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今遊ぶ『ニーア レプリカント』、答えを求めて転がり続けた初プレイの感想

こんにちは、すいそです。

『ニーア レプリカント ver.1.22474487139...』をクリアしました。Eエンドまですべてのエンディングを見たので感想を書き留めていきます。ネタバレを多分に含みますのでご注意を。

■何かを取り戻したかったプレイ前

先に、少し自分語りをします。読み飛ばしてもらって差し支えないです。

原作『ニーア レプリカント』『ニーア ゲシュタルト』は2010年に発売されたゲームです。ハードはPS3とXbox360でした。

この頃は自分の人生で唯一ゲームから離れていた時期(クソこじらせて古典映画と純文学とサブカル漫画に傾倒していた黒歴史時代)で、現在ゲーム業界のはしくれとして生きている身としては何か後ろめたさを感じるくらい、当時リアルタイムでゲームを楽しめていなかったのが心残りになっていました。その象徴が『FF13』と『ニーア』(『FF13』の方は2年前にSteam版で初プレイ初クリア)でした。

今でこそ仕事プライベート問わず古今東西のゲームに触れて楽しんでいますが、10代の頃はとにかくスクエニ(というかスクウェアとエニックス)のRPG好きだったため、何かここで一度断絶してしまったような感覚がずっとあったんですよね。なので今回の『ニーア』初プレイは、何かを取り戻しにいくような気持ちで臨みました。大げさに聞こえるかもしれませんが、このゲームをプレイすることは自分の中では割と深刻な儀式だったのです。

初代『ドラッグオンドラグーン』は辛うじてプレイしていたのと、『ニーア』のサントラだけは聴いていましたが前知識はそれくらい。度々メディアで目にするヨコオタロウ氏の被り物が何なのかもまったく知らない状態でした。いつか『ニーア』(『レプリカント』)をやるはずだから……と『オートマタ』の情報も極力シャットダウンしていました。そして年末年始、『オートマタ』のアニメの話題もちらほら見かけるようになってきて、この長期休暇でやらねばまた引きずってしまう、ここで自分の人生を変えるんだ(さすがに大げさ)、と決心してプレイし始めたのでした。

■絶望しながら走り回る少年期

期待を膨らませ、神妙にプレイし始めて数時間後。薄々気が付いてはいたものの、ある程度自由に行動できるようになって確信となった悩みがありました。「ゲームテンポが悪い」です。

まずクエスト。些末な事柄のお使いが多すぎる。「伝言を伝える」いいでしょう、「隣町で買い物をしてくる」いいでしょう、「慎重に物を運ぶ」まあいいでしょう、一度くらいは全然やりますよ。行ったことのない場所へ行くきっかけになりますし、街の住人の生活感を知れるのも悪くないです。ただしそれが二度三度となると話は別。主人公のお人よしっぷりを印象付けるために用意されたイベントだとしても、プレイヤーはどんどんお人よしでなくなっていきます。

次に移動。これはクエストの面倒さにも直結しますが、ファストトラベルがないことに軽く引きました。イノシシ、船、砂漠の井戸など多少は用意されているものの、どれも快適とは言い難いユーザビリティです。マモノがうろつく野っ原を回避ローリング連打で駆け抜け、いくつものハシゴをたらたらと登ってロボット山に辿り着いた時、ここが今後何度も訪れるであろう武器強化施設であることを知って絶望しました。RPGにおいて重要なプレイヤー強化要素の一つにアクセスするために、毎回このルートを辿らなければいけないのかと。正直信じがたかく、いつか電車が開通するに違いないと思い込んでいたほどでした。

そして釣りや栽培などのサブゲーム。いつか役に立つはず、楽になるはず、得をするはず、と黙々とやり込みましたが実績が取得できた以上に報われることはありませんでした。村の武器屋にやたら高い剣が最初から置いてあったので、そういうご褒美のための金策としての側面はあったのだと思いますが、『ドラクエ』のカジノにしてはこの釣りゲームはストイックすぎます。

総じて、ドラスティックなゲームに慣れすぎた2023年のプレイヤーにとっては「リメイクされたとはいえ10年以上も前のゲームだもんなあ」という諦観を覚えさせるものでした。同時に、この不便なやり込みならぬやり込ませには何か意味があるに違いないと、諦めの悪い盲信を植え付けるものでもありした。

一方で、ストーリーはほどよく感じる不穏な予兆と共に全力で楽しむことができていました。世界やキャラクターと接しながら、謎にまみれた設定や展開にワクワクしていました。予想していたほどシリアスでもトリッキーでもなかったものの、今思うと充分に「油断」させられていたと思います。

