harmony
『
無暗に他人の不信とか不義とか変心とかを咎めて、万事万端向うがわるい様に噪ぎ立てるのは、みんな平面国に籍を置いて、活版に印刷した心を睨んで、旗を揚げる人達である。
』
夏目漱石『坑夫』より。(新潮文庫八七、八八頁より)
恋愛沙汰で家を出た良家の男(19)が、誘われるまま坑夫になるべく銅山に向かう中での心中の科白。
このような流れなのです。
『こう云うと詭弁の様に聞えるが、詭弁でもなんでもない。
正直正銘の所を云うんである。
一体人間は、自分を四角張った普遍体の様に思い込みすぎて困る様に思う。周囲の状況なんて事を眼中に置かないで、平押に他人を圧し附けたがることが大分ある。
他人なら理屈も立つが、自分で自分をきゆきゆ云う目に遭わせて嬉しがってるのは聞えない様だ。
そう一本調子にしようとすると、立体世界を逃げて、平面国へでも行かなければならない始末が出来てくる。
無暗に他人の不信とか不義とか変心とかを咎めて、万事万端向うがわるい様に噪ぎ立てるのは、みんな平面国に籍を置いて、活版に印刷した心を睨んで、旗を揚げる人達である。
御嬢さん、坊っちゃん、学者、世間見ず、御大名、にはこんなのが多くて、話が分り悪くって、困るもんだ。
』
(改行は不才)
思うに、憎しみで生きるとは、平面的なのだと痛感して、満員電車ですら人間の中に身を置く回峰行のような心地になりました。
SNSとかで付き合うもの、痛罵し合うもの、讃え合うもの、それらすべて平面世界に終始したら、肉体を捨てているの。
LINEで告白して付き合う、バーチャルな世界でのつながりで別れを告げられるインスタント。
だれもが24時間営業の時代に、揺り戻されるは、文学と音楽だと思う。もしそれらを作ろうと思っている人は、その大きな振り子運動の軌跡の先で待っているべきだと思う。
オーケストラの語源オルケストラは合唱のこと。
音は必ず立体的であります。
原風景はいつも立体的だ。
表現の不自由展、京都アニメーション、アフガニスタン、米中摩擦
見渡してみると、出版業界も、教育界も。平面的になっている気がする。
AIは市場があるところにしかいなくて(会社がデータを収集できないか、そもそもデータがないので、存在できない)、僕の個人的な感情を救ってくれるわけではないので、次の発明は、AのないIだと思うの。
全英オープンを制した渋野さん。
「
泣いても悲しんでもボギーしかでない。笑ったらスコアが伸びたので
」
なる発言をしていらっしゃる。
彼女がシンデレラたるゆえんは、何らかのネガティブから脱するストーリーがメタファーなんだと思いました。
かっこいいな。サンドイッチマンが闘病中の人々やその家族らに院内でラジオをするNHKの『病院ラジオ』。ガンの子がBUMPの曲名忘れちゃった
「
〇×△どれかなんて みんなと比べてどうかなんて
大丈夫だ その痛みはすぐ銀河の中だ
」
間違っている気がするけれど、そういう歌詞の歌を引き付けて、とても強く、幸せへの慈しみをもって、生きている。
清冽だ。
闇夜の自分の恵体を恥じるのがいやで、
誰かにでんわしたくなって、
でもこんなときにでんわできる相手もいなくて、この平面的な世界へ来てしまう。
ここは安心だ。
でも、だれがだれか分からないし、自分にスキしてくれるのは、運営が作り出したAIかもしれないね。
誰かの立体的な感情に触れたくて、現実も生きているし、ここでも生きてみたいな。
『
どうだ此処が地獄の入り口だ。
這入るか。
』
つってね。まだ読了してないので、真夏の夜更けは快適なのです。
読んでくれてありがとうございます。
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