2009年入院日記 36日目~40日目

2009年4月20日 入院36日目

朝から禁煙。
親がタバコのにおいを嫌うから。
ため息も深く、泣き出す始末。

親は早めに来て、夏物の服を持ってきてくれました。
あたしは逆に冬物を持って帰ってもらいました。

あたしが駐車場で親と話してる間に、イワちゃんが面会に来てくれてたみたいで、病棟に戻ったら手紙を渡されました。
結局イワちゃんには会えなかったけどね…
面会する患者名にあたしの名前を特定で書いてたのが嬉しかった。
当然手紙も。
またどこかで会えたらいいな。

さて、家族面談は、院長の事情と言うより患者の事情(またPでアバレンジャーが出た)で20分押しで開始。

まずはあたしが今まで家族に対して思ってたことを正直に言った。

・キチガイとか死ねとか言うな。
・病気病気って言うな。
・そのくせ働いてないと甘えてるとか言うな。
・昔の頑張りも認めて欲しい。
・キチガイとか死ねとか言われたら、人並み以上に傷つく、あなた達と同じ人間だと認めて欲しい。
・病気だから何言ってもいい、何言っても傷つかないなんて思うな。

くらいですかね。

そしたら姉が、あたしに対する疑問点(病気・甘え・性格どれか区別つかない)をまとめてきてた。

病気の部分、性格の部分もあるし、甘えてる部分もある。
けど、違う部分も沢山ある。

うちら親子はどっかで歯車が狂ったんだ。
あたしがしきりに父に認めて欲しいと言ってたら、院長に
「口では嫌いっていいながらも、本当は好きなんだよな。いい思い出だってあるだろ?」
って言われたから
「あたしが小さいとき母が入院しがちで、親子で行く遠足に行ってくれたり、参観日に来てくれたりした…父さん覚えてないかもしれないけどさ…」
って言ったら、全部覚えてた。

次の家族面談は、嫌な思い出じゃなくて、思い出せないような嬉しかった思い出を話そうって父が提案。
そしたら院長も賛成。
姉が一言
「あんたが一番頭がいいんやけ、一番覚えとるはずよ」
そしたら両親も同意。
…うちの家族はあたしが頭がいいと誤解しているようだ…早急に解かねば…

院長達は次の患者さんがいるから、ということで退散。
一緒に面談に入った看護師さん(古い病棟からいたスタッフ。あたしのことも以前から知ってる)が、部屋から出る間際に
「いい家族ですね」
って言ってくれた。
嬉しかった。

ちなみに次回の家族面談は三週間後。
くらいかな?

ともあれ、和尚に言われたことも守れたし、なんの問題もなく、少しずつ解れていってます。
これがうまく続けば退院も見えてくるけどね。


2009年4月21日 入院37日目

今日の朝から病棟外のラウンジでご飯です。
責任レベルが3-cにあがったので。
朝から人混みいやだよぅ…
それどころか、波に乗り遅れるところだったよwwwwwwwwwww

ラウンジの便利なところは、すぐにタバコを吸いに行けるところだね。
やっぱり食後の一服はうまい。

朝のOTはネイルアートをやってました。
左右で爪の色が違います。
日曜に彼と会うので、それまで極力はがさないように、アルコール綿やら何やらを触らないように留意します。
ちなみに右手は花を意識してピンク、左手は草を意識して黄緑です。
黄緑のみは持ってなかったし、OT用のネイルを探してもなかったので、ラメが入ってます。
(OTでやるネイルアートは自分のマニキュアを使ってます。普段は危険物にあたるので、預かってもらってます。自前のマニキュアでネイルアートやるのはあたしくらいのものです)

昼は患者ミーティング。
さっさと終わらせたいので、誰も誰かに対して『今週はこんな感じだったよね』的な発言をしません。
それともあたしが嫌われてる?(考えすぎ)
先週から今週にかけてはゆるく波があったけど、自分の時間を作ったり、疎外感がなくなってたり、マイペースで生きてるなと。あとは家族面談で一時期憂鬱だった。
くらいかな?
あとは服薬管理を1日分自己管理から、3~4日分自己管理にレベルアップ申請。
診察の時に院長に何か言われたら、責任感という言葉で乗りきります。
でも皆賛成してくれてるから大丈夫…だといいな…