■心を無にして繰り返す青年期

少年期の伏線が回収され始めます。特にマモノの声が聞こえるようになった2周目は正義や価値観が覆される衝撃の展開に度肝を抜かれました。

魔王城でデボルさんとポポルさんが待ち構えていた時も主人公と同じくらい動揺し慟哭しました。初めてアップで映される美人すぎるご尊顔に見惚れながら、めでたく感情がぐちゃぐちゃになりましたとさ。生きてないヒロインがド性癖やねん……。

ただしこれも2周3周と繰り返すと段々感情が枯れていくんですよね。ストーリーに夢中になればなるほど、余計に道中の不便さが際立ってしまい、最早イベントシーンを回収するためだけに無心でフィールドを転がり続けるマシーンと化していたと思います。

少年期からの全体を通してでは、大切な人が死に、それを告げるか告げないかという選択が多々提示されるのも印象的でした。シュレディンガーの猫的な解釈ですが、主人公とプレイヤーが観測したことで決定付けられてしまった事象に対して、さらに観測者のエゴ次第で「世界」にとってはなかったことにもできるという。主人公がお人よしで物分かりがいい一方で、最終的にプレイヤーに白黒付けさせる残酷さは、作品通してのテーマだったと思います。

ほかに印象的だったことが2つ。まず1つ、海辺の街で展開されるルイーゼの話。赤いカバンの船頭さんがあっさり死んだ時は正直もう船に乗れないんじゃないかという心配が勝って別の意味でハラハラしましたが、繰り返す結末は同じでも残された人やプレイヤーの心情に変化を与える展開が用意されていたのが新鮮でした。

どうやらこの話は『ver.1.22』での追加要素らしいですね。本来こういう見せ方で変化を付けたかったんじゃないかなと思いました。

2つめ、テュランの心情変化。もう正義でも悪でもない、罰や許しがほしいわけでもない、ただ生きて進む(主人公と共にいたい)と決意したカイネに引っ張られて、テュランが名前のわからない感情に飲まれていくのが興味深かったです。始終悪に徹することもできたでしょうし、わかりやすい和解を描くこともできたと思うのですが、はっきりとした折り合いをつけないまま主人公に道を示し、結果それがカイネだけでなくテュラン自身の救済になっていたことに心を打たれました。ある意味、最もプレイヤーの心情を代弁してくれていたキャラクターだったとも感じています。

■すべてを失い意味が生まれるDエンド

心構えはしていても、システムメッセージで4度も確認されるとさすがに寒気がしてくるものですね。

集めたお金、経験値、武器、素材、ワード、手紙、魚、チュートリアルメッセージ……そして、そのために費やした時間。それらすべてが1項目ずつ消えていく様子を見せつけられるのは、ゲームプレイヤーにとって真に現実味のある喪失感を伴うものでした。

プレイヤーが何度も目にした世界の外側というUIが白紙になっていくのが何より心に来ましたね。あれが、ただあの世界から主人公が消えていくだけのような演出だと、物語の中の主人公という他人が選んだ切なく悲しい結末という印象でしかなかったと思います。

主人公が生きた証と、プレイヤーがゲームを遊んだ記録の重みがシンクロしていないと、あの選択はこうまで重くならなかったはずです。これが、散々不満に感じていたゲームテンポの悪さに対して、何か意味を見つけたいと思っていた自分にとってのひとつの「納得」でした。

■本当に、本当に、納得できたのか

ファストトラベルなして街を往復し、毎回やたらと要求数の多いクエストアイテムを集めまわった時間に対して、納得できたかと言われると正直NOです。ただ、Dエンドを経てあの時間とあの世界を愛おしいと感じることは、できたと思います。

Eエンドに関しても必要だったと思います。描いてくれてありがとうという気持ちです。プレイヤー名のギミックのためとはいえ、まだ周回させるのかと辟易はしましたけどね……。

探していた犬が死んでいた時、母が男と逃げていたと知った時、街ぐるみで噓を吐かれていた時、家族がマモノ化した時、味方だと信じていた人に裏切られた時、自分が人間ではないことを知らされた時……納得ができないことに対してプレイヤー自身が折り合いをつける、それがこのゲームの本質だったように感じます。

というわけで自分はまだ納得できていません。答えを見つけるために、いずれまた『ニーア オートマタ』をプレイしたいと思っています。それでは。

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