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深本ともみ『聖夜、スーパーカワイにて』

Sugomori文芸誌、初のゲスト作家である深本ともみ先生の短編小説
菌類愛好者(マイコフィリア)のみる夢』(10月号掲載)
貝の骨』(11月号掲載)
こちらもぜひ、よろしくお願いします!

 二十四日の夜にシフトをいれたのは、とにかく、どいつもこいつも浮かれまくっているこの一日を静かに暮らしたいと、そう思ったからだ。
 芝工業団地。これが私の住まい。そのすぐそばにあるスーパーカワイ。これが私のバイト先。パートのおばさんたちはみんな休みをとりたがるので、今でているのは私と独身のおじさん、もしくは、家族からつまはじきにされているおじさんだ。
「娘は彼氏とデートだっていうし、かみさんは下の子連れてPTAのママ友とクリスマス会だってさ。参っちゃうよね」
 おちゃらけたサンタの帽子をかぶって棚の整理をしていると、同じくおちゃらけた帽子をかぶった生鮮担当の安斉さんが持ち場を離れてぼやきに来た。時間的に、割引のシールを貼った帰りだろう。生鮮は総菜より値引き時間が早い。
「一月前から休み申請してたのが、ばからしくなってでてきちゃったよ。そのくせ、プレゼントだけはしっかりねだってくるんだよなあ」
「安斉さんはいいお父さんだと思いますよ」
 本当にそう思う。私は時々、安斉さんの娘に生まれていればよかったと思うときがある。うちは父親が交代制勤務だから、クリスマスに一緒に過ごした記憶がない。母親は児童保護施設の職員で、この時期はとくに催しの準備で忙しい。
そんな時間のない中で、私のために一生懸命趣向を凝らしてくれているのはわかる。けれど、児童保護施設では大きなホールケーキを手作りするのに、うちの食卓にならぶホールケーキはスーパーカワイで値引きシールがはられたもので、別に美味しいからいいんだけれど、なんとなくしらけた気持ちになる。
 私が高校に入ってバイトをするようになってからは、もっぱらクリスマスはカワイの値引き惣菜だ。日々のご飯もカワイ。別に美味しいし、安いからいいんだけど。
 八時を過ぎると、店内の人は極端にまばらになる。スーパーは九時まで。あと一時間しかここにいられない。帰っても誰もいないし、誰もいない部屋で自ら持ってきたカワイのケーキを食べるのは悲しすぎる。
「実咲ちゃんはこんな日にシフトいれちゃってよかったの?」
 安斉さんは悪気なしにこういうことを云う。だから娘さんに避けられるんだよ、と思うけど云わない。
「こんな日だからですよ。安斉さんと一緒です」
「え、ああ、ごめんね」
 ばつが悪そうな顔をして、安斉さんは何度もごめんね、と呟いた。なんだかかわいそうになってきて、私はついフォローしてしまう。
「ちゃんとお昼に友達とクリスマス会してきたから、いいんです」
「そっかあ。いいね。楽しそうだね」
 楽しいもんか。
 優華の家は一軒家で、そこに高校でつるんでいる三人でお邪魔した。ご両親は買い物にでていて留守だった。玄関先に飾られたツリーをみながら、二階の部屋へあがる。ツリーは天井に届きそうなくらい立派で、レトロな木製のオーナメントが街でディスプレイされているツリーのように等間隔で飾られていた。
「いいなあ。うち、ツリーないからさ」
「まじで。そんな家あるんだー」
 私の一言に、優華が心底驚いた声をだす。そうでしょうとも。あなたには想像もできない生活でしょう。
「四十過ぎてふたりで腕組んで買い物とか、きもいよね」
 一人っ子の優華はうちの居間ほどの部屋をあてがわれている。見渡す限りピンクとラベンダー色の世界。香水なのかアロマなのか、とにかくむんと鼻につくにおいがしみついている。マスクをしていてよかった、と私は自分の危機管理能力に感謝する。
 お母さんが用意してくれたという、なんとなく高級そうな焼き菓子をごちそうになりながら、優華が自分の彼氏の自慢話をする。私たち三人はそれをうんうんと聞いて、時々わあーとか、まじで、とか、そうなんだあという相づちをうつ。そう。私たちは優華の取り巻きなのだ。
