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「代表的日本人」を読む

今年から、古典を読む会という会に参加し、これまで難しいと手に取ることがなかった古典を読む機会を得ています。

「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」という古典をとことん読みやすく超現代語に翻訳してくれたシリーズで、①学問のすすめ 福沢諭吉②   武士道 新渡戸稲造……と全13冊あるのですが、これがとても読みやすいのです。

先月、内村鑑三の「代表的日本人」を読み、まずは英語で諸外国に対し日本時とはどのような精神で生きているのかを書き上げた内村鑑三のすごさに今更気が付きました。

内村鑑三は札幌農学校(現、北海道大学)卒。私も北大卒なのですが、恥ずかしながら北大にいたころは新渡戸稲造や内村鑑三という偉大な人物が北海道大学の出身であることすら結びついていませんでした。
クラークの「少年よ大志を抱け」ばかりが前にでている勘も否めませんが、北大に行って学んだことが今新たな意味をもたらしてくれている気がしてなりません。

日本語が幼少期から日本語が大好きだったのですが、
針の穴に一発で糸を通すような、爽快さと的確さで、情景や心情を表すに日本語の思慮深さに陶酔している状態がずっと続いています。

北大哲学科を専攻し、哲学科とはまさに言葉がすべてなのですが
より、言葉が表すもの、言葉の重みを体感として感じ

使う言葉ひとつにその人の人格すべてが現れていると思うようになりました。

自分の考えを世界に向かって発信する際、常に外国語を用いなければならないのは、書き手にとっては確かに不名誉なことです。自国のことばが通用する世界がごく限られている、と認めることになるからです。日本語を世界の共通語にするという、太閤秀吉の壮大な野望はまだ実現していませんから、そうなる日が来るまでは、本書のような試みがたびたび必要となります。

代表的日本人

いま、私たち日本人は、古人に学び、日本人としての心を改めて学び、整えていくべきときであるのと同時に、日本語が重要な役割を果たしていることに気が付いていくときだと感じています。

アフリカの民族のシャーマンでもある村長から日本人に日本魂を伝えてほしいと言われてYouTube発信が大きな反響を呼んでいるしょうげんさんのお話しによると、
日本人が虫の音を聞こえなくなったら世界が終わる。日本人が特別な言語を話していることに気が付き失わないことが世界にとって必要なのだそうです。

虫の音を美しいと聞き取れて、歌を詠めるのは世界に日本人だけ。
夏まっさかり蝉がワンワンないているなかで静寂を感じたり
虫の音が鳴り始めると秋を感じたり
虫の音に風流さを感じる感性は世界のどこを探してもないというのです。

諸外国の方にとって鈴虫の音は涼しさや秋の訪れを感じさせるものではなく、ただの騒音なんですね。

日本語を遣える感性が、これからの世界の在り方に関わっていると。
いま個人的に思う虫の音を聞ける日本的感性は、繊細さ、細やかな視点でものごとを見つめ、愛でる心。小さきもの、はかないものにある美しさに気が付く心。虫の音に精神を投影できる日本人は、自然と調和、和合している民族なのではないかと感じています。

その調和の心が、いま必要とされているということなのではないでしょうか。
古典を読み、あらためて日本語のすばらしさ、言葉の奥に宿る精神を感じている中でリンクしていきました。


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