患者ミーティングを終えてOT室から出たら、メグちゃんが駆け寄ってきて
「Hくん戻ってきた!けど退院する!」
と謎の発言。
デイルームまで走っていったら、確かに任意退院に関する書類書いてた。
見送りがてら喫煙所に行って一服。
それから誰の思い付きか、カフェ(普段ご飯食べるラウンジとは別で、元々ここに入院してた人が、社会復帰の訓練のためにやってる病院内にあるカフェ。営業日はバラバラだけど、営業時間は決まってる)でホットケーキを食べることに。
あたし、チサちゃん、なみちゃん、中村さん、津島さん、木村さん、南原くんとでホットケーキパーティーwwwwwww
和尚と国吉さんは見学。
最後までHくんを見送って、しゅんとしながらも和気藹々と。
まさかこれが国吉さんを見る最後になるなんて…

戻ってからOTをして、終わったら…あれ?
国吉さんがPのパジャマを持たされてPICUへ連れていかれてる…?
スタッフさんが荷物を回収して、国吉さんの部屋のネームプレートを外して…

本当にごく僅かな時間に起こったことだった。
確かに国吉さんもカフェで食事するようになって…正直、病状が悪化した。
自分の中の誰かと会話する回数も増えたし、今まで普通に会話できてたのに、通じないことも増えた。
自分の中の誰かと会話してる声も大声になってきてた。
責任レベルを上げても、カフェで食事をすることが悪化した原因だと思う。

あたししか国吉さんがPに移動するところは見てないって…
早く戻ってきて欲しいな。

Hくんがいなくなった後、すぐに入院。
誰だ…入れ替わりが激しくてついていけない。

夕食前に木村さんが北病棟に行ってしまうことに。
入れ替わりでPのコが入るらしいけど、チサちゃんが全力で拒否。
当然本人も、その場にいた人たち全員拒否。
だけどもう決定事項で…
ご飯食べて、一緒にタバコ吸って…

「また帰ってきてね」

で、お見送り。
みんな泣いてた。
昼のホットケーキパーティーが夢みたいだ。

でも、病棟は違っても同じ階にいる。
喫煙所で会える。
だから淋しくな…淋しいよ!
デイルームにムードメーカーがいないってそりゃ淋しいよ。

なんだか、理不尽。
任意退院は別だけど、国吉さんも主治医に振り回されて、木村さんも主治医に振り回されてさ…


2009年4月22日 入院38日目

木村さんとは喫煙所で会えました。

今日は病棟ミーティングがありました。
前日にデイルーム内で、書記を勝手に指名されてて、まぁその場のジョークだろうと思って、のこのこOT室に行ったら
「狩島さんがいいでーす」
って、廊下歩いてるときから声が。
司会の人に
「二回連続ですがいいですか?」
と聞かれましたが、まさかジョークが生きていたとは思わなかったので。
ちゃんと引き受けました。
ただ淡々と書くだけじゃつまらないから、イラスト入れたり、顔文字入れたり、かなり不真面目に書記をやってました(こら)
でも、意外に好評でした。
次回は約束通り、メグちゃんがやる…筈。

ここで告知しますが、29日にうちの病院でお祭りをやります。
近隣住民の方も普通に来るみたいです。
デイケアの人も出店したりします。
ちなみにあたしのいる2階病棟は、たこ焼き売ります。
そんで、あたし売り子やります。
多分メグちゃんと呼び込みやってます。そのへんフラフラしながらwwww
詳細を知りたい方はなんか連絡ください。
※当たり前ですが今行っても何もありませんし、ご時世的にやってないです。

あ、どーでもいい話。
藤島くんが退院してから彼の夢をよく視るという話をデイルームでしたら、恋だ何だと騒がれましたが、朝ちゃんと起きれてるか心配だという大きなお世話です。
友達にすらなれなかったから、ほんとにあたしの勝手な心配なんだけど。
そしたら、タバコ吸った帰りにデイケア入り口から帰ったら藤島くんに会いました。
朝ちゃんと起きてるのかどうか聞いてみました。
やっぱり起きれてないそうです。
まぁ、ぼちぼちね…って言ってお別れ。

夕食後のデイルーム。
ケンタッキー・フライド・チキンをどう略すかという話になり、ケンチキとかケンタとかの中、和尚は『KFC』とのこと。
誰の意見だったか

『ケンフラチン』

大爆笑。
和尚はどうも下ネタに走る傾向があるから、ケンフラチンの『チン』に過剰反応。
個人的にケンフラチンは流行語大賞候補です。
使うかどうかは置いといてwwwwwwwwwww

