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【学ぼう‼刑法】入門編/総論27/共犯と身分/真正身分犯と不真正身分犯/違法身分と責任身分


第1 はじめに

今回のテーマは「共犯と身分」です。

扱う条文は、刑法65条だけ。こんな条文です。

そんなに長くもないし、超楽勝ですね!

では、参りましょうか? 泥沼へwww


第2 身分犯

1 身分犯の意義

刑法65条の見出しは「身分犯と共犯」です。

ということで、まず「身分犯」とは何か、ということを確認しておきましょう。

構成要件は、構成要件要素から成っています。結果犯の場合であれば、客観的構成要件要素としての「実行行為」「結果」「因果関係」、そして主観的構成要件要素としての「構成要件的故意」が基本的な構成要件要素となります。そのほか「行為状況」や「目的」「身分」などの構成要件要素をもつ犯罪も少なくありません。構成要件要素として「目的」をもつものは「目的犯」と呼ばれます。同様に、構成要件要素として「身分」をもつものが「身分犯」です。

2 身分犯の種類

身分犯には、真正身分犯不真正身分犯という種類があります。

真正身分犯は、身分があることによって、初めてその犯罪が成立するとされている犯罪です。真正身分犯の場合は、身分のない主体(非身分者)による犯罪が用意されていません。

真正身分犯の例としては、収賄罪(刑法197条)や、偽証罪(169条)などがあります。

これに対して、不真正身分犯には、非身分者による犯罪も用意されており、同じ行為を身分者がすることによって、その刑が重くなっていたり、軽くなっていたりするものです。つまり、行為者に一定の身分があることで、刑に軽重が設けられている犯罪を不真正身分犯といいます。

不真正身分犯の例としては、常習賭博罪(186条)や、保護責任者遺棄罪(218条前段)などがあります。常習賭博罪の場合、身分のないタイプの犯罪は、賭博罪(185条)で、常習賭博罪のほうが刑が重くなっています。また、保護責任者遺棄罪の場合の身分のないタイプの犯罪は、遺棄罪(217条)で、この場合も、保護責任者遺棄罪のほうが刑が加重されています。

なお、賭博罪も、遺棄罪も、身分のあるタイプと対比する意味で、特に「単純賭博罪」「単純遺棄罪」などと呼ばれることもあります。

なお、真正身分犯のことを「構成的身分犯」、不真正身分犯のことを「加減的身分犯」と呼ぶこともあります。これは、刑法65条1項が「身分によって構成すべき犯罪」と規定し、2項が「身分によって特に刑に軽重があるとき」と規定していることを受けた名称でしょう。

しかし、不真正身分犯も、身分が構成要件要素になっている以上「身分によって構成すべき犯罪」とも言えるので、実際、後述するように、第1項の「身分によって構成すべき犯罪」には、真正身分犯・不真正身分犯の双方が含まれる、という解釈(有力説)もあります。そこで、本来は、真正身分犯・不真正身分犯という呼び方のほうがよいのでしょう。

ただ、真正身分犯=構成的身分犯、不真正身分犯=加減的身分犯、という用語法がかなり広まっているので、まあ、そういう呼び方でもよいのだと思います。平野龍一先生が、構成的身分・加減的身分という呼び方を使っておられていて、その弟子の先生方はこの呼称のほうをよく使っておられるようですね。

(1)真正身分犯

真正身分犯の例としては、収賄罪や偽証罪がこれにあたります。

収賄罪は、賄賂を収受するなどの罪ですが、この罪の主体は「公務員」とされており、公務員以外の人は、職務(仕事)に関してお金(リベート)などを受け取っても、それは「賄賂」ではないので、そもそもそういう罪が用意されていません。

また、偽証罪も「法律により宣誓した証人」だけが主体とされ、それ以外の者が「虚偽の陳述」をしても、それを処罰する犯罪は設けられていません。

そのため、いずれも真正身分犯とされています。

(2)不真正身分犯

不真正身分犯の例である、常習賭博罪は「常習として」賭博をしたということが規定されています。これは「常習者」という身分のある者が賭博行為をしたことを意味すると解されています。このような身分のない者が賭博行為を行った場合には、単純賭博罪となり、こちらのほうが刑が軽いので、常習賭博罪は不真正身分犯です。

また、保護責任者遺棄罪の場合は「老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者」という身分者が「遺棄」をしたときに成立します。このような身分のない者が「遺棄」をした場合は、単純遺棄罪となり、保護責任者がした場合よりも刑が軽いので、この点で、保護責任者遺棄罪は不真正身分犯の例とされます。

ただし、遺棄罪と保護責任者遺棄罪との関係については、実は、そう単純なものではない、と解されています。というのも、217条の「遺棄」と、218条の「遺棄」とは、同じ概念ではないと解する見解が一般だからです。しかも、どう違うかについては、見解が対立しています。

そうなると、単純に、保護責任者遺棄罪を単純遺棄罪の不真正身分犯とは呼べないことになります。保護責任者遺棄罪は、遺棄罪と実行行為が同じ範囲では不真正身分犯ですが、実行行為が違う場面では真正身分犯となります。