 優華はお茶を淹れるということもできないので、みんな各自持参したペットボトルで喉を潤す。お母さんがいるときは人数分のお茶をだしてくれるのだが、今日は仕方ない。私は、四十を過ぎてもふたりで腕を組んで買い物にいける両親を、心底うらやましいと思う。
 優華が気の済むまで彼氏の自慢話をした後で、プレゼント交換が始まる。予算は千円以内。携帯で流行のクリスマスソングを流し、くるくる回す。
 曲が止まったとき私の手元にあったのは、四つの中で一番簡素な小振りの包みだった。
「わあ、かわいい」
 私の包みは里帆の手に渡っていた。白いフリルのついた手触り重視のハンドタオル。誰に当たってもいいように無難なものにした。一応ブランド品だ。
 里帆は同じ団地に住む私の幼なじみで、今日用意したプレゼントも一緒に買いに行っていた。
「それ、私のやつだ」
「みさのかあ。ありがとね」
「わ、これもかわいい」
 結美が手にしていたのは雪の結晶のモチーフがついたイヤリングだ。確かにとてもかわいい。今日結美が着ている白いもこもこのニットにもよく似合う。
「え、ちょうかわいい」
 優華もぐいと前のめりになる。
「それね、手作りなんだ」
 里帆が少し恥ずかしそうに手を挙げる。確かに手先が器用なのは知っていたが、こんなに腕を上げているとは知らなかった。
 すごいすごいと結美と私がイヤリングをみていると、
「えー、でもそれって安上がりじゃん」
 優華が髪の毛を指に巻きつけながらそう呟いた。
「あ、あの、ちゃんと千円以内の素材を買って作ったよ」
「ふうん」
 場が静まった中、まあいいけど、と優華は自分のプレゼントを開けた。
「なにこれ」
 とりだされたのは卓上台のクリスマスツリーだった。優華の袋は誰より大きな袋だったが、袋を開いた時から木のいい匂いが部屋中に香っていた。
「モミのプリザーブドで作ってあるの」
 結美の家は花屋さんだから、頼んで安くしてもらったのだろう。どう考えても千円で買えるような代物ではなかった。小さなオーナメントまでついていて、とてもかわいらしい。あれがよかったな、と私は一目見て思った。うちにはクリスマスツリーがない。120センチくらいのこぶりなツリーも、中学の時児童養護施設に持っていかれてそのままだ。
「え、なんか臭いんだけど」
 優華はあからさまにしかめ面をし、取り出したばかりのツリーを袋にしまい直す。
「っていうかうちツリーあるし。どうしよっかな、これ」
 どうしようかなって、なんだ。
 嫌な予感がした。先ほどから優華の視線は、ずっと結美のプレゼントに注がれている。
「ねえ、交換しようよ」
「え」
「イヤリングとツリーさ、交換しよう」
「いや、ツリーはもともと結美のじゃん。それじゃ交換の意味がないっていうか」
 これにはさすがに私も口をだした。優華のわがままには時々本当に辟易する。一人っ子ってみんなこうなのだろうか。いや、そんなことない。結美だって一人っ子だったはずだ。
「じゃあ結美と里帆が交換すればいいじゃん」
「だから、それだとプレゼント交換の意味が」
「みさちゃん」
 結美は私の腕をそっとつかみ、困ったように笑った。
「私はそれでいいよ」
「やった、ありがと」
 机に置かれたイヤリングと自分のツリーをさっと交換すると、優華はさっそく自分の耳にそれをつけた。
「ピアスだったらもっとよかったんだけどな。あ、そうだ。りほりほ、今度金具替えてよ。できるでしょ」
「え、ああ」
 里帆は戸惑いながら、曖昧に相づちをうつ。手には私のプレゼントであるハンカチが握られていた。
「あの、ゆいちゃんこれ」
「それは里帆のだから。私はこのにおいすきだし、このままでいい」
「えー、やば。結美って変わってるね」
 結美はツリーの袋をバッグにしまうと、バッグごと私たちの目の届かない場所に移動した。この話はこれで終わり、という合図だ。
 私は悶々としながら自分のプレゼントを開けた。
本当なら三人でクリスマス会をするはずだった。優華は彼氏とデートの予定があったのだ。それなのに、なんでこんな時期に、バスケの交流試合なんて入ってしまうのだ。
 うちのバスケ部は弱いから、強い高校まで遠征に行かなければならない。それが遠すぎると、優華は応援にいかず、こっちに混ざってしまった。
