな、という仕草をすると、望のほうを向いて話し始めた。
「ぼくは小さいころから歌で、ひとには癒しを、動植物には元気を与えていたんだけれど、智と出会って初めてわかったんです。使い魔はぼくの歌でひと化してしまうんだって」
「ひと化……」
「あのときは驚いたなあ」
 気を取り直した様子の智が話に入ってくる。
「こいつの親は放任で、ふつうはひとり立ちするのと同時期に使い魔を決めるんだけれど、望さんが真白さんを連れていった三ヶ月後くらいに、あの顔合わせ会に来たんだ」
「高校で合唱部に入ったら、ぼくの魔力はどんどん強くなっていったので……」
「ぼくはずっと気落ちしてて、その日も隅のほうにいたのに、こいつに無理矢理引っ張り出されて」
 そのときを思い出すのか、少し顔を顰めつつ話す智を和国はにこにこしながら見つめている。
「あんなきれいな猫は見たことなかったし、しかもオスの三毛猫は珍しいって聞いたことあったし」
「即決だったな」
「はい。それでうちに連れて帰ったんです。その日は家族みんな揃っていたので、夕ご飯のあと妹のピアノでぼくが歌を歌ったら……」
「こうなったってわけです」
「はあ……すごいですね……」

 そこにカツカツと、いつもはしない靴音をさせて、真白が戻ってきた。
「なあ、智。でもおまえさっきは猫だったじゃないか。これは一時的なもんなのか?」
 智は答えたくないらしく、唇を引き結んだままなので、また和国が話し始める。
「じつは、ぼくはもう自分の歌を完全にコントロールできているので、使い魔なら誰でもひとにするなんてことはないんです。さっきはかなり気持ちをこめて歌ったので、ふたりとも倒れちゃいましたけど、智はもう自分の意思で変身できます、よね?」
 ああ、と返事をする智はほんとうに嫌そうにしている。
「いまはバック宙をすると変身できるようになりました。そのときで猫になったりひとになったりしてます」
「バック宙……?」
「ふふふ、真白さんにはできないでしょう」
 智が不敵な笑みを浮かべ、この日初めて真白の優位に立ったかに思えたが、和国がそれを打ち砕く。
「いや、真白さんくらい力のある使い魔なら、これからは思いのままに変身できると思いますよ」
「えっ」
 望と智の声が重なった。

「どれ」
 真白が低く呟くと、白髪の美丈夫が一瞬でうつくしい白猫になった。
「わあっ」
 またふたりの声が重なる。
 驚く間もなく、ぱっとまた白髪のひとが現れた。今度はいつもの望のようなTシャツにデニム、店の黒いエプロンまでつけている。衣服は意のままのようで、着道楽の望は思わずうらやましくなった。
「ふうん……」
 ひと通り変身して、みずからの全身を眺めている真白を、この状況に素早く順応しているのはさすがだなあ、と感心していると、ぱっと顔をあげ望を見つめてくる。
「なあ、これで正真正銘、おれはおまえのパートナー、てことじゃねえの」
 両手を広げ、自信満々に近寄ってくる真白のにやんとした口もとは片方の口角だけが吊り上がっており、いかにも意地悪そう。
 虐げられる未来が魔法が無くても見えた……。

「いーやーだー! はーなーせー!」
 真白に羽交締めにされた望は、智と和国にはふざけあっているようにしか見えないらしく、手出しも口出しもされない。
 望が諦めておとなしくなると、真白はきゅうっと細めた猫のような目に、きれいな歯並びの上のピンク色の歯茎まで覗かせて、にかっと笑った。そして抱きしめ直し、望のつむじにちゅっとキスを落とす。
「悔しいですけど、この真白さんがこんなになるの望さんにだけなんです……これからもずっとなかよししてやってくださいね」
 智はなんだかすっきりした顔でそう言うと、また来ます、と和国と帰っていった。


 いつのまにか白髪のイケメン看板店員まで雇ったと、望の薬屋は話題になり、塩対応の白い店員とは逆に、ちょくちょく見かけるようになった常連のふたりはやさしくてかっこいいと、ますます繁盛している。

「これでいったん実家へ報告に帰れるかな……」
 ほうっとひと息つきながら、望が呟くと、今日は猫のまま受付カウンターのクッションで丸くなって昼寝をしていた真白がぴくりと耳を動かした。
『おれはスーツとか着てったほうがいいか?』
「あなたはずっと猫のままでいてください!」
 田舎の両親には、うつくしいオッドアイの白猫の使い魔がひとの姿になるなんて、まだ話せていない。
 しかし、賑やかにおしゃべりしながらこちらに向かってくる智と和国をカウンターから眺めていると、四人の道中も悪くないかもな、と望は微笑んだ。

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