また、218条の罪の場合は、前段と後段に分かれていて、前段は「遺棄」ですが、後段は「その生存に必要な保護をしなかった」というのが実行行為です(保護責任者不保護罪)。そして、後段の実行行為は、217条には存在しないので、この部分も、真正身分犯ということになります。

まあ、これは各論的な細かい話なので、今は「そういうものか」と聞き流しておいて結構です。

3 身分の意義

先ほど、身分犯とは「身分」が構成要件要素となっている犯罪である、と述べましたが、最高裁判所は、刑法65条が適用される「身分」について、これよりは広い解釈を採っています。

「男女の性別、内外国人の別、親族関係、公務員たる資格のような関係のみに限らず、総て一定の犯罪行為に関する犯人の人的関係である特殊の地位又は状態を指称する」と言っています(最高裁昭和27年9月19日判決)。

そこで、刑法65条の適用範囲は、本来の「身分犯」よりは、若干広くなることになります。

例えば、上図の中に引用されてる犯人蔵匿罪は、特に「身分」らしきものはその条文からは読み取ることができませんが、理屈から言って、当然、その主体は「犯人以外の者」となり、「犯人」自身は、その主体になることができないので、その意味では、犯人の身分(人的関係である特殊な地位・状態)が意味を持つ犯罪です。

そこでこれを、概念上「身分犯」と呼ぶかどうかはともかく、判例の「身分」概念によれば、刑法65条を適用するうえでは、この場合も当然射程に入ってくることになります。

また、判例には「営利の目的」を一種の身分と捉えて、刑法65条2項を適用したものもあります(最判昭和42年3月7日)。


第2 共犯と身分

1 刑法65条の解釈

まず、簡単な問題から片付けてしまいましょう。

この刑法65条が「共犯」に関する条文であることは、その見出しからしても明らかです。そして、1項は「身分のない者であっても共犯とする」と規定しています。

では、ここの「共犯」とは何を意味するのでしょうか?

争いがあります。つまり、①狭義の共犯(教唆犯・従犯)なのか、②共同正犯なのか、③共同正犯、教唆犯、従犯をすべて含むのか、という見解が対立しています。

この点、刑法65条1項が、真正身分犯のみに適用される条文なのか、真正身分犯・不真正身分犯のどちらにも適用される条文なのかについては、後に見るように争いがあります。

しかし、どちらの説でも、1項が真正身分犯に適用される場合があることは確かです。そして、その場合を考えると、真正身分犯の実行行為は、身分のある者しかなしえないので、共同正犯の成立要件として「実行行為の一部分担」を必要とすると解する場合は、非身分者はこれができないことになります。例えば、収賄罪の場合、その実行行為は「賄賂の収受」等ですが、公務員でない非身分者は「賄賂の収受」ということ自体ができません。そこで、少なくとも、1項が真正身分犯に適用される場面では、ここにいう「共犯」からは、共同正犯は除かれることになる、という説がかつては有力に主張されました。

しかし、すでに見てきたように、現在では、実行行為の一部を分担しない「共謀共同正犯」が認められるようになっています。

そうすると、実行行為の一部分担ができないという理由で、刑法65条1項の「共犯」から、真正身分犯の場合の共同正犯は除かれるべきだ、という解釈は、現在では成り立たなくなっています。

そこで、現在では、刑法65条1項の「共犯」には、共同正犯、教唆犯、従犯のいずれもが含まれると解されるのが一般になっていると思います。また、2項が共同正犯、教唆犯、従犯のいずれにも適用されることについては、争いはありません。

以下、この前提で話を進めることにします。つまり、刑法65条は、共同正犯、教唆犯、従犯のどの共犯形態にも適用されるということです。

(1)判例・通説による解釈

判例・通説は、1項は真正身分犯(構成的身分犯)に関する規定、2項は不真正身分犯(加減的身分犯)に関する規定と解します。

つまり、1項の「共犯の身分によって構成すべき犯罪行為」とは、真正身分犯のことを意味している、と読むわけです。

(2)有力説による解釈

これに対して、有力説は、少し技巧的な解釈をします。1項は、真正身分犯・不真正身分犯を含む「身分犯」についての、犯罪の成立に関する条文と読みます。そして、2項は、不真正身分犯の科刑に関する条文と解釈します。この説によると、どのような条文操作になるかは、あとで、具体例を使いながら見ることにしましょう。

この説が、まず、判例・通説と違うのは、1項の「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為」を、真正身分犯ではなく、身分犯(真正身分犯・不真正身分犯を含む)と読むところです。この説は、不真正身分犯だって、身分を構成要件要素としているのだから「身分によって構成すべき犯罪」と言えるはずだと言います。そこで、この説は、これは真正身分犯に限らず、身分犯の意味であると読むわけです。

そのうえで1項では「共犯とする」、2項では「刑を科する」と言っているので、1項は共犯の「成立」に関する規定、2項は「科刑」に関する規定と読むわけです。

この有力説は、植松正先生や、団藤重光先生、大塚仁先生、福田平先生などそうそうたるメンバーが主張している説ですが、最近は、ちょっと人気が落ちているかもしれません。成立罪名と科刑を分ける、という処理が、最近はどうも不人気のようです。

