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怖がりの泣きごと

 とても臆病な子どもだった。お化け屋敷にジェットコースター、暗い部屋、高いところ、初めての場所、知らないひと。未知に溢れていて、そのすべてが怖かった。こわい、こわいよと母親に縋って泣いていた。

 3歳くらいの時、子ども向けの映画に行ったら、暗くなった瞬間に大泣きしたらしい。うるさくて周りの迷惑だから、すぐにロビーに出て戻れなかったと聞いた。せっかく連れて行ったのに〜と大人になっても言われる。

 小学生になった頃には、明石海峡大橋の下の部分を歩くツアーに連れて行かれた。当然ながら真下は海。ガラスだけの床があり、波打っているのがよく見えた。落ちたらどうしよう、避けて通ろうと思ったら、「写真撮るからそこ乗って!」と母親から一言。無理だ嫌だとゴネていたら、父親に捕まえられて、そのままガラスの上に。へっぴり腰で情けない顔をした写真が残っている。

 母親はテーマパークが好きだった。わたしも楽しんでいたけれど、彼女はいつもジェットコースターに乗りたがった。「怖くない、大丈夫!」そんな言葉で持ち上げられ、一緒に列に並ぶのだけれど、自分の番が近づくにつれ、やっぱりやめたくなる。こんなに並んだのに!?と言われるのが分かっているので、ソワソワと泣きそうになりながら、自分の番を待つのが常だった。

 大抵すべてが終わったあと、母親は満足そうな顔で、「な?怖くなかったやろ?」と言う。そうしたらもう、返せる言葉は何もない。

 すっかり大人になり、怯えていたものはほとんど平気になった。ジェットコースターも乗れるし、お化けより生者の方が怖いし。高所はちょっと嫌だけれど、誘われたらスカイツリーの展望台に上がってもいい。成長したのだと思っていた。

 ふと、小さなわたしが泣きじゃくる夢を見た。そうだ、ずっと怖かった。大丈夫だから!と何度諭されたって、恐怖は大きな壁のように迫ってくる。こわい、逃げたい、たすけて。そう言いたくても伝わらない。大人側には随分ちっぽけに見えただろう。わたしにとっては、世界の終わりだったのに。

 次第に伝えることを諦め、段々と恐怖に慣れていった。大泣きするほど怖がりだったことも忘れていた。自立という意味では良かったのだと思う。けれども、これは成長でも慣れでもなく麻痺だ。怖いものは怖いのに、誰にも届かないのなら仕方がない。そうして痛みに鈍くなっただけ。

 ほんとうは、認めてほしかった。笑い飛ばさないでほしかった。大丈夫じゃなかった。ごめんね、小さなわたし。痛かったこと、やっと思い出したよ。

 いまは一緒に泣こうと思う。

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