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田中兆子「若女将になりたい!」書評

今週1本目の書評は、野崎実生さんに書いていただきました。

田中兆子「若女将になりたい!」(日本文藝家協会編『短篇ベストコレクション 現代の小説2020)収録)

評者:野崎実生

変革への行動

 歴史的な改革や社会の意識変革は一度の出来事によって起こるものだろうか。
 衝撃的な事件や事故が発端となることもあるが、私はこの作品を通してそうではないことも多くあると感じた。地道な行動によって少しずつ変化がもたらされるのではないだろうか。

 家業の旅館で仲居として働く範之は女性の恰好で働いている。自分の中身は女性であり、女性の恰好で生きていくと決めたからだ。そして旅館の若女将になることを志している。しかし、旅館の女将である母親はそれを認めない。若女将になりたい範之が周辺の人々の関わり合いの中で奮闘する様子が描かれている。
 冒頭で、小学生の時の同級生に出会い、女性の恰好で街を歩いていることについて、「勇気あんなー」と言われ、範之は、「勇気」という言葉は自分に似合わない、自分は事なかれ主義であると心情が描かれている。
 たしかに、女性の恰好をすることは範之にとって勇気を出してしている行動ではないかもしれない。しかし、別の点でみると範之は勇気をもった、行動力がある人のようにみえる。それは目立って行動する勇気ではなく、ひっそりとした行動、地道なこところにあらわれる。
 二つの場面を例にあげる。
 一つ目は、接客することを許されない中、客室掃除をする際に仕事仲間とよく話すようにしたことだ。これは、女性としての範之を受け入れてもらうために起こした行動である。些細なことかもしれないが、範之は後々女将に対して従業員側から意見を伝達する。そのようなときに動きやすさが得られるだろう。
 二つ目は自分や仕事仲間の労働環境を改善するために正社員である福島さんに働きかけるところだ。喫煙者である仕事仲間の馬場さんがタバコ臭いというクレームを受け、女将に禁煙を命じられる。禁煙できなければ、仲居をやめろとまでいわれる。しかし、馬場さんの人一倍の仕事ぶりを知る範之はやめさせられるまいと行動を起こしていく。正社員の福島さんに相談し、その結果、従業員から働き方改革の提案書が女将のもとへ届いた。福島さんの配慮により、その提案書に範之がかかわっていることは大っぴらにはならなかったが、旅館の状況に変化をもたらした。馬場さんはやめなければいけない状況から脱し、さらには休みが極端に少なかった状態が全正社員が四週七休の勤務体制を守ると約束された。
 このように、すこしずつの行動で範之の周りの環境や体制が変化させられていく様子が描かれていた。二つあげた例は労働環境についての改革であったが、様々な社会問題においても同様のことが求められるのではないだろうか。 有名人や影響力の大きさなどなくとも、身の回りから意識を変え、行動していくことが大切であるということを強く感じる作品であった。


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