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偽りの記憶と運命の絶対性

占星術で使われるホロスコープは、その人の人生の「完璧な設計図」を表現するものですから、そこに表示されていないような予想外の出来事は基本的には「起きない」のです。

少なくとも、その人の運命を左右するような重大事件がホロスコープ内の「どこにも書かれていない」ということはまずあり得ません。

たとえば、不倫が原因で離婚してしまうような人のホロスコープには確実に「浮気癖がある」と書き込まれていますし、癌にかかってしまう人のホロスコープには「癌に罹患しやすい先天的な体質」がしっかりと表示されているのです。

私がこうやって文章を書くことでいくらかの収入を得ていることですらも「乙女座内で直列する太陽・水星・火星」によって記述されていますし、その文章の内容が「宗教や哲学方面に偏っていること」も「9室射手座の木星」によってハッキリと表示されています。

つまり、私たちの人生の出来事は「運命の神が定めた脚本の範囲内」でしか起きないことが分かるのですね。仮に自由意思が行使できるとしても、その自由意思の影響範囲には「決して越えられない境界線」が存在するのです。

中国の古典「西遊記」の中で、孫悟空が筋斗雲で自由に空を飛び回っていたら、それはどこまで行っても「お釈迦様の手のひらの中だった」というエピソードに似ています。どう頑張っても私たちはその「神の引いた境界線」を越えられないのですね。

もしそこから外れた行動が取れる人がいるとすれば、それは「カルマの輪から離脱した人」・・・つまり「悟りを開いた人」だけです。まぁ、めったにいないでしょうね。

ところが、私の依頼者の中には「ホロスコープのどこにも書かれてない悲劇的な過去」を延々と語る人がいるのです。

それこそ、映画や小説に出てくるような「壮絶な幼少時代」を身振り手振りを交えて熱く語り、挙句の果てには「私の体験をノンフィクション小説として出版して、世間にこの事実を知らしめたい」とまで言うのですから、嘘を言っているようには見えません。それを聞いたほとんどの人はそれを「真実だ」と受け止めるでしょう。でも、彼らの語るストーリーにはあちこちに「致命的な矛盾」が存在しているのです。

私は精神科医でもなければ心理カウンセラーでもありませんので、「クライアントの言葉に全面的に信じる」という義務はありません。私が根拠とするのは唯一「本人の出生チャート図」ですので、どんなに「悲劇的な過去の出来事」を熱弁されたとしても、その話を額面通りに受け入れることはできないんですね。

この私の態度については、いつも妻から「もっとお客さんの話に共感しないさいよっ!」と怒られるのですが、精神保健福祉士を生業とする妻とはそもそもの「立ち位置」が違うのです。私の仕事は「顧客の運命を正確に読み取ること」であり、同情したり共感することではないんですね。

私たちが「自分は自分である」と認識するためには「過去の記憶の積み重ね」が必要です。

もしあなたが今、記憶喪失になったとしたら、性格自体も大きく変わってしまうかもしれません。なぜなら「私は私だ」というアイデンティティは、過去から現在に至る「記憶の連続性」に大いに依存しているからです。

でも、あなたが保持しているその「過去の記憶」は本当に「すべて真実」なのでしょうか?

記憶研究の第一人者で心理学者の「エリザベス・ロフタス博士」によると、人間の記憶というものは「黒板に書かれたチョークの字」のようなもので、簡単に消したり書き換えたりすることができる曖昧なモノなのだそうです。しかもその記憶の書き換えは「外部からの情報操作によっても起きる」という恐ろしい事実が存在するのです。

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