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自己主張を抑えて「物知り博士」感を和らげてみませんか

たまには、私が特に好きで読んでいるような、なんでもない日常の雑記を書きたいと思うのですが、なぜか、いつもそうならない。きっと、私が「伝えたいこと」で溢れているからかもしれません。

今回は、そんな「伝えたいこと」があるにも関わらず、どうして難しい言葉を使いたがる方が多いのか、という疑問から始まります。

noteを書く習慣がつくと同時に、読む習慣をつけることにも成功しつつある私ですが、基本的にとても楽しく書かせてもらえてます。ですが、たまに読んでいて「?」で頭がいっぱいになることがあります。笑

伝えたいことを伝える技術が必要

私は、普段さまざまなジャンルのnoteを読みますが、なかでも本業に近しいデザイン関係の記事を読むことが多いです。その多くは、とても有益で無料で読んでいいのか!?と思うもので溢れています。

想像力をかき立てられたり、実際に自分のライフスタイルを変えるきっかけになったこともありました。少しずつインプットされ、現実でアウトプットしている状態ですね。とても感謝しています。

その理想的な環境の中で、ただひたすらに難解な言葉が続き、さらに本題から逸れた記事に触れることがあります。デザイナーやプログラマーさんの記事に多く見られる現象の一つだと感じています。

例えば、専門用語がひたすら並ぶ記事は「伝えたいターゲット」を絞るという意味では良いことだと思います。ただ、その範疇を超えて「相手が自分を分かっている」前提で書かれたような文章に触れると、途端に理解に苦しむことってありませんか。

「本題」と「自己主張」のバランス

本当に理解したい人だけをターゲットにしているのであれば、そういった「前段を分からない方」への配慮は不要なのかもしれません。「自分で調べる」のが基本の世界ですから。

ただ他にも「人生で成功するためには」や「自由な生活に必要なのは」のような、「〜するには」的な記事では、そこで似たような内容が書かれていたとしても、スキやコメントなどのアクション数が大きく異なることがあります。

これは、似たような内容でも書き方が「優しく易しい」ほど支持されるからだと思っています。元々の総フォロワー数の違いなどもありますが、能動的にアクションを起こす読者がいるということは、大きな違いですよね。

そこで私が気をつけなければいけないと感じたのが「本題」と「自己主張」のバランスを間違えない、ということです。

真の「物知り博士」は「伝え上手」

どんなに生活に有益な情報でも、その伝え方が高圧的であれば、それは相手に不快感を与えてしまいます。さらに、ただ情報を羅列するだけの長文の記事になると「自分はこれだけ知っているんですよ!」というアピールの方が強くなってしまい、ますます不快な気持ちにさせかねません。

読んでいる時は「この人は自分の自慢をしたいのかな?」と失礼ながら感じていたのですが、おそらく、単純に「物事を易しく分かりやすく伝える」という配慮が脳裏にないだけなのでは?と考えるようになりました。

なので、もし「伝えたいこと」があるのだとしたら、多くの人が分かる言葉や比喩を用いるなど、工夫を凝らして記事を書く技術が必要なのだと思います。そして、これは今「自分自身」に対しても自戒を込めて書いています。今後、本業の話をする際に、工夫すべき点だなと感じたからです。

そんな、気づかないうちに「伝えたい気持ち」よりも「これだけ知っている自分を伝えたい気持ち」が勝ってしまう=「物知り博士」になっていませんか?という話でした。

真の「物知り博士」は、知識量よりも「伝え上手」だと思います。

なにか気づきがあれば幸いです。私も文章力を引き続ききたえていきます。まさに、継続は力なり!

では、また!✨

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