(3)まとめ

以下では、判例・通説の立場を【A説】、有力説の立場を【B説】と呼んで説明することにします。

【A説】は、刑法65条1項を、真正身分犯の成立と科刑について規定した条文、同2項を不真正身分犯の成立と科刑について規定した条文、と理解する立場です。

他方【B説】は、刑法65条1項を、身分犯についての共犯の成立(成立罪名)について規定した条文、2項を不真正身分犯についての科刑について規定した条文、と理解する立場です。

2 真正身分犯の共犯の処理

では、早速、具体的な事例を前提に、【A説】と【B説】とで、どのような違いが現れるのかを見て行くことにしましょう。

まず、下の図の【事例1】です。

【事例1】は、真正身分犯である収賄罪(刑法197条前段)についての非身分者による教唆の事案です。身分者であるAが収賄の正犯をするにつき、非身分者である妻:Bがこれを教唆したという場合です。

刑法
(収賄、受託収賄及び事前収賄)
第197条
 公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、5年以下の懲役に処する。この場合において、請託を受けたときは、7年以下の懲役に処する。
(2項省略)

この場合、まず【A説】によれば、Aが収賄罪の正犯、身分のないBは、刑法65条1項が「身分のない者であっても、共犯とする」と規定しているので、収賄罪の教唆犯となり、これによって処罰される、ということになります。

では【B説】の場合はどうでしょうか? 

この場合も、まったく同じで、Aが収賄罪の正犯、身分のないBは、刑法65条1項により収賄罪の教唆犯となります。

つまり、真正身分犯の場合は【A説】でも【B説】でも、条文適用上の違いは生じないということになります。

3 不真正身分犯の共犯の処理

次の【事例2】は、不真正身分犯の場合です。この場合、賭博罪が用いられることが多いので、ここでもこれを用いています。

なお【事例2-1】と【事例2-2】は、正犯と従犯とが逆転した事例です。

(1)身分者が正犯、非身分者が共犯の場合

この【事例2-1】は、常習者であるCが賭博をするにつき、非常習者であるDがこれを幇助したという事例です。

まず【A説】では、正犯である常習者Cには常習賭博罪が成立します。そして、非常習者Cには、65条2項により常習賭博罪の従犯が成立します。そして、それぞれが成立した罪の刑によって処罰されます。

これに対して、【B説】でも、正犯である常習者Cについて、常習賭博罪が成立することは変わりません。

しかし、非常習者Dについては変わります。

まず、65条1項が適用されて、Dの罪名もCと同じく、常習賭博罪となり、その幇助となります。このように、【B説】では、正犯と共犯の罪名は一致します。つまり、共犯の罪名は、正犯の罪名に従属することになります。これを「罪名従属性」といい、これを認めるというのが【B説】の第1の特徴です。

そのうえで、さらに65条2項が適用されることにより、科刑が調整されます。つまり、2項は、不真正身分犯について「身分のない者には通常の刑を科する」と規定しているので、非身分者であるDには、同人に対する「通常の刑」である「単純賭博罪の幇助の刑の限度」で刑が科されることとなります。

このように、【B説】では、不真正身分犯の共犯について、成立する罪名と科刑の基準となる犯罪とが分離することになり、これがB説の第2の特徴です。

もっとも、科刑という点で見れば【A説】でも【B説】でも、身分のあるCには身分者(常習者)としての刑が科され、身分のないDには非身分者(非常習者)としての刑が科せられるので、この場合の処罰という点では、両者は一致していると言えます。

(2)非身分者が正犯・身分者が共犯の場合

次に【事例2-2】ですが、これは、先ほどとは逆に、非常習者であるDが賭博をするにつき、常習者であるCがこれを幇助したという事例です。つまり、非常習者が正犯、常習者が共犯という事例です。

まず【A説】では、正犯である非常習者Dには単純賭博罪が成立し、これで処罰されます。他方、常習者Cには、常習賭博罪の従犯が成立し、これで処罰されます。単純です。

では【B説】では、どうでしょうか?

【B説】でも、正犯である非常習者Dについて、単純賭博罪が成立し、Dがこれで処罰されることは変わりません。

問題は、常習者Cです。Cについては【A説】とは異なります。

まず、Cの成立罪名については、正犯であるDと同じく、単純賭博罪となります。【B説】では、罪名従属性を認めるからです。

しかし、ここから先、つまり、常習者Cの科刑をどうするかについては、【B説】の中でも見解が分かれています。

1つの考え方(B1説)は、常習賭博罪は、単純賭博罪の不真正身分犯であるが、単純賭博罪は常習賭博罪の不真正身分犯ではない、とします。つまり、この場合は「常習者」であることが身分であって、「非常習者」であること(=常習者でないこと)は身分ではない、という考え方です(大塚、福田など)。

この考え方によれば「身分のない者には通常の刑を科する」とした2項は、「身分のある者」であるDには適用されないということになります。その結果、Dには単純賭博罪の従犯の刑が科せられることになります。

