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自然な成り行きに逆らわず、正直をなりわいに。

欠けてゆく月も
やがて満ちて来る
なりわいの中で。

欠けようとしている月が
いきなり満ちてきたら。。。
おかしい。
自然な流れが大切。
ある意味【嘘】がないということにも。

昔、田中角栄さんが現役バリバリの頃
常々口にしていたのが
『水は高きから低きにしか流れない』
と10年ほど前に教えてもらったことがあります。
自然の摂理に背いては全て長続きしない。

ある経営者とブランディングについて
対話する機会がありました。
特に、
企業ブランディング
採用ブランディング

あるべき姿を一所懸命目指し
埋めるべきギャップにチャレンジしている
その先にある居場所を発信する。
それはOK。

しかし、
目指しもしない、チャレンジもしない
そんな経営者が嘘や嘘に近いことを
ブランディングと称してHPに
綺麗ごとを散りばめている。
またそこを収益化目的で支援する
業者の数々、あかんです。

広告媒体やHPを見て
そこを信じて入社してくる人
不幸の始まり、、、、
そろそろ誇張に満ちた
ニセブランディングが
無くなりますように。

世の中が、正直、誠実、
自然であることに
向かっているのも事実。
そこには無理がない。

自然であるべきことを
意識する1週間に!
今週も
よろしくお願い申し上げます!

去る人を追いかけず
来る人に笑顔で。
しかも双方に感謝を。

35年前自分がバックパーカーとして
世界の見知らぬ人達に一人で
出かけられていたことに感謝。
【自分は何者でもない】に
共感します。
毎日が再出発ですね。

【自分は何者でもない】

伊集院静氏の心に響く言葉より…

若い頃の旅と、或る程度、歳をとっての旅とは、勿論、違いがあるものの、いずれにしても、旅が人間に与えるものは限りがないほどさまざまなものがある。
私が若い人に、安いチケットを買って、まずは日本から出てみることだ、とすすめるのは、言葉も話せない、生活習慣、イデオロギーも違う異国で、一番の収穫は、
…自分が何者か?
を知ることができるからだ。

ではどういうことを知るかと言うと、
…自分はまだ何者でもない。
ということを知ることにつきる。

日本に住んでいる時は、親が守ってくれたり、家柄があったり、学校での成績が良かったり、とか当人は或る程度、何者である確信のようなものがあっても、それがまったく無意味であることがわかるのが、異国への旅のひとつの獲得できるものである。
では若い時だけに、
…自分は何者でもない。
という考えが必要なのか、と考えると、そうではない。

たとえば、六十歳を越えて、定年を迎えている人がいるとすれば、その人たちにも必要な考えなのである。
ここまで寿命が延び、日本人の六十歳から七十歳の人たちが、どのくらい元気で、バリバリ仕事も、遊びもできるのは、今や常識である。
ところが、現役時代に人一倍働き、仕事で成果を上げ、会社からも評価され、部下も育てたという人が、実は、潔く退職してから上手くいかなくなるケースが多い。

…えっ、あの部長が、今そんななんですか?
という例が多い。
その人が仕事を十分にやって来て、人望もあり、あとは退職金で悠々と暮らしているかと思うと、これが逆のケースが多い。
…なぜか?
再出発ができないのである。
別に、再出発でなくても、残る余生をうまく過ごせない。
再出発のケースなら、自分は半生でこれほどのことをやって来たという自覚が邪魔をするのである。
自分にふさわしい新しい仕事なり、時間の過ごし方に対して、対応ができないのである。

その原因の最大の要素は、
…自分はカクカクシカジカの者である。
と当人が考えているからである。
…自分は何者でもない。
という考えを持てないのだ。

しかしよくよく考えれば、それだけ素晴らしい仕事をした人、その仕事内容も、実は過去のものであり、メモリーはあっても、実感をともなうものではないのだ。
実は、この実感をともなうものこそが、生きている仕事、時間なのである。
…自分は何者でもない。
この考えがすんなり自分の体に入るようになることが大切なのである。
旅の話から、妙なことを書いたが、人生は晩年をどう過ごせるかで、当人の生きざま、死にざまが決まるケースが大半なのである。

『一度きりの人生だから 大人の男の遊び方』双葉社

「我々は遠くから来た。そして遠くまで行くのだ...」 という、イタリアのパルミーロ・トリアッティの言葉がある。
また、「我々はどこからきたのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」と題された、フランスの画家、ポール・ゴーギャンがタヒチで描いた大作もある。

どんなに財産があろうと、肩書や名声があろうと、死んでしまえば、それをあの世に持っていくことはできない。
そのことを、重要な節目節目に思い出せるかどうかで、人生は決まると言ってもいい。
「裸にて生まれて来たに何不足」
我々はもともと裸で生まれてきたのだ、と覚悟を決めれば何でもできる。

定年退職に限らず、人生を再出発させなければいけない時は、旅と同じだ。
見知らぬ土地、見知らぬ人、見知らぬ宿と出会い、「自分は何者でもない」と気づく。

一度きりの人生、覚悟を決めて生きてゆきたい。

上記の【自分は何者でもない】については

人の心に灯をともすより引用しています。

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