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aikoの「花火」について語る時が来た

今、「花火」について語ろう

時は2020年、いよいよaikoの「花火」について語る時が来た。

「花火」はこれまでaikoがリリースした39枚のシングルの中でも特別な意味を持っている。最初に簡単に「花火」について説明しよう。

「花火」は1999年8月4日に発売されたaiko3枚目のシングルだ。

「花火」は売れた。
初登場こそ26位と低調だったものの、じわじわと順位を上げ、長くチャートに残り、当時数えきれないほどあったテレビのCDシングルランキングのコーナー(朝のニュース番組でさえもCDランキングを放送していた時代だ)で流れ続けた。

ウイキペディアによると、「花火」は20週間もチャートインし続けたと記録されている。確かに1999年当時小学生だった私も、同時期に発売された鈴木あみの「BE TOGETHER」とか浜崎あゆみの「Boys & Girls」とかモーニング娘の「真夏の光線」よりも長く聴いていた気がする。

ちなみに「花火」は最高順位でも10位と決してメガヒット曲ではない。

それでも「夏の曲と言えば」というランキングに今でも軒並み名を連ねている。デビューして即ミリオンヒットとか、何週間も連続で1位を獲得したとかではない。そうではないのだけれど、人の心に長く残り続ける。それが「花火」であり、aikoというアーティストだと言えるだろう。

そして、もしも「花火」のこのようなヒットがなかったら、我々はaikoを知ることはなかったかもしれない。


「勝負の3曲目」

「花火」はaikoにとって「勝負の3曲目」だったのだ。

「別冊カドカワ 総力特集aiko」の中で、aiko自身このように述懐している。

『aiko担当の人が、助手席にいる私に「歌手は3枚目が勝負なんだよね」って言ったんです。「だからaikoは次が勝負。これがダメだったらダメだから」って言われて』

実際にaikoのデビューシングル「あした」、セカンドシングル「ナキ・ムシ」共に歌手として成功したと言うほど売れたとは言い難い(それでもいい曲です…)。

そういった背景があり、3曲目への発破につながる。

私はaikoが大好きなので、大阪から出てきてプロとして頑張っていこうというaikoが東京砂漠でこんなことを言われたのかと、当時のaikoの心境を思うだけで涙しそうになる。

青森から出てきたばかりの僕がブックオフのバイトで「大学に行ってるのにこんな事もできねえのか」と怒られたのを思い出すよりも、大阪から出てきたばかりのaikoがポニーキャニオンの人に「次でダメならダメだねー」と言われたことを想像する方が1000倍以上も胸が苦しくなる。

しかし、aikoは「勝負の3曲目」で結果を出した。

その後のaikoの活躍は言わずもがな、「カブトムシ」「桜の時」「ボーイフレンド」と怒涛のようにaikoを代表する名曲を発表し続ける初期黄金期に突入していく。

これも全て「勝負の3曲目」の「花火」の成功があってこそのことになる。


「花火」とaikoと「メロンソーダ」

ここからは「花火」の中身について触れていきたい。

今歌詞を読むと、「あぁ、これはaikoだ。紛うことなきaikoだ」としみじみ感じられる。

「花火」の出だしはこうだ。

眠りにつくかつかないか
シーツの中の瞬間はいつも
あなたの事考えてて

この三行はまさにaikoである。というかaikoの自己紹介とも言っていいような歌詞だ。

aikoは明確に夜の人だ。
朝の人でも、昼の人でもない。夜の人、より明確に言うならばもうすぐ夜が明けそうなころの早朝と深夜の間くらいの人、だと私は思う。

aikoはとにかく夜更かしの人で、そんな深夜に何をしているのか、そう、"あなたの事考えて"いるのだ。

ここにaikoの変わらなさがあり、我々aikoジャンキーを安息させる。

例えば2019年(「花火」から20年後!)にaikoが楽曲を提供した「メロンソーダ」の中にこんな歌詞がある。

今頃君は目を覚ましているかな
おはようとおやすみが重なる

表現が違うだけで、「花火」(1999年)も「メロンソーダ」(2019年)もaikoのしていることは変わらない。

20年間ずーーーーっと、aikoは変わらずに夜に「あなた」を思い続けている。そして、あふれ出たり、上手に抽出されたりした感情を楽曲という果実として、私たちの元に届けてくれている。


夏の星座にぶら下がる

aikoの変わらなさに私たちaikoジャンキーは安息する。
恋が楽しい時、失恋した時、何気ない日常、いつだってaikoは隣にいてくれる。

しかし、矛盾するようだがaikoも変化している。

aikoの変化に触れる前に、「花火」が長い間愛される大きな理由のひとつであるだろうサビを紹介しておきたい。

夏の星座にぶら下がって上から花火を見下ろして
こんなに好きなんです 仕方ないんです


これはつまりは「どのくらい好き?」という質問に対する回答だ。

aikoは言う。
「夏の星座にぶら下がって上から花火を見下ろすくらい好き」

この歌詞は本当に凄くて、「どのくらい好き?」業界に電撃が走る名回答だと私は思っている。いまだに「どのくらい好き?」という質問に対するaiko以上の解を思いつけないし、他の人が言っているのも見たことがない。