※2023年 2月 おまけ
10年以上経った今でもたまについうっかり「ケンフラチン」って言っちゃいます。
習慣とは恐ろしいですね。


2009年4月23日 入院39日目

消灯直前から今の今まで、男性の割と新しい患者さんとお話ししてました。

話すまであたしのこと『うるさい人』『元ヤン・ヤンキー』だと思ってたそうです。
前者は否定しないけど、後者は否定しとこっか。

現在うちの病棟には田中さんが3人(しかも全員男性)いらっしゃるんですが、第二の田中さんとお話ししました。

少しの会話であたしがヤンキーじゃないって分かってくれました。
あたしの場合、言葉遣いが荒い・汚いだけで、別にヤンキーじゃないんです。

あと、みえるひとだと言われました。
第二の田中さんもそうだとか。
あたしはみえるのでも感じるのでもなく、好かれる人なんですけど。(みえる人曰く)
霊的な話をしたのは第二の田中さんが初めてです。
振られたのも彼が初めてですがwwww

あとは、あたしを見透かされました。

「あんまり見透かしちゃダメよ?」

と釘をさしておやすみなさい。

多分第二の田中さんは頭が良すぎて潰れてしまった人。
藤島くんと同じタイプだけど、藤島くんより社交的。

第二の田中さん曰く
・姐御肌
・繊細
・ムードメーカー
・輪の中心にいる
・人の悩みを真剣に聞きすぎて自分を潰してしまう

らしい。

否定できない部分があるから、念入りに
「あんまり心の中覗いちゃダメよ?」
と釘をさしてますが。

多分心も綺麗に見透かされてる、いや、視えてるんだと思うな。


2009年4月24日 入院40日目

現在、ビーズ編みをOTでやってるんですが、作業療法士さんがここに来る前にバイトしてたところのお局様そっくりで、フラッシュバックを起こして、泣くわ呼吸困難に陥るわ。
薬もらったけど全然効かなくて。
あのときの状況とほぼ同じになったということと、それを鮮明に思い出したと言うことでベッドに篭って叫ぶ。

昨日からいきなりレキソタンを半分の量にされてるから、調子がいいとは決して言えなかったんだ。
診察の時、10mgから7mgにしてって、いきなり半分にしないでって訴えたのに…

それからOTは全然やってません。
明日から外泊だけど、それで気持ちを切り替えられたら…
しばらく無理か。

スタッフには、家族面談の疲れも癒えてないのに、無理したのかもねって言われました。
しかも担当以外からも。

明日の外泊、どうなることやら…

2023年 2月 おまけ

今考えると、そのお局様のやってることは完全にパワハラでした。
その頃はパワハラなんて言葉なかったかな。
理不尽に怒られたりとか、言ってることが毎回変わったりとか、私のこと褒めてくれたかと思ったら必要以上にこき下ろされたり。
あなた本当できない子ねって言われたりも一度や二度ではないです。
レジ精算で金額が合わない時、私のせいにされるのはデフォでした。私以外にもシフト入ってる人がいても絶対私。
そういうのがあまりにもしんどかったので、お局様が朝イチで出勤した時に第一発見者になるように真夜中にお店で首でも吊ってやろうかって思って、実行に移そうとしたときにご親切な誰か(って書いてるけど当時の元彼。その時はめちゃくちゃ恨んだな。今はもう恨んでないけど)が警察に通報したので結局首をつって×ぬことはかなわず。
その一件で当たり前だけどそこでは仕事できなくなって、自分でもこのままでは本気でやばいと思って入院することにしたのです。
2001年から精神科に通院してて、ドクターショッピングの結果合う主治医とカウンセリングの先生のいるところに転院したのですが、その主治医がたまたま2003年にも入院した時と同じ病院の院長と知り合いで紹介状を書いていただくことができて、入院に至ってます。
「院長とR先生どっちがいい?」と選ばせてくれたのですが、優しいR先生よりも院長の方が厳しいけど過去も担当してくれてたしいいかな、と思って院長を指名。
結果、院長でよかったなって思います。
ちなみにちょっと前の日記で外泊許可を「責任は私が負います」で出してくれたのはR先生でした。


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