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【学ぼう‼刑法】入門編/総論15/被害者の同意


第1 はじめに

今回のテーマは「被害者の同意」です。

被害者の同意は、条文をもたない「超法規的違法性阻却事由」ですが、古くから「同意は違法を作らず」との法諺により、違法性を阻却するものと考えられてきました。違法性阻却事由の分類としては、下の図の左下の領域に位置づけられます。

少し前までは「被害者の承諾」という呼称のほうが一般的でしたが、最近は「被害者の同意」と呼ばれることが多くなっているように感じます。

「承諾」は、法律用語としてもやや多義的に使われる言葉であるため、個人的には「被害者の同意」という呼称のほうがよいと感じています。


第2 被害者の承諾の意義と効果

「被害者の同意」は、被害者が自己の法益に対する侵害について同意を与えることを言います。

「被害者の同意」は「同意は違法をつくらず」との法諺からもイメージされるとおり一種の違法性阻却事由という印象が強いのですが、犯罪論体系上での機能としては、必ずしも違法性阻却事由とは限りません。

  1. 犯罪に全く影響を与えない場合

  2. 成立する犯罪が軽い類型のものになる場合

  3. 犯罪が成立しなくなる場合

の3つがあり、さらに、このうちの3が

  • 構成要件該当性がなくなる場合

  • 構成要件該当性はあるが、違法性が阻却される場合

の2つに分けられます。

そこで、まず、この3つの場合について確認しておきましょう。

1 犯罪の成否に全く影響を与えない場合

犯罪の成立に全く影響を与えない場合として、16歳未満を対象とした不同意わいせつ罪(176条3項)および16歳未満を対象とした不同意性交等罪(177条3項)を挙げることができます。

前者の場合は、これらの者に対して「わいせつな行為をした」こと自体で、後者の場合は、これらの者に対して「性交等をした」こと自体で、構成要件該当性が認められることになり、被害者の同意を得て行為に及んだ場合であっても、そのことは犯罪の成立に影響を与えません。

いずれの条文においても「第1項と同様とする」と書かれていますが、それぞれ第1項は、次のような規定です。

条文中に赤字で表示してあるとおり、行為者が、①被害者を「同意しない意思を形成し、表明し若しくは全うすることが困難な状態」「させて」あるいは、②被害者のそのような状態に「乗じて」、わいせつ行為や性交等をしたことが必要とされています。

なお「性交等」は、条文中の青字で示した部分であり、そこには

  1. 性交

  2. 肛門性交

  3. 口腔「性交

  4. 膣や肛門に(陰茎以外の)身体の一部や物を挿入する行為であってわいせつなもの

が含まれます。また、4の「身体の一部」から「陰茎」が除かれているのは、陰茎を膣に挿入した場合には1の「性交」に該当し、肛門に挿入した場合は2の「肛門性交」に該当するからです。

以上のように、通常の不同意わいせつ罪、不同意性交等罪の場合(第1項の場合)は、被害者を不同意意思の形成・表明・全うが困難な状態にさせたり、このような状態に乗じて、わいせつ行為や性交等に及んだ場合にはじめて構成要件に該当することになりますが、16歳未満の者に対する場合(第3項の場合)は、単にこれらの者に対してわいせつ行為や性交等をすれば、それだけで構成要件に該当することになります。

この場合、同意があっても、犯罪の成立が妨げられることはありません。それは、この場合の同意が有効な同意とはみなされないからです。

このように性交等に対して有効な同意をすることのできる年齢を「性交同意年齢」といいます。2023年(令和5年)の刑法改正前は、わが国の性交同意年齢は13歳とされていましたが、同年の改正により、16歳に引き上げられました。

これは、他の先進諸国の性交同意年齢に合わせたものといえます。他の先進諸国では15~6歳あたりが普通です。

単なる事理弁識能力という点では、小学校高学年程度になれば、ある程度あると言えますが、性交やわいせつ行為については、その年齢では、その社会的な意味などについての理解が必ずしも充分でないことから、性交同意年齢はこれよりも高く設定されています。

ただ、13歳から15歳という時期は、中学生1年生から高校1年生という時期で、思春期であり、恋愛に興味をもつ時期でもあります。そのため、対象者の年齢がこの範囲の場合は、行為者の年齢が5歳以上年上である場合に限って構成要件に該当することとされています。

