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aikoがテトラポットに登って宇宙に飛ばした靴について

aikoが宇宙に靴を飛ばしてから23年が過ぎた。あれは2000年の初秋のことだった。

テトラポット登って てっぺん先睨んで 宇宙に靴飛ばそう
あなたがあたしの頬にほおずりすると
二人の時間は止まる
好きよボーイフレンド

ボーイフレンド(2000年9月発売)


もちろん人間の脚力では宇宙空間にまで靴を飛ばすことはできない。

でも、aikoなら、あの2000年のaikoであれば、宇宙にまで靴を飛ばせてしまうのではないか、そう思わせるエネルギーが確かにあったのだ。

2000年のあの日、ミュージックステーションで、ポップジャムで、HEY!HEY!HEY!で、aikoは恋を愛を全力で歌い上げていた。

aikoの無尽蔵のパワーを持ってすれば靴くらいなら宇宙空間に悠々と到着するだろう。そんなリアリティを我々は感じていた。Power of Loveだ。


そして23年の時が経った。

ふと、考えることがある。

今でも靴は宇宙空間を彷徨っているのだろうかと。aikoは今でも靴を宇宙まで蹴り飛ばしているのかと。


そして今、私たちはaikoの靴の物語を再度発見することとなった。


靴は玄関にあった

2023年、靴は玄関にあった。一般的に靴は玄関にあるので、当然と言えば当然だ。しかし、それでも衝撃的な事実だ。今、靴は玄関にある。

最新アルバム「今の二人をお互いが見てる」において靴が再びaikoの世界で注目される。

溜まった玄関の靴に
日々の色々を感じて
眺めて出掛けて帰ったら揃っていた靴

玄関のあとで


この一節だけで時が流れてしまったのだと実感する。23年の月日が経った今、aikoに、もしくは私たちにあるのは生活なのだ。

23年前のaiko、あるいは23年前の私たちが持っていたエネルギーはここにはない。靴は宇宙にはいかない。しかし、それは決して消極的なことではない。

靴は玄関にあるべきで、それが幸せなのだ。宇宙に飛ばしてしまうよりも適切な場所に靴がある、それでいい。靴を履いて、出掛けて、家に帰ってくる。

そして、出掛けている間に「君」によって靴は丁寧に並べられる。そこには満ち足りた生活があり、一日一日の積み重ねの中の幸せがある。


その一方で23年前の「ボーイフレンド」だ。

靴を宇宙まで飛ばす力、それは一瞬の美しさや幸福を物語る。そして、その背景には絶対的な若さがある。

若いからこその、この一瞬が楽しければ、満たされていれば、それでいい、それだけでいい。誰の人生においてもそういう瞬間はある。

ただ、それは永遠には続かない。

若さはいずれは失われ、誰しもが大人となっていく。

30歳や40歳を過ぎてテトラポットに登っていたらただの不審者だろうし、靴が宇宙に行ってしまったら翌日の仕事に差し支えるのではと頭をよぎる。

いずれ誰しもが若さを前提としていた幸福にお別れを告げる日が来る。そして別の形の幸せをそれぞれが見つけていく。

その一つとしてaikoは玄関に綺麗に揃えられた靴、そんな生活の日々を発見している。


生活の中で喪失をしている

23年の月日で変化した幸せの形。

しかし、日々の生活の中に潜む喪失をaikoはしっかりと直視している。そこはもうさすがaikoと感服せずにはいられない。

「玄関のあとで」は実は失恋と喪失の曲となっている。

長い間だったのに
振り返るとあっと言うまで
君が泣いたあの日はいつだっただろう

玄関のあとで


ここでは珍しいことが起こっている。あのaikoが「君が泣いたあの日」を思い出せないのだ。

宇宙まで靴を飛ばしたあの日、あるいは夏の星座にぶら下がったあの日、もしくは少し背の高いあなたの耳におでこを寄せたあの日……。

そんな若き日の輝いた一瞬のひとつひとつをaikoは、あるい私たちは決して忘れないだろう。実際にaikoもカブトムシの中で「生涯忘れることはないでしょう」と歌っている。

大人になった私たちの生活はどうだろうか。

それは穏やかで幸せな日々かもしれない。しかし、当たり前のように続く日々の中には人生に深く刻まれる瞬間はあるのだろうか。

長い間だったのに「君が泣いたあの日」すらも思い出せないaiko。

aikoが切り取った玄関の風景には、大人になったからこそ手にすることのできた生活の幸福がある。それと同時に大人になってしまったことによって失った美しさ、一瞬が永遠となって深く心に刻まれる美しい時間の喪失もある。

宇宙にも生活にもいけない靴が残る

「玄関のあとで」はこのように終わる。

靴はいつまでも不揃いで
少しずつくたびれていく部屋
新しい生活を始める君に
いつか逢えたらなんて今は思えない

玄関のあとで


「君」は新しい生活を始める、離別だ。

「君」がいなくなった玄関では、もう靴は揃えられない。それまで当たり前だった幸福が崩れ落ちていく。残ったのは「いつか逢えたらなんて今は思えない」という未練の混じった感情だ。


「玄関のあとで」では大きな感情の変化は描かれない。というかaikoが紡ぎだす歌詞全般において、そういった感情のダイナミズムは小さくなっているのではないだろうか。

しかし、その言葉のひとつひとつはダイナミックだった頃よりもある面においては深い。その証左として、宇宙にも生活にもいけなかった靴、そのただ残された不揃いの靴が、私たちの心に重く強く残る。


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「玄関のあとで」も収録されている最新アルバム「今の二人をお互いが見てる」もとてもとても素晴らしいアルバムでした。皆様もぜひ。

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