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「弦楽四重奏『死と乙女』、2台ピアノで聴いてきた!」~藤川有樹&吉田昴城~

フランツ・シューベルト作曲
弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」

病の床に臥す乙女と死神の対話を描いた
シューベルト自身の歌曲作品「死と乙女」のモチーフが
第2楽章の主題となっている35分程度の作品です

昨年末、ピアニストでもある藤川有樹さんが2台ピアノ用に編曲し
東京と大阪で開催されたご自身のデュオコンサートでお披露目されました

※こちらが関連記事です※
「弦楽四重奏『死と乙女』、2台ピアノで弾いてみる!」~藤川有樹&吉田昴城~
https://note.com/suinosekai/n/n836241462abf

Duo Concert 死と乙女~予告編ムービー~
https://note.com/suinosekai/n/n6a551c047b79

・・・

死神が言います
「私はお前を苦しめるために来たのではない。お前に安息を与えに来たのだ」と・・・

皆さんは死を安息だと思ったことはありますか
死神のこの言葉を素直に受け止めることができますか
私には「死は最後の救済」と思えたからこそ
超えることができた時間があります
いつか必ず死が訪れることが唯一の支えであった時間があります

10年程前、私は中枢神経系の難病と診断されました
医学の目覚ましい進歩により今では死に至ることは稀になったそうですが
それが返って恐怖を増幅させもしました
どんな障害が残っても生き続けなければいけないことは恐怖でした

幸い、私は大きな障害が残ることもなく元気に生きています
傍目にはどこをどう切り取ってみても健康ですし
私自身、病気のことは忘れて生きている時間のほうが圧倒的に長いです

それでもやはり発症して再発を繰り返していた時は恐怖の連続でした
眼球が動かなくなった時に医師に
「失明するといけないからすぐ入院しよう」と言われて以来
暗くて何も見えないのは明かりを消しているからなのか
自分の目が見えていないからなのか一瞬わからなくなることが怖くて
眠る時も明かりを消せなくなりました
翌朝目を開けた時に何も見えなかったらどうしようと思うと
眠ること自体が怖くなりました
ある日手足が突然に動かなくなったり
突然に言葉が発せられなくなったり・・・

自分の体がバラバラになってしまうような感覚と共にいる毎日で
この先、私はどうなってしまうのだろう、いつか失明するのかな、いつか手足が動かなくなるのかな、喋れるのかな、食べ物は飲み込めるのかな、排泄はできるのかな・・・
それでも死ねないんだな、どうやって生きていくのかな、ちゃんと生きていけるのかな、と死ねないことが恐怖でもありました

その時に辿り着いたのが「死は最後の救済」という思いでした
どんな障害が残っても
それでも生きていかなければならなくても
死は必ず訪れてくれるから、いつかはこの苦しみは終わるからと
その思いだけを支えに生きていました

だからこそ、私にとって2台ピアノによる「死と乙女」の公演は
特別過ぎるほど特別なものでした
当時の様々な出来事を苦しいほど思い出すと共に
なぜか不思議なほど慰められる曲となった「死と乙女」を
藤川さんの編曲で、藤川さんの演奏で、
ピアノ曲として聴ける喜びは余りあるものでした

自制しなければ涙がとめどなく溢れてきそうでした
思い出すことは辛いことのはずなのに
それでも演奏と共に脳裏を駆け巡る当時の情景や感情はどこか懐かしく
はかなく、そして優しさに包まれているようでした

聴くのは辛いことなのでは、と思われるかもしれません
でも決してそうではないのです
慰めてくれるのです
とりわけ第2楽章、第3楽章は言葉通り本当に涙が滲みます
でもそれは苦しかったり辛かったりする涙ではなくて
優しさに溢れた慰めに心が解きほぐされるからなのです

弦楽器の泣き叫ぶような哀しみの音とはまた異なり
秘めた哀しみを歌うピアノの音は
まさに救いであり、慰めであり、希望そのものでした

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