「これ」
「ね、うちのプレゼント、かわいくない?」
 でてきたプレゼントをみて、私は固まった。それはどこからどうみてもオーナメントだった。ペアの天使のオーナメント。けれど、明らかに使用感がある。
「アンティークだよ。木製だから、結構するはず」
「うち、ツリーないんだってば」
「あ、そういえばそんなこと云ってたね。あれじゃん、ドアノブとかに飾ったら?」
 かわいいと思うよー、と悪びれもせず云ってのける。こういう人間が、うかれ騒いで、みっともなくクリスマスを謳歌できる人間だ。私は確信する。
「こんな子じゃ、なかったんだけどな」
 優華の家からの帰り道、結美が呟く。結美は高校一年から優華と仲がよい。二年のクラス替えで里帆と席が近くなった縁で、この四人でつるみはじめた。
「メイク覚えだして、スカート丈が短くなって。極めつけは斎藤くんとつきあってからなの。それまではどちらかというと静かで、我は強かったけれど、あんな感じじゃなかった」
 里帆と私は静かな優華を知らないので、うーんと云うしかなかった。
「そういえば、結美はいいの? 工藤くん」
「うん。クリスマスはお互い、家族で過ごすって決めてるから。だからちょっと早めにクリスマスのお祝いしたんだ」
 結美が工藤くんとつきあっているのは、この三人だけの秘密だ。工藤くんは正直、学年で一番人気といっても過言ではない男の子だ。もし優華に知られでもしたら、とんでもないことになる。
「そっか。そりゃいい」
「ほんと。うらやましいなあ」
 ふたりで冷やかすと、結美は耳たぶを真っ赤にして笑う。ああ、本来ならここにあの雪の結晶のイヤリングがついていたはずなのになあ、と思う。
「あ、そうだ。もしよかったらなんだけどさ。結美のツリー、私と交換しない?」
 そういうと、結美はちょっと困った顔をした。
「でも、やっぱりちょっとにおいがきついかも」
「ううん、ぜんぜん。むしろ私はあの部屋の臭いの方がきつい。うち、ツリーないからさ、優華がツリー当てたとき、正直うらやましかったんだ」
 もちろん、交換用のプレゼントは翌日きちんとしたものを渡すとつけ加えると、結美はよけいに眉をひそめた。
「あのさ、みさちゃんのプレゼントって、あれ」
「自分ちのクリスマスツリーに飾ってあったオーナメントだよね。全く同じような作りだったもん。私結構じっくりみてたから、わかっちゃった」
 里帆もその話をしたかったようで、すぐにうんうんと頷いてくる。
「あれはないよほんと」
「それに、みさのツリーの話聞いてたなら、プレゼントがみさに渡ったとき、やり直すとかすればいいのに」
 里帆も結美も、私のために怒ってくれている。けれどなんとなく、この空間も居心地が悪い。私たちはなんだかんだで結局、本人に立ち向かおうとはしてないから。云ってもわからない人間だと諦めて、後ろで愚痴をいいながらつきあうのも、すごくかっこわるいことだってわかってる。
 私という人間なんてこんなもんだ。だから、やっぱり、こうしてスーパーにいるのもお似合いだ。

 八時半になったので、総菜にシールを貼りにいく。
「今日は残ってるの全部貼っちゃって」
 総菜担当の臼井さんにそういわれる。臼井さんはおちゃらけた帽子をかぶりたくないので今日はずっと裏にいる。
 こんな時間にクリスマス用の総菜を買いに来る人なんて、もういないだろうに。どうせ全部貼るなら生鮮の時間に合わせて値引きすれば、もうちょっと早く捌けたろうに。きっと売れ残ったのを自分で買うつもりなんだ、と邪推する。
 臼井さんはそういうところがある。自分の好きな総菜にはぎりぎりまで値引きシールを貼らない。最後に四割引のシールを貼って、ぱっと会計に持って行ってしまうのだ。まあ、私もそのおこぼれをちょうだいするハイエナなのですが。
 総菜のワゴンに向かうと、いつもは団子になって待っている人の影がない。ちらほらと仕事終わりのおじさんがいるだけだ。私は右端から順番に、ぺたぺたとシールを貼ってゆく。クリスマス仕様にヒイラギの飾りをつけたからあげや、骨付きもも肉の照り焼き、サンタのおじいさんのシールが貼られた手巻き寿司。
 ぽこん、と、太ももに何かが当たった。
