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4年前の「忘れ物」を拾いに:アルゼンチン戦を見にフランスへ行きます

 表紙の写真。2019年ラグビーワールドカップ日本大会で、スポンサーのDHLが配っていたハリセンだ。
 TRY!と印刷されているのが基本だが、白紙のものがあり、ボランティアに自分の書いてほしい言葉を書いてもらうこともできた。

 このハリセンは、準々決勝のスプリングボクス(南アフリカ)戦でもらったもの。会場は味スタ。
 隣接のアミノバイタルフィールドが、まるまる観客がたまれるスペース(スペクテータープラザ)になっていて、他の試合を画面で見ながらビールを飲んで試合までの時間を楽しむことができる場所になっていたのだが、そこで白紙のハリセンをもらって、書いてくれるボランティアの列に並んだ。
 何を書いてもらうか、並びながら考える。思いついたのは「あと3試合!」と言うことだった。この日は準々決勝。準々決勝に勝てば次は準決勝。そこで勝てば決勝、負けても3位決定戦。つまり、準々決勝に勝てればもう2試合戦える、ということだ。
 そこで試合前に掲げるハリセンに、「Three more games!」と書いてもらうことにした。準々決勝を含めて3試合見たい!という意味だ。

 結果は3-26での完敗。前半は3-5と息詰まる試合だったが、後半にスクラムで圧倒され、ペナルティゴールで3点ずつ刻まれて点差を離されていった。
 終わったときの悔しさは覚えている。忘れるものか。スタンドで泣きながら「この悔しさ、忘れないからな!!」と叫んだくらいだ。
 「ノーサイド」と言えるほど気持ちが整理できるまでは10分以上の時間がかかったと思う。


 けれど頭の一部は醒めていてこうささやいていた。「南アフリカに負けて悔しいなんて思えること自体、少し前まで考えられなかったじゃないか」

 そう。オールブラックスに145点取られた試合(1995年)だって、ワラビーズ(オーストラリア)に91点取られた試合(2007年)だってリアルタイムで観戦していた。
 その頃、強豪国相手に勝てるなんて夢にさえ思うことはなかった。2015年大会のスプリングボクス戦だって、試合前は100点以上取られる覚悟をしていたくらいだ。

 すべてを変えたのはそのスプリングボクス戦、いわゆる「ブライトンの奇跡」だ。逆転で勝ったとき、涙は流れなかった。ただ、全身が瘧にかかったように震えていた。唇も震えて言葉が出せなかった。人は本当に興奮したときには泣けないのだと知った。

 この試合、ライブではNHKで見ていたのだが、翌日、J-SPORTSの再放送を見た。そこで、実況の矢野アナウンサーが、「われわれは善戦で満足してきたのかもしれない。勝った側のファンが、上から目線で、『ジャパンもよくやったよ』って言うのに慰められてきました」と言う場面がある。確か五郎丸の同点トライの時だ。この時、涙が出てきた。結果を知っているビデオ視聴なのにだ。
 それは文字通り、矢野アナの言うとおりだったからだ。それまでずっと、悔しさを封じ込めて、照れ笑いでごまかしてきたからだ。勝利は歓喜だけをもたらしただけではなかった。封印してきた悔しさが、一気にあふれ出てくるきっかけでもあったということだ。

 そしてこれ以来、善戦では満足できなくなった。相手が強豪国であろうと、場所がワールドカップであろうと、勝利を求めるようになった。勝利を求めるということは、負けたら悔しいということだ。

 2015年、「ブライトンの奇跡」が起こらず、日本が負けていたとしても、やはりそれまでの試合と同じように照れ笑いを浮かべ、悔しさをごまかしていただろう。けれど、「ブライトンの奇跡」のあとは違う。悔しい、とストレートに思うようになった。
 2019年に同じスプリングボクスに負けたときには本当に悔しかった。涙が出るくらいに。スプリングボクスに負けて涙を流せることそれ自体が本当に幸せだということを今の私は知っている。しかし、悔しいからには勝ちたい。準々決勝に大切なものを置き忘れてきてしまったような気分だ。そして、この「忘れ物」を拾い上げに行くには4年待たなければならなかった。

 遂に来た4年後のフランス大会。ブレイブブロッサムズは「忘れ物」を置いてきた部屋の扉をもう少しで開けられるところにいる。プール戦最後のアルゼンチン戦だ。この試合に勝てば準々決勝。4年前に登れなかった階段に足を再びかけることができる。

 決戦だ。日本ラグビーの4年間を賭けた戦いだ。勝って、「あと3試合」戦う権利を勝ち取る入口に立つんだ。



 イングランドに負けた時、アルゼンチン戦が決戦になることは予測できた。

 深夜営業のスポーツバーから帰宅する途中、明るくなった空の下で、アルゼンチン戦を見に行きたいという欲求が湧き上がってきた。それからリセールをこまめにチェックしていた。実際に行けるかどうかはわからないが、まずはチケットがなければどうにもならないからだ。
 すると意外にあっさり入手できた。あとは航空券。この週末は3連休なので、金曜の夜行で羽田から飛び、月曜の朝パリを出る飛行機で帰ってくれば火曜の早朝に羽田に着くから、仕事を休まずに見に行くことができる。探してみると、狙い通りの便に空席があった。
 現地2泊はハードではあるが、仕事ではよくある旅程で、大した問題ではない。何よりプレゼンする必要も論文を提出する必要もない。時差ボケの眠気に耐えながら他の人のプレゼンを聴く必要もない。悔いなく応援するだけのことだ。パリまで行って観光ゼロで帰ってくるのも私らしくていいだろう。最後に職場と家族の了承を得て、行く決断をした。

 行きます。10月8日のナントに。戦いの場に。4年前の味スタで感じた悔しさ、すべて燃やし尽くしてきます。一緒に応援してください。

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