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奢り奢られ論争について

※この記事には、不適切な言葉が含まれています。

奢り奢られ論争というのが前々から存在していますが、これは「どちらかが奢るか、割り勘か」というものです。
 
つい最近、またこの論争が再燃したので、個人的な意見を綴らせていただくと、まず
「奢るのは当然」
「こちらはお金をかけているのだから、奢るべき」という意見は、自己中で無責任なクレーマーと同じです。今で言うカスタマーハラスメントというやつです。
 接客業をやっている人ならわかると思うんですが、難癖をつけて自分の身勝手な要求を押し通し、自分が悪くても謝罪せず、感謝しない所と、あれだこれだとなんとしてでも、しかも無駄に化粧やいい服を着て、金をドブに捨ててでも奢ってもらおうという所は似ていると言ってもいいでしょう。そんな傲慢で迷惑で図々しく、謝罪も感謝もしない人に近づきたいか、と言えば多くの人がNOと答えるでしょう。

しかし、じゃあ奢らないのかといえば、それは違います。僕は基本、割り勘ですし。
 もし、僕が金を持っていて、そういった方々に奢るかと言ったら確実に奢ります。その理由は簡単、見下したいから。
奢る側の理由なんて、様々なものです。
例えば

  • ただの下心

  • 長い間放置した歯垢のような固定概念

  • ハイエナとゴキブリを足して2で割ったような男らしさ。

  • 金銭感覚を壊して今後の人生を壊す

  • 厄介払い

など様々ですが、僕はただ単に見下したいのです。
何故ならこういう人たちは、ただ単に奢って貰う、高価なものを買ってもらいたいが為に、まるでドブに捨てるかのように無駄に金を使って図々しく媚びへつらう。正直、滑稽としか言いようがなく、見下されるのは仕方がないというわけです。

僕が個人的に奢る価値があると思える人間というのは、例えばやってもらって当たり前という傲慢な考えを持たず、男女関係なく真面目で謙虚な人間のことをいいます。「奢るべきだ!」という人にはそれがなく、傲慢で身勝手で他人に対する思いやりがなく、はっきり言って価値がない。というより、普通の人ならそんな人に近づきたくはないし、むしろ距離を置きたくなるでしょう。

最後に、本当に親しい仲であれば割り勘、奢ってもらった場合は最大限の感謝と敬意を、奢る場合は、本当に奢る価値があるのかどうかを見極められるようになりたいですね。

そして今、奢ってもらっている人は他人からどう見られているのかを考えてみるといいでしょう。





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