この、これほどまでに好きな気持ちを、成就しない恋の歌に仕上げている。しかも、明るく楽しいテンポで歌い上げている。

そして、ここで出てくる"星座"に注目したい。
aikoの歌詞の中ではしばしば「星座」や「星」「空」など天体にまつわるものが登場する。もっと言うと、天体の他には、四季も多い。

恐らくは、100年後も空には星座が今日と同じように輝き続けるだろう。季節も同様に移ろい続けるだろう。その長さ、雄大さは永久不変にも思える。

しかし、「あたし」はそうではない。
「あたし」の時間は天体や四季のそれと比べると短く儚い。そして、aikoはその短さ、儚さを知っている。ここに変わっていくaiko、変わっていく「あたし」がいる。


もう夏の星座にぶら下がれない

我々はなぜこれほどまでにaikoに惹かれ、aikoを欲し、aikoなしでは生きられない身体になっていくのか。

それはaikoの歌詞世界が「あなた」を軸に変化する多重構造になっていて、その歌詞と歌詞の間の緊密性、関連性が身心の隅々にまでいきわたることが理由のひとつだと最近私は考えている。

何を言っているのかわからない人が多数だろう。具体的な歌詞を交えつつ解説したい。

2005年に発売されたアルバム「夢の中のまっすぐな道」の最後に「星物語」という曲が収録されている。

「星物語」では「花火」同様に星座が出てくる。

夜中家に帰って 真っ暗な道歩く
くたくたになったあたしの 目の中に映り込んでくる星座

我々は夏の星座にぶら下がれないaikoを発見する。
夏の星座にぶら下がれないどころか、ひとりでくたくたになっているaikoだ。

「星物語」はこう続く。

あたしも失敗だってする 大声でもう泣かない
もちろんこんなあたしになるまでに 少し時間はかかったけれど

aikoに訪れた変化を感じとる。1999年の「花火」から2005年の「星物語」の間の変化だ。

その変化を知ろうとして、「ボーイフレンド」(2000年発売)を聴き、「海の終わり」「木星」「心に乙女」(2002年発売のアルバム「秋 そばにいるよ」に収録)を聴き、「アンドロメダ」(2003年発売)を聴き、「三国駅」(2005年発売)を聴く。

こうしてaikoに訪れた変化、かつて自分に訪れた変化もしくは未来の自分に訪れるかもしれない変化に思いを馳せる。

そしてaikoの世界に少しずつ足を踏み入れていく。


「花火」とaikoと「青空」

「花火」から21年の時が経った2020年、aikoは「青空」をリリースした。「青空」は明るく楽しく成就しない恋を歌う系の曲だ。

要は「花火」と同傾向の曲になる。そして、その中に変化したaikoと変わらないaikoを見出すことができる。

「青空」はこのように始まる。

触れてはいけない手を 重ねてはいけない唇を
あぁ知ってしまった あぁ知ってしまったんだ

手に触れちゃってるし、唇を重ねちゃってる!!

「花火」のころの、「あなた」を好きだけどその気持ちをどうすることもできなかったティーンっぽい感情の「あたし」はもういない。aikoにも月日の流れによる変化が訪れ、それが歌詞に反映されている。

では、変化しないaikoをどこに発見できるだろう。

まず「花火」の歌詞からひとフレーズ抜き取りたい。

少し冷たい風が足元を通る頃は
笑い声たくさんあげたい

余談になるけれど、個人的には「花火」の中でサビと並んで素晴らしいと思うフレーズだ。秋のはじまりとか夏の終わりとか言っていないのに、次の季節への期待をよりずっと感じさせてくれる。

次に「青空」ではこんな歌詞がある。

なんだよあんなに好きだったのに
一緒にいる時髪型とか凄い気にしてたのに恋が終わった

このふたつの歌詞の中に20年間、変わらないaikoがいる。

恐らく、恐らくであるが、1999年「花火」の頃のaikoも「あなた」と一緒にいる時は髪型を気にしていたであろう。

そして2020年のaikoも「あなた」と思いが成就するかするかしないか曖昧な関係だったなら、少し冷たい風が足元を通る頃は笑い声をたくさんあげたいと思うだろう。

「花火」は次の季節への期待、「青空」は恋の終わりの自覚と、向いている方向は全く違う。それでもaikoの「あなた」に向かっていく実直さは何も変わっていない。

しかし、確実に時間は流れ、aikoも我々も歳を重ね、青春は過ぎ、老いていく。そして、aikoはそのことに自覚的だ。だからこそ、変わらずに歌われ続ける「あなた」への思いに私たちは胸を打たれ、癒され、何度でもaikoの元に帰ってくる。

1999年、「花火」でaikoを発見したあの夏の日。それは私たちがaikoと共に生きていく人生が始まった日なのである。

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