 右をみると、小学校中学年くらいの女の子がからあげに手を伸ばしている。当たったのはカゴだった。少し背が小さいので、奥にあるトレイになかなか手が届かない。
 最近、よくみる子だった。お総菜が安くなる時間に来て、団子になっている大人が物色し終えたワゴンの中からそっとお弁当をとってゆく。でも、今日も来るとは思わなかった。
 そっとからあげを手前に押しだしてやると、びっくりしたようにこちらをみた。すぐに、あ、と小さく声を上げる。
「ありがとうございます」
 早口でそういうと、今度は私の左に移動する。お目当てはいくらののったちらし寿司だ。
「あ、ちょっと待って」
 思わずそう声をかけると、女の子はびくっと体を震わせ、そのまま停止した。子どもと話をするときって、どうすればいいんだろう。年の離れた姉しかいない私には、年下とのコミュニケーション能力が皆無だ。
「シールはったげる。そうするとね、安く買えるから」
 出血大サービスで四割引のシールを貼ってあげると、女の子は私の顔を食い入るようにみつめた。
「お姉さん、えらい人?」
「え」
「安くできるの、すごいね」
 これには私も笑ってしまった。確かにそうかもしれない。今、このスーパーの総菜の命運を握っているのはこの私なのだ。
 女の子がちらとケーキをみた。ショートケーキとチョコケーキが一緒に入っているタイプのものだ。コンビニでも似たようなものが売られている。
「それも安くしようか」
 店内で作っているケーキじゃないので、本当は惣菜用の値引きシールを貼ってはいけないのだが、今日くらいは許されるだろう。女の子は喜んでケーキを持ってきた。
「はい、どうぞ」
「ありがとう!」
 ぱっと顔をほころばせ、女の子は小さくジャンプした。その瞬間、私は激しい怒りを覚えた。とにかく、こんなことは許せないと思った。
「あーあ、お姉さんがサンタさんならよかったのに」
 大事にケーキをカゴにいれながら、女の子は呟いた。
「サンタさんはこれから来るよ。寝てる間に来るんだよ」
「ううん、うちには来ないの。サンタさん、世界中回らなくちゃいけなくて、忙しいから。次の日曜日にくるの」
 私は値引きシールをエプロンに突っ込んだ。
なんで大人はわからないんだろう。今日じゃなきゃだめなのだ。日曜日では手後れだ。どうしてそんなことが、大人にはわからないんだ。
「ねえ、お家にクリスマスツリーある?」
「あるよ」
「どれくらい?」
「えっとね、お店の前にあったやつ」
 120センチの小さなクリスマスツリー。でも、それがあれば十分だ。その子にちょっとここで待ってて、と念を押して、私は裏に飛び込んだ。そのままロッカーへ駆け込むと、液晶画面をいじっていた臼井さんが慌ててエプロンに携帯を突っ込んだ。
「ちょ、ちょっと木野下さん、まだ就業中でしょ」
「お互い様です」
 自分のロッカーを開け、バッグを漁る。優華にここまで感謝したことは未だかつてない。そこでロッカーを後にしようと思った時、結美と交換したツリーが目に入った。優華の粗末な包装と違って、きれいなリボンでラッピングされたクリスマスツリー。女の子の喜ぶ顔が目に浮かんだ。
「おまたせー」
 背中にプレゼントを隠しながら近づくと、女の子はほっとしたように駆け寄ってきた。店内には閉店十五分前から流れる蛍の光がかかっていた。まだ二十分前なのに。十中八九臼井さんだ。
 女の子の目線までかがむと、店内に人がいないことを確認し、ポケットからオーナメントが入った袋をとりだした。
「はい、これ」
「わあ!」
「これはえっと、お姉さんから。メリークリスマス」
「わあ!」
 カゴを放りだした女の子は、両手で袋を受け取った。
「あけていい?」
「お家でね。ツリーに飾るものが入ってるよ」
「すごい!」
 女の子は袋を抱きしめ、何度も飛び跳ねた。それだけで、今日の嫌なことが全部吹き飛んでしまった。そうしたらなぜだか、急に母のことが頭に浮かんだ。私の家から消えた小さなツリーと、食卓に並んだ総菜を思いだした。
「それからね、これは、サンタさんから」

 

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