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「若くていいね」の正体と”オバサン”の定義

私がまだ10歳にも満たなかった頃、”真剣10代しゃべり場”という番組で高校生くらいの女の子が「オバサンになりたくないから、30歳までに死にたい」と言っていたのを今でも鮮明に覚えている。

子供ながらに30歳は確かにオバサンかもなぁと思う一方で、老いは死ぬに値するようなことなのかと強い衝撃を受けた。

30歳=オバサンなのだとすれば、私はまだオバ歴1年目なのだけど。

1年目だと言うのに、目の皺、ほうれい線、たるみといった、外見の変化。スタイルだって、20代前半は、あんなに暴飲暴食しても太らなかったのに、気を緩めると簡単に太る身体になった。

加えて、毎日うるせえよって思うくらい「31歳!?えー!・・・(一瞬の間)見えない!」という、やりとりが繰り広げられる。

30代恐るべし。

おかしい。同い年よ、どこへ消えてしまったんだ。
ビジネスの場では極稀に出会うこともあるが、自分が属する社会人サークルや、ダーツスクール、ソーシャルアパートメントといった場所で会うことはまずない。

あぁ、きっと子育てに専念しているんだな。
女性は結婚して、子供を産んで、”お母さん”にならない限り、世間から"オバサン"として見続けられるのかなぁ、なんて思っている。

お母さんになったらなったで、「女性として見れない」とか言われそうだけど。(経験してないので、あくまで想像)

なんやそれ、そりゃ30歳までに死にたいわな!だって、どれだけ頑張ってきたとしても30歳になったらただの”オバサン”として見られるんだもん。

けど、外見の変化よりもさらに深刻な正真正銘の”オバサン”がいる。

それは、周りから年齢を理由に否定されることで「私なんかどうせ無理」と自分の可能性を諦めること。私は”オバサン”をそう定義づけた。

20代は「これがやりたい!」という願望だけで良かったかもしれないが、30代は”これまで何をしてきたか”でしか評価されない。

「若くていいね」の言葉の裏には、そんな"願望だけで何者にでもなれる可能性を羨む気持ち"があるんじゃないかと思っている。
(+親の老後とか、心配&背負う責任が少なくて身軽に動けるとかもある)

「キャリアプラン考えてますか?(結婚・出産予定あるか聞きたげ)」
「転職3回してる?日本企業はもちろん、もう外資でも厳しいですよ」などなど

20代の時には言われなかったような事を最近になって言われ、痛感した。
ただの身の程知らずだったのだと。

行動さえすれば、何でも叶えられると思っていたけど、そうじゃない。30越えてこれならお前はもう無理、と世間から判断されてしまう。であれば、身の丈に合ったことしなきゃ・・・。

と、私は見事に正真正銘のオバサンと化した。

この現実がドラマのブラッシュアップライフなのだとしたら、次は間違いなく、必死に勉強して、海外の良い大学に行って、そこで出会った人と結婚して、社会人1年目からお金を投資につぎ込む!!!

なんて、思っていたのだけど。

「私、26歳の時なんで中国に行って必死に仕事したんだっけ」
「それって若かったから出来てたんだっけ」

これらを考えてみると、結論”一生懸命に仕事するしかなかった”からで、年齢なんて全く関係なかった。

それが年を重ねるごとに体力の衰えを理由にしたり、ゆるふわ外資系OLを経験したがゆえに「自分は優秀だから、ちょっとの努力で評価してもらえる」と勘違いしたり。

恐ろしいことに、どこか必死になれなくなっていた。

年齢や世間からの評価を言い訳にする前に、必死に努力したのか?

今が人生で一番若い時。
私はその”オバサン”には一生抗っていきたい。

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