この年代における同世代同士の恋愛を過度に制限しない一方で、この年代はまだ未熟で特に年齢差による影響力が強いため、5歳以上年上の者から巧みに迫られるなどした場合にうまく断ることができないことなどを考慮してこのような規定にされています。

いずれにしても、以上のような16歳未満の者に対する不同意わいせつ罪・不同意性交等罪は、同意が犯罪の成否に影響を及ぼさない場合の典型例です。

2 犯罪が軽い類型のものに移行する場合

次に、犯罪が軽い類型のものへと移行する場合として、同意殺人罪(刑法202条)を挙げることができます。

刑法202条は「自殺関与及び同意殺人」という見出しの下、

  1. 人を教唆して自殺させた場合(自殺教唆)

  2. 人を幇助して自殺させた場合(自殺幇助)

  3. 人をその嘱託を受けて殺した場合(嘱託殺人)

  4. 人をその承諾を得て殺した場合(承諾殺人)

の4つの類型を規定しています。

このうち1と2が「自殺関与罪」と呼ばれ、3と4が「同意殺人罪」と呼ばれます。

殺人罪(199条)の法定刑が、死刑、無期懲役、5年~20年の懲役であるのに対し、同意殺人罪の法定刑は「6月以上7年以下」の懲役または禁錮ですから、この場合は、犯罪の成立は否定されないものの、同意によってかなり軽い類型へと移行するものといえます。

もっとも、

同意があるにもかかわらず犯罪の成立が否定されない理由は何か?

逆に

同意があることによって法定刑が軽くなる理由は何か?

ということになると、これは理論的にはかなり難しい問題を含んでおり、学説が厳しく対立しています。

この点については、後で少し触れることにします。

3 犯罪が成立しなくなる場合

これには、前述したとおり、同意によって、①構成要件該当性がなくなる場合と、②違法性が阻却されて犯罪が成立しなくなる場合とがあります。

前者の例として、住居侵入罪と窃盗罪を、後者の例として、傷害罪と器物損壊罪を挙げることができます。

(住居侵入等)
第130条
 正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、3年以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。
(窃盗)
第235条
 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。

住居侵入罪における「侵入」とは、住居権者の意思に反して(意思に基づかないで)住居等に立ち入ることをいいます。そのため、行為者が立ち入ることについて住居権者(居住者など)が同意していれば「侵入」の概念に当てはまらなくなります。そのため、構成要件該当性がなくなります。

また、窃盗罪における「窃取」とは、他人の占有する財物を、占有者の意思に反して(意思に基づかないで)その占有から離脱させ、自己または第三者の占有下に入れることを言います。そのため、占有者がその財物の占有移転について同意している場合には「窃取」の概念に当てはまらなくなります。そのため、構成要件該当性がなくなります。

(傷害)
第204条
 人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。
(器物損壊等)
第261条
 前3条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金若しくは科料に処する。

以上に対して、傷害罪の客観的構成要件は「人の身体を傷害」したことであり、「傷害」とは、人の身体の生理的機能を害することをいいます。そして、これは被害者が同意していたとしても、この概念にあてはまることは否定されません。被害者の小指を無理やり切り離しても、被害者の同意を得てその小指を切り離しても、いずれにしても指が切り離されて身体の生理的機能が害されたことには変わりがないからです。

そこで、この場合、構成要件該当性は否定されませんが、被害者が同意しているという理由により違法性が阻却されるかが問題となります。

もっとも、後に説明するように、「動機の不法」を理由として、ヤクザの指詰めなどの場合には違法性が阻却されない、とする説もあります。

器物損壊罪の場合も、所有者の同意を得て、その所有物を破壊したとしても、「他人の物を損壊し……た」ことには変わりがありません。破壊することの同意は、所有権の放棄ではないからです。所有者が所有権を放棄した物を破壊した場合は、そもそも客体が「他人の物」ではなくなるので、構成要件該当性がなくなります。しかし、自己の所有する物を破壊することに同意することは、所有権の基づく客体の処分行為であり、その行為後もその所有者に所有権が帰属しています。ですから、所有者の同意を得て、その所有物を破壊した場合も、器物損壊罪の構成要件には該当し、ただ、被害者の同意によって違法性が阻却されるということになります。