もう1つの考え方(B2説)は、単純賭博罪と常習賭博罪とは、どちらがどちらの不真正身分犯とも捉えることができるとし、「常習者」が身分であると同時に、「非常習者」であること(常習者でないこと=消極的身分)も身分であるとします(植松、日髙など)。

この考え方に立てば【事例2-2】の常習者Dについても2項が適用されることになります。そして、2項では「身分のない者については通常の刑を科する」とされているので、常習者であるCには「非常習者」の身分のない者(=常習者)についての「通常の刑」である常習賭博罪の幇助の限度で刑が科せられることになります。つまり、この場合、単純賭博罪は「常習者でない者」を身分とする不真正身分犯で、常習者であるDにはこの身分がない、と読むことになります。

消極的身分は身分か?
 消極的身分とは「一定の身分の不存在という身分」のことを言います。
 消極的身分を「身分」としている真正身分犯の例としては、無免許医業の罪(医師法17条、31条1項1号)や、無免許運転の罪(道路交通法64条1項、117条の3の2第1号)があります。これらの場合は「医師免許をもたない者」「運転免許をもたない者」という消極的身分者が主体とされています。
 そこで、消極的身分を「身分」とみるか否かによって、例えば、医師免許をもたない者が医業をする際に、医師免許をもつ者が幇助をした場合には、刑法65条1項が適用されるか、ということが問題となります。
 真正身分犯の消極的身分については、適用してもしなくても結論が変わらないため、判例はほぼ不適用説に確定し、学説も不適用説が支配的だとされます。ただ、適用説も有力です(平野、山口、内藤など)。
 また、65条2項に関しても、消極的身分を「身分」とみるか否かによって、不真正身分犯において、身分者が非身分者に加功したような場合(事例2-2)において、65条2項が適用されるか否かが問題とされます。そして、この場合は、結論が変わってきます。
 上述した【B1説】は、消極的身分を身分とはみない説、【B2説】は、消極的身分も身分とみる説です。
 しかし、次に見るように、1項と2項が規定していることは、結局は、共犯の科刑についての身分の連帯と個別化です。そして、どのような理由で連帯と個別化が行われるのかという問題はあるものの、このような処理をするのであれば、連帯と個別化を徹底しているほうが一貫している、ということは疑いのないところだろうと思います。つまり、消極的身分も身分とみたほうが処理が一貫します。
 加えて、不真正身分犯は「身分によって特に刑の軽重があるとき」ですが、これには、身分者(のように見える者)が重く処罰されている場合と軽く処罰されている場合との両方があります。つまり、不真正身分犯は、本来相対的なものです。
 そうすると、積極的身分であれ、消極的身分であれ、不真正身分犯には65条2項を適用できる可能性を残す解釈のほうが合理的であると思われます。

4 身分の連帯と個別化

以上のとおり【A説】と【B説】とでは、①正犯と共犯の罪名は別々でもよいとしつつ、それぞれの成立罪名と科刑とは分離しない扱いとするのか、②罪名従属性を維持しつつ、成立罪名と科刑の分離は許容するのか、という違いがありますが、しかし、両説の違いは、基本的にはその違いだけです。

それは、極めて形式的な違いであり、共犯者に対する具体的な処罰が説によって変わるワケではありません(※B1説では変わりますが)。

罪名はどうあれ、不真正身分犯の身分者には身分者としての科刑が、不真正身分犯の非身分者には非身分者としての科刑がなされる、というだけです。

そして、その一方で、真正身分犯に加功した場合には、非身分者であってもその共犯が成立することとなり、その処罰も身分者に対する刑と同じになります。

つまり、この結論を端的に言えば、1項は真正身分犯についての科刑の連帯を、2項は不真正身分犯についての科刑の個別化を図った条文であるということになります。

さて、ここまでを理解することは、そう難しいことではりません。

そう説明されて、「そうなのか」と飲み込むことができるのであれば、それでよいとも言えます。問題なのは、

真正身分犯では科刑が連帯し、不真正身分犯だと科刑が個別化されるのは、なぜなのか? 

と考え始めた場合です。

これは、なぜなんでしょうか?

そして、そこに合理的な理由はあるのでしょうか?

いや、いや、無いわけは無いんです。

刑法の条文なんですから。きっと、何かきちんとした理由があって、そうしているに違いはないんです。……しかし、では、その理由とは、一体どのようなものなんでしょうか?


第3 身分の連帯と個別化の合理性


1 制限従属性説による説明

なぜ真正身分犯の科刑は連帯し、不真正身分犯の科刑は個別化するのか?

この素朴な疑問に対して、1つのとても潔い説明を与えてくれる説があります。その説は言います。

それは、真正身分が違法身分で、不真正身分が責任身分だからだ

そう説明してくれたのは、滝川幸辰先生、平野龍一先生です。

な、なんと解りやすい!

憶えているでしょうか? 

「違法は連帯に、責任は個別に」というあのスローガンを!

