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またぼくは怒ってる

なんだか朝から思考がぎゅんぎゅんで、止まらず、執筆にぶっつけてみるも、止まる気配あらず、つまりはむちゃんこ、怒っている。ぼくが怒っているとき、たいていは特定の人にではなく、この世界の現象とか、総体めいたでかいものに対して漠然と怒っているのだが、今日もその例外ではない。面倒なのは、この怒りの原因はおそらく「僕が人間として生き、人間として世界を見ようとしてしまっている」からであり、つまり、死んだり、人間を卒業でもしない限り、つきまとうものであるからだ。ああ、これは自死願望ではないので誤解なきよう。

なぜ人は怒るのだろう? それが気になってアンガーマネジメントの勉強をはじめた。演劇のため、つまり怒りの正体を知らなければ演劇という感情を扱う芸術はなりたたんだろうというのが8割、残り2割は正直今後の未来僕がしてしまうかもしれない怒りがもたらすリスクヘッジのため、あるいは僕に向けられた誰かの怒り、に冷静に対応できるようになるため、というのもその2割の中に含まっている。

ともかく、アンガーマネジメントを学んでいくと、これまで漠然と捉えていた「怒り」という感情は、厄介な悪役的な感情では全然なく、立派なコミュニケーション手段なのだとわかった。街中の喧嘩やテレビの煽り運転なんかの報道を見たりすると、怒りって感情はほんとに悪だよなあと錯覚してしまうけれど、本来は防衛本能からくる感情であり、つまり何かを守ろうとしているから「怒る」わけだ。で、アンガーマネジメントはこの怒りを押し殺そうとか、怒らないようにしよう、みたいなことではなく、怒りをコントロールして、適切な時に適切に怒れるようにしよう、というトレーニングなのであるのだ。つまり無我の境地を目指すものではなく、理知で、知恵で、怒りという暴れ馬の手綱を握っていこうと、それがアンガーマネジメントなのであーる。

もともと僕は心理学に興味があって、独学でフロイトをかじったり、心理学の下地のあるアーティスト(たとえばミヒャエルハネケとか、ああニーチェもそうか)を好んで摂取していたようなところがあって、だから、心理学から派生したアンガーマネジメントは受け入れやすかったし、平たく言って、ものすごく楽しい。で、これが今後日本の演劇界で当たり前のように学ばれてきたら、だいぶ業界全体の演劇のクオリティもあがっていくんじゃないだろうか、みたいな気もしている。なにより僕にとってもまったくひと事じゃない業界のハラスメント問題について深く知り対策できるようになると思う。

話を戻そう。とにかく「怒り」だ。学んでいくうち、怒りは防衛本能からもたらされるものではあるが、その先には「伝えたい」というコミュニケーション願望があるのだということを知った。つまり怒りは、矛先の向けられた対象への「リクエスト(要求)」なのであると。これは目から鱗だった。そうだ!僕が世界に対して漠然と怒っているのは、世界に対して要求があるからなのだと。こうなってくれ!世界!という要求が、僕を怒らせていたのだ。これがわかったのはとてつもない収穫だった。僕が作品を書きながらいつも怒っているのは、この、こうした漠然としたおっきな対象への「リクエスト」からだったのだ。。。ものすごく合点がいったし、そしてなおのこと、僕はこの怒りの感情を抱き締めたくなった。愛おしい、僕の怒り。よしよし、僕の怒り。

Do not go gentle into that good night,
Old age should burn and rave at close of day;
Rage, rage against the dying of the light.

正直、僕は政治に怒ったり、国に怒ったり、あるいは不祥事を起こした有名人に怒ったり、そんなタイプじゃない。もっともっとでかいものに怒りたい。that good nightとかthe dying of the lightに怒るのとかって最高だな。って、インターステラーを観た時はあんまりピンときてなかったディラントマスの詩が、いまディレイして僕に染み渡ってる。

僕はでかいものに怒り続けよう。そう思った。思っている。2021年5月10日の朝。

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