なお、どの場合が構成要件該当性が否定される場合で、どの場合が違法性が阻却される場合かという点については、いくつかの教科書(体系書)を見比べると、結構説明が違っています。ですから、あまり神経質にならず、その中で自分が納得できる説明に従っておけばよいと思います。

ここでは、一応、傷害罪の場合と器物損壊罪の場合は、被害者の同意が違法性阻却事由として働く場面であるとして、以下の説明を続けることにしましょう。


第3 違法性阻却の要件と根拠

1 被害者の同意による違法阻却の根拠

では、被害者の同意によって違法性が阻却されるための要件は何でしょうか? つまり「被害者の同意」が有効に成立するための要件です。

これが判れば、被害者の承諾があるではないかが問題となる事例において、被害者の同意が成り立つか否かを判断し、被害者の同意によって違法性が阻却されるか否かについて結論を出すことができます。

しかし「被害者の同意」は、超法規的違法性阻却事由ですから、条文がありません。そのため、成立要件を導くために、正当防衛や緊急避難などの場合のような手掛かりとなるものがありません。

では、どうすればよいのでしょうか?

これは、理論によって導くしかありません。つまり「被害者の同意」によってなぜ違法性が阻却されるのか、という違法性阻却の原理に立ち返り、そこから論理的に考えて、被害者の承諾が有効に機能するための要件を導き出すのです。

では、「被害者の同意」によって違法性が阻却される場合は、なぜ被害者の同意があることによって、違法性が阻却されることになるのでしょうか?

この点は、やはり、違法性の実質について倫理規範違反説に立つのか、法益侵害説に立つのかによって説明が変わってくることになります。

次のとおりです。

そこで、これを前提に「被害者の同意」が有効に成立するための要件について検討してゆきましょう。

2 被害者の同意の要件

「被害者の同意」の要件をめぐる論点は、つぎの5つの問題に整理することができます。

以下、順に検討しましょう。

(1)同意の対象

これは、同意の対象たる法益は、個人的法益に限られ、社会的法益や国家的法益はその対象にならないという問題ですが、では、個人的法益であればどんな法益でも処分の対象となるのか、という点が特に問題です。

実際、現行法の在り方を見れば、被害者が「殺されることに同意」したとしても、犯罪の成立は否定されず、同意殺人罪(刑法202条後段)が成立することは、すでに確認したとおりです。

もちろん、人の生命は個人的法益ですが、この現行法の在り方を見れば、現行法は、個人的法益であっても「生命」は、被害者が同意によって処分するということができないと考えているようです。

しかし、これは筋の通ることなのでしょうか?

人には、生命を放棄する自由、自殺する自由というものは、保障されていないのでしょうか?

ここで少し、立場の違う学生同士の討論を見てみましょうか?

以上の4人による討論ですが、ピンクの人は「個人的法益の中に自分で処分や放棄をすることができない権利があるなんてオカシイ」という、徹底した考え方を持っている人です。

そのために、現行法の「同意殺人罪」や「自殺関与罪」の正当性自体に疑問をもっています。そして最後には「現行刑法は間違ってるんだ!」なんて言ってしまっています。

学生同士の議論で、こんなことを言い出す人がいると「はい、はい、君の意見は解った解った……」という具合に相手にされなくなってしまいますが、こういうことを言い出すこと自体は、それほどオカシイことではありません。

現行の刑法であろうが、それが憲法の理念に反していれば、違憲無効となるべきものだからです。現行法の規定をできるだけ合憲になるように合理的に解釈すべきである(合憲的解釈)ということは正しいとしても、現行法の規定がすべて合理的にできている、ということを所与の前提として議論することは正しくないでしょう。

ですから、ピンクの人の意見は、過激なようですが、1つの筋の通った徹底した立場を示すものです。ただ、この人は「自由」という価値を、最も価値の高いものとして捉えていると言えますが、問題は、その考え方が正しいかどうか、ということです。

これに対して、黄色の人は、個人の権利の中にも自由に処分や放棄することのできないものは当然に存在するという前提を採っています。そして、その結果として「生命」は処分や放棄することができない権利であって、それゆえ、「自殺をする自由」というものを認めず、自殺をすることも「違法」であると考えます。そのため、現行法が「自殺関与罪」や「同意殺人罪」を処罰していることも当然であると考えます。