そう。制限従属性説のスローガンです。

つまり、この説は、この刑法65条1項・2項による共犯に対する処理について、制限従属性説によって合理的な説明を与えようとするものです。

そして、現在、共犯の従属性の程度(要素従属性)に関しては、制限従属性説が、おそらく圧倒的な通説でしょう。そうであれば、この刑法65条1項・2項の処理についても、この制限従属性説によって説明ができるのであれば、こんなによいことはないワケです。

そしてもし、これで問題解決なら「よし、刑法65条の勉強はこれで終わりにして、今日はこれから飲みに行くぞ……」ということになります。

しかし、ここで一抹の疑問が湧きませんか?

「本当に、真正身分は違法身分で、不真正身分は責任身分なのか?」

そう言った疑問です。どう思いますか?

2 違法身分と責任身分

そういう疑問を、私たちよりもずっと早くに抱いた人がいます。

平野先生の弟子の西田典之先生です。

西田先生は、昭和57年(1982年)に『共犯と身分』という論文を公刊されています。そこでの西田先生の問題意識は、科刑の連帯と個別化を制限従属性説で説明しようとすることはよいとしても、

構成的身分=違法身分、加減的身分=責任身分 ではない。
構成的責任身分というものもあるし、加減的違法身分というものもある。

というものです。

そして、構成的責任身分の例として常習面会強請罪(暴力行為等処罰ニ関スル法律第2条2項)を、加減的違法身分の例として特別公務員職権濫用罪(刑法194条)を挙げます。

では、なぜこれらが、構成的責任身分、加減的違法身分の例となる、と考えられるのでしょうか?

まず、常習面会強請罪ですが、先ほど、賭博罪について見たとき、常習者というものが不真正身分であるということを見ました。そうだとすれば、これは責任身分だろうと西田先生は考えます。

そのうえで、では、常習を身分とする真正身分犯の条文はないのか、と探します。こうして出てきたのが、常習面会強請罪です。この罪は、常習者であることを構成要件要素としながら、常習でない場合を処罰する犯罪(構成要件)が存在しないのです。そうすると、常習者という身分が責任身分であるならば、この場合は、真正身分犯(構成的身分犯)であるのに責任身分である、つまり、構成的責任身分ということになります。

次に、特別公務員職権濫用罪です。この犯罪は「裁判、検察若しくは警察の職務を行う者又はこれえらの職務を補助する者」を身分者とする身分犯です。そして、その行為は「人を逮捕し、又は監禁」することです。しかし、この「人を逮捕し、又は監禁」するということを、これらの身分を持たない者がしたら何罪になるかというと、逮捕罪・監禁罪になります。そうすると、この特別公務員職権濫用罪は、不真正身分犯だということになります。

実際、この罪の法定刑は「6月以上10年以下の懲役又は禁錮」であり、逮捕罪・監禁罪の法定刑が「3月以上7年以下の懲役」とされていることと比較すると、刑が加重されています。

しかし、特別公務員職権濫用罪の法定刑が、なにゆえに逮捕罪・監禁罪よりも加重されているのかと考えると、それは違法の増加を理由とするものと考えられます。つまり、逮捕罪・監禁罪は、人の移動の自由を侵害する個人的法益に対する罪ですが、特別公務員職権濫用罪の場合は、このような個人的法益を侵害するとともに、公務の適正やこれに対する国民の信頼というものを裏切る国家的法益に対する罪という側面があるために、逮捕罪・監禁罪よりも法定刑が加重されているのだと解されるからです。

そうだとすると、この場合の特別公務員という身分は、違法性に影響する違法身分ということになります。しかしながら、これは加減的身分(不真正身分)です。そうすると、これは加減的違法身分ということになります。

以上のとおり、やはり「構成的責任身分」や「加減的違法身分」というものは存在したのです。

西田先生、スゴい!

3 構成的責任身分と加減的違法身分

では、このような構成的責任身分や、加減的違法身分というものがあるのだとしたら、その処理はどうしたらよいのでしょうか?

その答えは簡単です!

われらの進むべき道は決まっています!

もし身分の連帯と個別化の理論的根拠(つまり正当化根拠)を、制限従属性説に求めるのであれば、違法身分であれば連帯させるべきだし、責任身分であれば個別化させるべきだ!

ということになります。

なぜなら、そうでなければ処理の結果を正当化することができないからです。

そこで、下の図の【事例3】が、構成的責任身分の例であり、【事例4】が加減的違法身分の例であるならば、理論に従えば、前者では身分を個別化させ、後者では身分を連帯させるという結論を導くべき、ということになるでしょう(下の図では、オレンジ色で表示したところです)。

しかし、刑法65条1項・2項を形式的に適用しただけでは、このような刑法理論の求める結論は導くことができません(ピンク色で示したところです)。

では、65条1項・2項をどのように解釈したら、刑法理論の求める結論を導くことができるか?

これが解釈論に課せられた課題となります。

ただ、1つだけお断りしておけば、これは、上記【事例3】が本当に構成的責任身分の事例で、上記【事例4】が本当に加減的違法身分の場合であったら、という前提での話です。

では、これは本当にそう考えてよいのでしょうか?

なに? 西田先生がそうおっしゃっているのだから、間違いないって?

