都の西北から来た男

 中学二年の時、新人教師の男は、都の西北からやってきた。
正確には、教員採用試験を二度目で合格してからの着任。
そして、名門のラグビー部出身。
経歴を聞いて全員がどよめいた。
『ベンチにも入れない下っ端だったけどね』と落ちをつけた。
レギュラーだったらどこかの実業団でやってるはず。
そこは中学生でも察しがついた。
それでも誇らしげに部のスタジアムジャンパーを着ているのを見ると『すげぇなぁ』とか『いいなぁ』とか羨望の眼差しで見てた。
そんな先生が担任じゃなかったのが悔やまれるも、自分の教科担当でいてくれるってだけでも、授業が進んでいくにつれて嬉しさが増えて行った。

 中学二年当時の社会科は歴史。
世界史も日本史もごちゃ混ぜで進む。
めちゃくちゃマニアックで、中学校レベルを超えてた。
でも、そこが自分にはツボだった。
『事実はなんだったのか?』を掘り下げるのが。
ある日、友人の高校生の姉がノートを見て、その内容に絶句したという。
『これ...うちらよりも濃いよ、高校生のレベルだよ』と。
当時の中学生の教科書から逸脱してるかと言えば否。
試験に出るポイント、入試に出て来るポイントは外さなかった。
そこをきっちりと抑えた上での内容だった。
歴史、こと日本史に関しては大好きだったものだから、内容のレベルが高くても大歓迎だった。
だが、自分は大歓迎でも、他の人はそうじゃないって場合は多々ある。
『なんでこんなのやるの?』って冗談か本気かわからぬが、ぼやきをぶつけた生徒がいた。
そんな生徒たちのぼやきを怒ることなく、淡々と受け止めて一言。
『君たちの将来に役立ってもらおうとは思わないけど...』と意外な前置きからスタートした。
『将来、海外に出ることもあるかもしれないし、海外から来た人たちと会うかもしれない。
そんな時に「なぜ髷がないのか?」とか「刀は差さないのか?」って訊かれて説明出来るかい?
日本は世界からはかなり誤解されている国。
誤解を解くためにどう説明するんだい?
歴史を知ることは国際感覚を身に着ける上でも損はないよ』と。
後年、海外留学の経験がある職場の人たちに訊いたら、その質問への回答には苦しんだって話は結構あった。
自分にはこの先生が『大当たり』だと確信した。
そして、社会科は歴史に限らず全般的に高得点を叩き出すテッパンになった。
それは高校に進学しても変わらず。
日本史だけだったらどこでも行けるくらいになってた。

もう、ここは小学校じゃないんだ。
あまりにも歴史への執着心がマニアック過ぎて、オタク過ぎて、異端児扱いされてた。
将来の役にも立たぬことを真剣に勉強しやがってって抜かしやがった。
そんな言われ方はおかしいとは肌で感じてたが、当時はなぜおかしいのかはわからなかった。
わからないから、反論できずに悶々としてた。
後年になって、『コテコテの日教組と共産党信者』と知って腑に落ちた。
しかし、都の西北から来た男は違ってたのだ。
『そういう考え方もあったのか』と。
『俺、オタクでいいんだ、究めてもいいんだ』と。
救われた。
教え方の上手さもあって、他のクラスや学年からの評判も良くて、さすがは都の西北から来た男と生徒たちから尊敬されてもいたが、一つだけ欠点があった。
それは、字が汚かったのだ。
一応、何とか読めるレベルだったけども。
『都の西北から来たのにそれかよぉ~』と。
でも、それが親しみを持たせる長所になってたんだと思う。
綺麗すぎたら彼の教えが届いて来なかったかもしれない。
国語はめちゃくちゃ酷い巡り合わせだったが、社会科は大当たりも大当たりだったし、勉強で苦労してない。
教師を通じて進路は如何ようにも変わる。
生徒を生かすも殺すも教師次第だということを小学校教諭はわかってなかった。
公立ならば尚更で、『コテコテの日教組と共産党信者』ともなればそれが確固たるものになってしまう。
『あぁ...これでいいんだ....』としみじみ思い、安心し、心から尊敬を抱いて先生と呼べる人に出会えた。
教師にいじめられて、ひねくれた中学生になるのかと危惧してたが、楽しい中学校生活にしてくれた一人だった。













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