この黄色の人の考え方は、ピンクの人の対局にある考え方ですが、これもまた1つの徹底した立場を示すものです。ただ、現在となっては、やや古い考え方とみられているようです。

これに対して、緑の人の考え方は、ピンクの人の考え方と現行刑法の立場とを調和的に捉えようとするものです。つまり、一方においては「自殺をする自由」というものを肯定し、自殺も正当であるとしつつ、他方で、他人がその人の自殺に関与することやその人の同意を得て殺してあげるということは違法である、とする立場です。

比較的穏やかな立場で、現在、有力な立場であろうと思います。

ただ「自殺の自由」を認め、自殺をすること自体は「正当」な行為であるとしつつ、これを手伝うことは「違法」であるという説明は、かなり苦しいものであることは否めません。

そのため「違法が相対化する」と黄色い人から批判されています。

例えば、ある人が自殺した場合、その人の「自殺」という行為を「自殺の自由の行使」であるとして「正当」としつつ、それを教唆・幇助した他者の行為だけを「違法」と評価することは、結局「自殺」という1つの出来事を、本人との関係では法益侵害ではなく「正当」としつつ、他者との関係では法益侵害であり「違法」と評価することになります。

そうなると、この「自殺」は法益侵害なのでしょうか、そうではないのでしょうか? いったいどちらなのでしょうか?

黄色い人が言っている「違法が相対化する」とは、こういう意味です。

「絶対的」とは、誰に対する関係でも同じという意味です。これに対して「相対的」とは、どの人との関係によるかによって異なるという意味です。

しかし、本来、法益侵害というものは、誰に対する関係でも同じ「絶対的」な存在なのではないでしょうか?

そう考えると、緑の人は「違法が相対化してもよい」と言いますが、本当にそうなのか、という疑問を拭いきれません。

最後に、この討論には、水色の人が登場し、「倫理規範違反説なら簡単だよ」と主張し、みんなが黙ってしまいます。

確かに、倫理規範違反説なら簡単です。しかし、問題はそれでよいのか、という点です。倫理規範に違反したら、たとえ法益侵害やその危険が存在しなくても処罰できる、という考え自体方が、憲法論的にも肯定できるのか、ということが問題となります。

さて、みなさんはどう考えますか?

この問題は、結構、深く難しい問題だと思いますが、私から理解のための2つのヒントを提示したいと思います。

第1は、憲法上の価値として「自由」は最上位のものなのか、という点
第2は、近代憲法の成立した当時、その前提とされていた「合理的人間像」という考え方は正しいのか、という点です。

まず、第1の点ですが、憲法上の理念に順位をつけるならば、おそらくその最上位に位置するのは「自由主義」ではなく「個人主義」です。

「個人主義」は、個人はそれ自体として価値のある存在であり、国家はその個人のために存在しているという考え方です。国家の存在理由、国家の価値の源泉は、個人に求められる、という考え方です。これは、国家の存在意義にまでかかわる理念であるため、憲法上最上位に位置づけられる理念と言えます。

「個人のため」とは、個人が尊厳ある人生を全うするためであり、平たく言えば、個人がそれぞれに幸福な人生を送るためと言ってもよいでしょう。

つぎに位置づけられるのは「人格価値平等の原則」です。国家の存在理由が個人を幸福にすることにあると言っても、社会に存在する個人は1人ではありません。そこで、その多数の個人の間に、国家にとっての価値の差があるかということが問題となります。

しかしその答えは、もちろん「ない」というものです。つまり、どんな個人であれ、国家の観点からすれば、等しく大切な存在であるということです。

これが「人格価値平等の原則」です。

これは個人主義の理念から直接的に導かれる派生的な理念であるため、個人主義の次に位置づけられます。

では、その次に位置づけられる理念は何でしょうか。おそらく、ここに「自由主義」が登場すると思われます。

これは、個人が幸せな人生を全うするためには、個人に自由を保障することが必要不可欠であること、個人により広く自由を認めることで個人は幸福になると考えられること、などの認識に基づき、保障されるものです。

さて、以上のように「自由主義」は憲法上の重要な理念であるものの、それは最重要のものではありません。少なくとも、そのうえには「個人主義」や「人格価値平等の原則」が存在しています。