まあ、そんなことを言わないで、冷静に考えてみましょう。

4 常習犯と責任の原理

実は、私も、自分自身が司法試験受験生であったときは「西田先生がそう言っているのだから間違いないだろう」と思っていました。

しかし、現在では、これは違うだろうと思っています。

きっかけとなったのは「常習犯」というものについてよく学んだことでした。その結果、現在は、常習面会強請罪を構成的責任身分の例として考えるのはおかしい、という結論に至っています。

それは、どうしてか?

内田文昭先生がその基本書の中で書かれている以下の文章が秀逸だと思っています。

つまり、違法身分が行為の違法性を軽くしたり、重くしたり、ということはあり、また、責任身分が行為者の責任を軽くするということはあっても、責任身分が行為者の責任を重くするということは、理論上あり得ない、と言っているのです。

下の図を見てください。このうちの一番上の「人格→行為→結果」という矢印による流れが、犯罪事実の発生機序です。

そして、こうして発生した法益侵害(やその危険)という結果に対する刑事責任を人格に対してどう取らされるか(帰属させるか)というのが、その下に描かれている図です。

これは、結果(法益侵害)を最大のものとしつつ、これが行為に帰属する際に(寄与度に応じて)減少して行為の違法性が決せられ、さらに、行為の違法性が人格に帰属する際に(意思支配可能性の程度に応じて)減少して人格へと帰属し、最終的に行為者の刑事責任(法的な非難可能性)が決まる、ということを表しています。

これが、内田先生が基本書の中で述べておられる「責任は軽減の理論だったはずである」ということの意味です。

だから、行為の違法性は同じなのに、これが人格へと帰属する際に「責任」の段階で有責性が増える、ということは原理的におかしいのです。

「行為」の評価の場合には、それを行う行為者の属性によって行為の意味が変わり、結果に対する評価が変動し、そのために行為に対する評価も変動するということはあり得ます。

その典型例が上記【事例4】の、一般人Gが、特別公務員Hに対して、Zに対する逮捕・監禁を依頼して実行させたという事例です。

この場合、一般人であるGが自ら行えば、その結果は、Zの個人的法益に対する法益侵害と評価されるにすぎませんが、公務員であるHが行えば、Zの個人的法益とともに、国家的法益に対する侵害とも評価されます。その結果、Gが行うのと、Hが行うのとでは、惹起される法益侵害の量が変わります。だから、違法身分の場合はどの行為者がやるかによって違法が増えるということが起こります。

しかし、責任身分の場合はそうではありません。違法評価が同じ行為でありながら、違う人がすることによって、これに帰属する有責性が増加するということはありません(減り方が緩やかになるということは考えられます)。

ところが「常習犯」についてこれを責任身分だと考えると、これは、常習者であるという人的な属性によって、法益侵害性がまったく同じ行為について、行為者の責任(非難可能性)だけが増加する、ということを認めることになってしまいます。

しかし、これは原理的におかしい。

そうすると、仮に常習犯に対する加重処罰を規定している犯罪を、刑法理論によって正当化するならば、ギリギリ可能なのは「常習犯は違法身分である」と解すること以外はあり得ないということになります。

これが内田先生が主張されているところです。

5 違法身分と責任身分・再考

そこで、この考え方に従うならば、常習面会強要罪における「常習者」という身分は、違法身分だと解することになります。つまり、これは、構成的違法身分の例と理解されます。

ついでに言えば、常習賭博罪における「常習者」という身分も、また、違法身分だと解することになります。そうすると、常習賭博罪は、加減的責任身分ではなく、加減的違法身分の例ということになります(下の表の黄色で強調した箇所です)。

そうすると、構成的責任身分の例として、何か別のものが必要となりますが、これに該当するものとしては、犯人蔵匿罪(103条)と証拠隠滅罪(104条)を挙げることができます。

刑法
(犯人蔵匿等)
第103条
 罰金以上の刑に当たる罪を犯した者又は拘禁中に逃走した者を蔵匿し、又は隠避させた者は、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。
(証拠隠滅等)
第104条
 他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、若しくは変造し、又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金に処する。

犯人蔵匿罪では、犯人自身が逃げ隠れすること自体は、同罪にはなりません。また、証拠隠滅罪でも、客体が「他人の刑事事件に関する証拠」とされていて、犯人自身が自分の刑事事件について証拠の隠滅等をしても同罪にはなりません。つまり、これらは、必然的に「犯人以外の者」を主体とする、真正身分犯(構成的身分犯)ということになります。

そのうえで、なにゆえにこれらの罪において「犯人」自身がその主体から除かれているのかというと、その理由は「類型的に適法行為の期待可能性がないから」と説明されています。つまり、犯人に対して、逃げ隠れするな、とか、証拠を隠すな、などと期待することはもともと無理だ、と言うことです。それゆえ、その理由は、責任によるものなので、この身分は責任身分ということになります。

