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「一公の将棋雑記」を再び転載

 将棋ペンクラブで最も仲よくさせてもらっている、将棋ブログで有名な大沢一公。彼のやっている人気ブログ『一公の将棋雑記』は、将棋のことだけが書かれているわけではない。文章好きであれば、将棋を知らない人でも面白く読める。さまざまなことがらに、マニア的な掘り下げが入っているのだ。野球だったり、鉄道だったり、テレビ番組やアイドルだったり。社会的な事象もネタにする。
 
 彼の文章の持ち味は、それらさまざまなモノへの「論」ではない。それらのモノの「史」だ。たとえば野球を書いているエントリーでは、どうやったら勝てるか、あるいはどうやったらよりファンを掴めるか、というような、「論」の内容ではない。とあるチームや選手の、これまでの足跡を語る。一般的に語られない一場面や、知られていない特徴や性格などを取り入れて。隠れた、あるいは見過ごされた「史」を扱う。だから、妙に哀愁漂う文章になっている。
 
 とにかく、さまざまな題材を調理するのが得意な男だ。不得意なのは男女関係ネタくらいだろうが、しかしこれもまた、妙にもつれた話として取り上げるとアジある文章になっていたりする。
 
 その幅広いことを紹介するために、『一公の将棋雑記』4月3日のエントリーをここに乗せようと思う。面白い文章を書いている人を広く知ってもらいたいという無私の心と、自分のnoteを、手を抜きながらバラエティ富んだ内容にしたいというスケベ根性が合わさったカタチでの転載だ。もちろん本人にはブログ天才の許可をとってある。「あいよ。こんな文章でよければ、いつでも」という返信をもらっている。なお、1行前の誤植はわざとだ。それくらい彼の文章を高く買っている。そっけない返答だったので、皮肉の意味で「天才」と記してみた。
 書ける人は、自分の文章を、「こんな文章」と思っているのだろうか。
 
 
 
 以下、『一公の将棋雑記』4月3日 「仮面ライダー50年」 より。書き手は大沢一公だ。

仮面ライダー50年
 
 1971年4月3日(土)、すなわち50年前の今日の午後7時30分、NET(現在のテレビ朝日)で、ある子供番組が始まった。「仮面ライダー」である。身長40メートルのウルトラマンの向こうを張って、オートバイに乗って戦う等身大のヒーローだった。
 
 だが主人公・本郷猛を演じる藤岡弘(現・藤岡弘、)はその時間、病院のベッドから仮面ライダーを見ていた。収録中にオートバイ事故を起こし、入院していたからである。
 
 第10話の収録時、藤岡弘はオートバイで角を曲がり切れず、激しく転倒した。左大腿部からは骨が突き出て、脚はあらぬ方向を向いていた。藤岡弘はその脚を元に戻すと、そのまま気を失ったのだった。
 
 全治には最短でも1年近くを要する。スタッフは大幅な設定の変更に迫られた。とりあえず、本郷猛の旧友・滝和也(演・千葉治郎)を登場させ、アクションシーンは彼に任せた。本郷猛の出演シーンは過去の収録分からツギハギで登場させた。仮面ライダーの戦闘シーンを多くし、本郷猛がオートバイに乗る新撮シーンは、影武者にヘルメットを目深にかぶらせ、顔が分からないようにした。
 
 これで1クールをどうにか乗り切ったが、これからどうするか。いろいろ案は出たが、本郷猛は外国へショッカーを追いかけに行ったこととし、新規に「仮面ライダー2号・一文字隼人」を登場させることにした。
 
 それまでの仮面ライダーは黒一色で、やや不気味だった。番組全体のトーンも不気味だったが、原作者の石森章太郎(のちに石ノ森章太郎)は「そのほうが子供の印象に強く残る」と満足していた。ただコスチュームだけは、デザイン変更をした。
 
 すなわち、頭頂部から鼻にあたる部分と、口にあたるマスクの下半分を白くし、腕と脚に白のラインを入れ、明るいイメージにした。
 
 一文字隼人役には、藤岡弘と劇団で同期の佐々木剛を起用した。彼は「藤岡さんの役を横取りするのは……」と最初は断ったが、スタッフの熱意に押され、最終的には出演を快諾した。
 
 さらに、変身シーンを加えた。いままでの仮面ライダーは全身に風を受けると変身できるというものだったが、2号は「へんしん!」の掛け声とポーズで、自由に変身できるようにした。
 
 主題歌は当初藤岡弘が歌っていたが、藤浩一(のちの子門真人)を起用した。
 
 そして第14話から第2号が登場した。ニヒルな本郷猛に対し、甘いマスクの一文字隼人は、すぐに子供たちに受け入れられた。ショッカーもゾル大佐や死神博士などの大幹部を登場させ、悪者をよりパワーアップさせた。
 
 藤浩一の独特の歌い方も子供に大受けし、当時の小学生は全員がこの歌を歌えた。ちなみに「とんねるずのみなさんのおかげでした」内の「仮面ノリダー」で、木梨憲武が粘っこい歌い方をしているのは、この藤浩一をリスペクトしている。
 
 さらに仮面ライダー人気に拍車を掛けたのはカルビーが販売した「仮面ライダースナック」だった。これにおまけで付いている「仮面ライダーカード」が大受けした。このスナックはいまでいう「おさつクッキー」で、必ずしも美味くなかった。だから子供たちの中には、カードだけもらってスナックのほうは捨てるということもあり、社会問題になった。
 実は私も当時一度だけ、スナックを棄てたことがある。
 
 カルビーのスタッフは仮面ライダーの収録現場に同行し、より臨場感のあるカードを発行し続けた。
 
 そんな1972年正月、第40話にあたる鹿児島県桜島ロケで、1号ライダーが復帰した。ダブルライダーの登場に、私たちは歓喜したのである。
 
 その後本郷猛は一文字隼人からバトンを受け、1973年2月まで活躍した。実に1年11ヶ月。変身ヒーローが同じ番組名でここまでロングランになった例はなかった。
 
 そして同月からは、仮面ライダーV3が登場する。デストロンとの戦いで窮地に陥った仮面ライダーの2人がV3を生み出すというストーリーで、仮面ライダーが2人いなかったら、V3はこの世に現れなかった。藤岡弘のケガは、文字通り「ケガの功名」となったのである。
 
 それから2021年の現在も、仮面ライダーシリーズの制作が続けられているのは感慨深い。また、藤岡仮面ライダーも、現在東京MXテレビで、毎週金曜日夜7時から放送中である。
 
 そんな藤岡弘は現在75歳。だが、今もドラマやCMに登場するなど、元気いっぱいである。しかもそのどこかに、本郷猛臭を漂わせているのがすごい。何というか、本郷猛が俳優をやっているという感じである。
 
 これは、現在居酒屋を経営している佐々木剛(73歳)や、V3で風見志郎を演じた宮内洋(73歳)にも同じことがいえる。
 
 これから50年経っても、仮面ライダーとその演者の存在感が色褪せることはない。日本のテレビ史に燦然と輝くヒーローをリアルタイムで鑑賞できた私は、幸せだった。

 
 これが、「こんな文章」?

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書き物が好きな人間なので、リアクションはどれも捻ったお礼文ですが、本心は素直にうれしいです。具体的に頂き物がある「サポート」だけは真面目に書こうと思いましたが、すみません、やはり捻ってあります。でも本心は、心から感謝しています。