そうすると、例えば、自由主義の観点から、個人にはできるだけ広く自由を保障すべきであると解されるとしても、個人に対してある自由を認めることが、かえってこの個人を不幸にしてしまう、ということになれば、その上位に存在する「個人主義」の理念によって、自由主義は修正を受け、自由が制限されるということは、当然にあり得る、ということになるでしょう。

第2の「合理的人間像」という考え方は、近代憲法が成立した当初において前提とされていた「人間存在に対する認識」であり、人間は合理的に考えて、合理的に行動することのできる、理性的な存在である、という考え方を言います。

このような考え方に基づいて、経済の領域においては「自由放任主義」があるべき姿として主張されていましたし、憲法の領域においては、人々に幸福を追求することができる自由を保障しておけば、それぞれが合理的に考えて自ずと幸福になってゆくはずである、と楽観的に考えられていました。

しかし、実際にはそれから100年もすると、自由放任主義も、合理的人間像という考え方も修正を迫られることになります。

人間は、確かに理性をもち、自由意思をもち、合理的に考えることのできる存在ではあるでしょう。しかし、その合理的な思考や判断は、決して完全なものではなく、素質や環境などによって制限された、不完全なものです。

つまり、その人が生まれ持った素質によっても、合理的に考えることのできる頭のよい人と、それほどでもない人、さらには合理的に考えることが苦手な人もいるでしょうし、育った環境や現在の置かれている環境、精神状態などによっても、合理的に考えることができるかどうか、ということは大きな影響を受けます。

例えば、毎日毎日あまりにも過酷な労働を強いられていたために、遂にはうつ状態になってしまい、「会社に行きたくない。目の前の線路に飛び込めば会社に行かなくて済む」という動機で自殺をした、という場合、これが合理的な判断によるものとは到底思えないでしょう。

そして、そうだとすると、このような精神状態にある人に対して、手放しで「自由」を認めることは、かえってその人の幸福に反し、「個人主義」に反することとなるでしょう。

そうすると、仮に「自殺の自由」というものを認める余地があるとしても、それを肯定することができるのは、自殺という選択が、その人の幸福に資する場合、その人が正常で冷静な判断に基づいて自殺を選択したと言える場合に限られるべきだということになるでしょう。

しかし、実際上多くの「自殺」においては、そのような精神状態ではないままに自殺が選択されている可能性を否定できません。

そうすると、本人が正常な精神状態における理性的な判断に基づいて自殺を選択したという確証もない状態のまま、いかに本人に頼まれたからと言って、安易に他人が本人の自殺に手を貸したり、本人を殺してしまったりすることは結局「本人の幸福のためにならない危険な行為だ」ということになるでしょう。

だから、「生命の喪失」という取り返しの付かない場面において、現行法は、これに対する他人の関与を制限しているのだと考えることができます。

つまり、本人が正常な精神状態の下での理性的な判断によって自殺を選択したとはいえない可能性を考えて、いわば「セーフティーネット」を設けたのが、自殺関与罪・同意殺人罪であると考えることができます。

そして、このように考えるならば、逆に、自殺等の選択が、本人の正常な精神状態の下での理性的な判断に基づく選択であるということが確保できるのであれば、例えば「安楽死」による違法性阻却というものも認められる余地がある、ということになるでしょう。

(2)同意の有効性

「同意の対象」についてのお話がかなり長くなりましたが、次の「同意の有効性」についてのお話に移りましょう。

これは、どのような場合に同意は有効と認められるか、ということを問題とするものです。特に、本人の精神的能力や精神状態に目が向けられて、次のような点が問題となります。

このうち「動機の錯誤」については、次のような事例が問題となります。

この場合、Aの行為は、Vに対する暴行罪(刑法208条)の構成要件に該当します。そこで、違法性阻却事由である「被害者の同意」が問題となります。

この場合、確かにVは殴られることに「同意」していました。しかし、Vが、殴られることに同意をしたのは、Aが1万円を支払うと思ったからです。けれども、実際には、Aにはお金を支払う気持ちはありませんでした。その意味で、Vには「動機」において錯誤(事実の誤認)があります。