以上により、犯人蔵匿罪や証拠隠滅罪は、「犯人/犯人以外」という身分は、構成的責任身分の例ということになります。

そこで、新たに【事例3】に代えて、【事例5】を入れて見ました(右上)。この事例においては、Iを不処罰にできるかということが課題となります。


第4 理論に解釈を合わせる

では、解釈論で、この課題をクリアできるのかを考えてみましょう。

1 判例・通説の立場から

最初に、判例・通説の立場(A説)からだと、どのような解釈によってこれをクリアできるかです。

まずは、A説の基本的な解釈を再確認します。

A説は、1項は、真正身分犯(構成的身分犯)の共犯についての成立と科刑の連帯を規定したもの、2項は、不真正身分犯(加減的身分犯)の共犯についての成立と科刑の個別化を規定したもの、と解します。

そこで、ここに「違法身分」と「責任身分」を横軸にとり、マトリックスを作ってみます。次のような感じです。

この表と先ほどの表を見比べてみます。

そうすると、解決すべき【事例5】は右上の部分、【事例4】は左下の部分だと解ります。

【事例5】の右上の部分は、条文の形式的な適用によれば、65条1項によって「身分の連帯」が帰結され、非身分者も処罰されることになってしまいますが、ここは、身分を個別化して、Iを不処罰としたいところです。

他方、【事例4】の左下の部分は、条文の形式的な適用によれば、65条2項によって「身分の個別化」が帰結され、非身分者には非身分者としての刑が科されるべきことになりますが、この場合は、Gは、警察官Hに依頼することで、特別公務員職権濫用罪を実現し、国家的法益までも侵害していますので、身分を連帯させ、その教唆(または共謀共同正犯)として処罰したいところです。

そこで、この場合に考えられるの解釈手法としては、【事例5】については、65条2項を類推適用し、【事例6】については、65条1項を類推適用するという方法が考えられます。

しかし、この解決案は、罪刑法定主義の派生原則である「類推解釈の禁止」に反するのではないか、ということが問題となります。

ただ、この類推解釈禁止の原則は、行為者に不利な場合にのみ働き、行為者に有利な場合には働かないので、65条2項を【事例5】のIについて類推適用する限りにおいては問題となりません。

この場合は、次のように論旨を展開することにより、Iを不処罰とすることが可能です。

 【事例5】において、犯人蔵匿罪は、犯人以外を身分者とする真正身分犯(構成的身分犯)である。そこで、非身分者であるIも、身分者であるJを教唆して、犯人蔵匿の事実を実現している以上、65条を形式的に適用する限り、1項が適用されて、非身分者であるIも犯人蔵匿罪の教唆犯として処罰されることとなりそうである。しかし、この結論は妥当ではない。
 そもそも、65条1項が構成的身分の連帯を認めているのは、一般に構成的身分が違法身分だからである。それゆえ、制限従属性説の「違法は連帯に、責任は個別に」という考え方に従って、身分が連帯的に作用することが正当化されるのである。
 ところが、犯人蔵匿罪において「犯人」自身がその主体から除かれ、同罪が「犯人以外の者」を主体とする構成的身分犯とされているのは、犯人に対して逃げ隠れするなと求めることには「類型的に期待可能性がない」からである。そうであれば、これは責任身分である。そして、責任身分であれば、制限従属性説によるならば、その扱いは個別化されなければならない。
 そこで、この場合は、責任身分であることを理由として科刑を個別化している同条2項を類推適用すべきである。
 もっとも、同条2項によれば、非身分者に対しては「通常の刑」を科すこととされているが、構成的身分犯である犯人蔵匿罪の場合、非身分者には本来犯罪は成立せず「通常の刑」というもの自体が存在しないので、この場合、Iには教唆犯自体が成立しないと解するべきである。
 なお、このような処理は、65条2項の類推適用によるものではあるが、行為者に有利なものであるから、罪刑法定主義の派生原則である「類推解釈の禁止」には反しない。

以上に対して【事例4】について、65条1項を類推適用して、Gを特別公務員職権濫用罪の教唆犯(または共謀共同正犯)として処罰することは、本来の適用場面よりも行為者に不利な扱いをすることになるため、まさに「類推解釈の禁止」に触れるものとして、許されません。

そこで、結論的に言えば、判例・通説の立場(A説)の場合は、構成的責任身分の例である【事例5】については妥当な結論を導くことができますが、加減的違法身分の例である【事例4】については、妥当な解決を導くことができない、ということになります。これが【A説】の限界です。

なお、西田先生自身は、【事例5】のような加減的違法身分の場合につき、65条1項による解決を主張しておられるのですが、案の定、他説から「罪刑法定主義に反する」と批判されてしまっています。

そしてこの批判自体は、もっともだろうと思います。

2 有力説の立場から

では、最近不人気の有力説(B説)からは、どうなるでしょうか?

