「失われた宗教を生きる人々」ジェラード・ラッセル

「マイノリティの目からみると世界はより大きく見える」というのは、ユダヤ研究を始めた修士のときに思ったことだが、それに違わずこの本に出てくる諸宗教、諸民族から見た世界もまた、中東の異なる一面を描いている。大国に翻弄されやすいため、多様な民族や文化に触れざるをえないのは当たり前だが、彼らの習俗からの中東のかつての姿を思いかべることはまた現代を観察するためにも不可欠な視点であろう。作者はアラビア語とペルシャ語が堪能な元イギリスの外交官、各地に赴任した経験を生かし、直接このマイノリティの人々に話を聞き、現在のリアルな姿を伝えているのは貴重である。
 この本で取り扱っている宗教民族の日本語の手頃な入門書はなかなかないため、紀行文とインタビューで構成された本書はとっつきやすく一般におすすめできる。また、大まかな彼らの歴史だけでなく、迫害された末に移民したイギリスやアメリカ、南米での彼らの暮らしや社会にも触れている点が興味深かった。
 ただ、問題に感じたのは、時折彼の思い入れが、諸マイノリティの西欧文明への影響を過大評価する形で現れる点である。ミトラ教を経て握手の習慣は西洋世界に広まった。ゾロアスター教の善悪二元論は、バビロン捕囚以降に書かれたヨブ記のサタンにも影響した。ドルイド教徒はピタゴラス教団の影響下にあったなど。私もそれぞれについて詳しくないのだけど、根拠もなしにちょっとそれは言い過ぎではと思った。ちなみに旧約学の並木門下として言わせてもらうと(笑)、ヨブ記のサタンはまだ完全に「悪」にはなっておらず、あくまで神への「告発者」であり、神の家来の一員にすぎない。

 本書で扱われているのは、マンダ教徒、ヤズィード教徒、ゾロアスター教徒、ドゥルーズ派、サマリア人、コプト教徒、カラーシャ族。ちなみにイスラエルにはドゥルーズ派とサマリヤ人がおり、ヘブライ大学にはドゥルーズの生徒も通う。そのなかには居場所なさげにいまいちイスラエル人と溶け込めずに日本人である私に親近感を持ってくれるアニメ好きのドゥルーズもいた。
 サマリア人は、イスラエル側からはアクセスの悪いパレスチナはナブルスの隣のゲリジム山に住んでいる。昔、そこのサマリタン・ミュージアムを訪れたところ、長老(たぶん大祭司)直々に案内してくれた。
サマリア人といえば、新約の善きサマリア人の話が有名だが、この長老が彼らの正統性を示すために家系図を見せてくれたときに、
「最初がアダムで、ここがアブラハム、イサク、ヤコブ、それで私が132代目のグット・サマリタン!」と言ったときのドヤ顔は今もわすれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?