そこで、この場合「動機の錯誤」が同意を無効とするか、ということが問題となります。

この問題についての1つの答えは「重要な錯誤」であれば無効となるが、重要でない錯誤であれば無効とはならない、というものでしょう。

しかし、そうなると次の問題は、何が重要で、何が重要でないか、というその基準です。

1つの考え方は「その錯誤がなかったら同意をしなかったか」(つまり因果関係)を問題とするものです。

そしてこの見解に立てば、本件の場合も、Vの同意は無効ということになるでしょう。なぜなら、Aがお金を払ってくれると思わなければ、Vは同意しなかったでしょうから。

しかし、これを理由に「被害者の同意」を無効とすることは、結局は、Vの身体の安全ではなく、Vの報酬への期待、あるいは、騙されないという意思の自由一般を保護してしまう、ということになるでしょう。けれども、暴行罪という犯罪は、そのような期待や自由を保護するために存在するものではありません。

その意味で、このような「動機の錯誤」による無効を広く認めると「法益の転換」を生じさせる結果となり、その犯罪の構成要件が本来保護を予定しているのとは別の法益に対する侵害を理由としてその犯罪によって行為者を処罰することになってしまいます。

そこで、現在の有力な考え方は、このような「動機の錯誤」一般については同意を無効とはせず、ただ、その構成要件(この場合であれば暴行罪)で保護された法益に関係する動機の錯誤(法益関係的錯誤)の場合についてだけ、同意を無効とするとします。

例えば、BがWに対して「背中に毒虫がとまっている。いま退治してやるから動くな」と嘘を言って、背中をバチンと叩いた、という場合です。

この場合、Bの行為は暴行罪の構成要件に該当します。そこで「被害者の同意」によって違法性が阻却されるかが問題となりますが、実際には、背中に虫などとまっていなかったという場合は、Wの同意には、暴行罪の保護法益に関係する錯誤があります。つまり、Wは「虫」による身体の危険があると誤認したからこそ、Bに叩かれることに同意したワケですから、この場合、法益関係的錯誤があり、同意は無効となると解することができます。

(3)同意の態様

(4)同意の時期

(5)侵害行為の程度・態様

(6)規範違反説と法益侵害説との要件の違い

以上のとおり、違法性の実質に関して、規範違反説を採るか、法益侵害説を採るかによって「被害者の同意」が有効に成立するための要件が変わってきます。

ただ、上の一覧表のとおり、いずれの立場に立っても同じである点も少なくありません。

結局のところ、違っている点は、次の紫の線でマークしたところです。

このうち、生命についての同意の有効性をめぐる問題は、違法性阻却自由としての「被害者の同意」の問題というよりは、自殺関与罪・同意殺人罪の理論的前提としての意味合いが強いと言えます。

また、法益侵害説の内部でも見解が対立しているところです。

なお、生命については処分や放棄ができないと解する場合には、暴行や傷害についての同意であっても、その暴行や傷害に生命の危険が伴う場合には同意は無効である、という結論が導かれることになります。

それ以外の4つについては、規範違反説か法益侵害説かによって結論が分かれるので、論文試験の答案上でこの論点を論じるときは、この点に遡って展開する必要があるということになります。


第3 おわりに

今回は「被害者の同意」についてお話してきました。

「被害者の同意」は、憲法の問題などにも関係する、深く興味深い論点を含むことがご理解いただけたと思います。

なお、今回のお話を通じて、自殺関与罪・同意殺人罪について興味を持ったという方は、ぜひ次の記事にも目を通してみてください。初心者だとまだチョット早いかもしれませんが。

さて、違法性阻却事由については、まだまだ学ぶべきことはたくさんありますが、とりあえず、入門編としての違法論はここまでです。

そこで、本来なら次回は、責任論に……というところですが、ちょうど切りのよいところなので、いつもとはちょっと趣を変えて「法律科目の答案の書き方」というテーマを取り上げたいと思います。

一般に大学の授業では「答案の書き方」など教えてくれないのですが、私はもともと司法試験予備校の講師だったので、授業の中に必ずこれを含めることにしていました。

だって「答案の書き方」も教えずに、いきなり「答案を書け」なんて言っておいて「答案の書き方も知らん」などと低い点を付けるなんて、ヒドいと思いませんか? そんなの、「泳ぎ方」も教えないでいきなりプールに放り込むような「昭和な教育」ですよ。

ですから、次回は、令和の時代らしく、やさしく、やさしく答案の書き方の基礎を伝授しますので、お楽しみに!

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