まず、刑法65条についての【B説】による解釈を確認しておくと、この説では、1項は、身分犯(真正・不真正を含む)の共犯の成立の連帯(罪名従属性)について定めた規定、2項は、不真正身分犯の共犯について科刑の個別化について定めた規定、と解釈します。

つまり、【B説】では、真正身分犯の共犯の場合も、不真正身分犯の共犯の場合も、まずは1項が適用されて正犯と同じ罪名で共犯が成立しますが、不真正身分犯の場合は、さらに2項が重ねて適用されることにより科刑だけが個別化される、という処理になります。

これを図示すると、下のようなイメージとなります。

こうした処理によって、結果的に、科刑について、真正身分犯では連帯し、不真正身分犯では個別化する、ということになります。

さて、この図に、先ほどと同様に、違法身分と責任身分を横軸に取ってみることにします。下のような感じです。

そして、この図の中の、どこに【事例4】と【事例5】が位置づけられるか、というと、【事例5】は右上、【事例4】は左下です。

そこで、何の解釈上の工夫も施さなければ、【事例5】の場合には、65条1項だけが適用されて、成立のみならず、科刑も連帯してしまうことになりますし、【事例4】の場合は、65条1項によって罪名は従属するものの、科刑については65条2項が適用されて、個別化されてしまうということになります。

しかし、理論的にはその結果は望ましくないので、右上の【事例5】については科刑を個別化させることでIを不処罰としたいし、左下の【事例4】については、科刑を連帯させることで非身分者Gにも特別公務員職権濫用罪の教唆犯(共謀共同正犯)の範囲で科刑をしたい、というのが目指すべき到達点です。そこで、解釈です。

まず、【事例5】ですが、ここは【A説】のときに用いたのと同様に、65条2項を類推適用するという方法で実現することができます。

 この点、65条2項の趣旨は、不真正身分(加減的身分)が一般に責任身分であることから、不真正身分犯の場合に科刑の個別化を図ったものである。ところが、犯人蔵匿罪における「犯人以外」という身分は、真正身分ではあるものの、責任身分である。すなわち、犯人蔵匿罪の主体から「犯人」自身が除かれているのは、犯人に対して逃げ隠れするなと要求することには、類型的に適法行為の期待可能性がなく、犯人には責任がないと解されるからである。
 そこで、制限従属性説によれば、責任身分は個別化されるべきであって、連帯されるべきいわれはないから、この場合は、真正身分であっても、同条2項を類推適用して、科刑の個別化を図るべきである。つまり、Iに対しては、非身分者としての「通常の刑」を科すべきである。もっとも、この場合の犯人蔵匿罪は、真正身分であって、非身分者である犯人自身に対する「通常の刑」というもの自体が存在しないので、不処罰とすべきである。
 なお、この場合の類推適用は行為者に有利なものであるから罪刑法定主義の派生原則である「類推解釈の禁止」には反しない。

では、【事例4】については、どうすれば科刑の連帯を実現することができるでしょうか?

この場合、【B説】では、【A説】とは異なり、65条2項を縮小解釈するという方法により、これを実現することが可能です。

【事例4】において、まず、警察官Hについては、特別公務員職権濫用罪の正犯が成立する。では、Gについては、どうか。
 Gは、特別公務員という身分を持たない非身分者であるが、私見では、まず、刑法65条1項が適用されて、特別公務員職権濫用罪の教唆犯が成立することとなるものと解する(罪名従属性)。
 問題は、Gの科刑について65条2項が適用されるかである。
 思うに、65条2項は、不真正身分犯の場合は、一般にその身分は責任身分であり、かつ、制限従属性説によれば、共犯について「違法は連帯に、責任は個別に」作用することから、不真正身分犯の科刑について個別的な扱いをすることとした規定である。そうであれば、この場合の「身分によって特に刑の軽重があるとき」とは、その身分が「責任身分」であることによって、その刑の軽重があるとき、を意味するものと解さなければならない。
 しかしながら、特別公務員職権濫用罪における特別公務員の身分は、不真正身分ではあるものの、その身分は違法身分である。なぜなら、特別公務員による逮捕・監禁行為が、それ以外の者による逮捕・監禁行為よりも重く処罰されている理由は、特別公務員による場合は、被害者の場所的移動の自由という個人的法益を侵害するみならず、公務の適正とこれに対する国民の信頼という国家的法益をも同時に侵害している、ということによるものだからである。そこで、この場合は、不真正身分ではあっても、責任身分ではないので、非身分者に対して65条2項を適用して科刑を個別化すべき理由がない。
 よって、Gに対しては、65条2項は適用されず、65条1項によって成立した特別公務員職権濫用罪の教唆犯として、その刑によって処断すべきものと解する。


第5 おわりに

今回で、入門編の「共犯」は終わりになります。

最後の泥沼、お疲れ様でした!

今回扱った「共犯と身分」は、ほぼ同じ内容で、すでに「刑法65条はお好きですか?~身分犯の共犯をめぐるパズル的法解釈の愉しみ~」として公開しているものです。

どういうわけか、【学ぼう‼刑法】の中では、最も多く読まれている記事です。なんででしょうかね? みんな、刑法65条がキライなのかな?w

ただ、「入門編」は、初学者向けということもあって、今回の記事のほうが内容を丁寧に解説していますし、画像も一部作り直していますので、今回のほうが解りやすくなっていると思います。

なお、今回最後にご紹介した解釈を司法試験などで使用する際は、自己責任でお願いしますwww

次回は「法律科目の答案の書き方(2)」というテーマで書こうと思っています。お楽しみに。




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