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動いて気付いた2023年

今年を一言で表すとするならば、「動く」だろうか。コロナが5類に移行し、2年近くに及ぶコロナ禍が収束したことで積極的に海外へと物理的に移動した。2月のベトナムから始まり、6月のタイ、7月のオーストラリア、9月にはフィリピンも訪れた。事業づくりという新しい「動き」方にも挑戦した。こちらは東京都のスタートアップコンテスト「TOKYO STARTUP GATEWAY」にもエントリーし、サービスローンチまで漕ぎ着けた。またそれも相まって、会社を年始に退職することとなり、ぼくの人生は新たなステージへと「動き」始めた。

大学時代にそれほど海外旅行をしなかったせいか、社会人になってから海外旅行に行きたくてたまらなかった。けれどもコロナで動きようにも規制がややこしい。結局ぼくの重い腰が上がったのは今年の2月に入ってからだった。これまでに行ったことがない国に行こう。そう思い、インターネットであれこれ調べていると、往復3万円弱のホーチミン行きの航空券を見つけた。コロナで帰国して以来の空港。飛行機に乗る新鮮さ。2年近くに止まっていた時計の針が少しづつ動き始めたのがこの時だった。

普段の生活に満足していないわけではない。むしろ、生活自体は安全で安定しているぐらいだ。けれどもそんな状態が続くと精神衛生上良くない。現状維持とは、現在進行形で衰退していっているのと同じ意味だと思うからだ。ベトナムに滞在して、改めて、不安定な場に身を投じること、新たな刺激に囲まれることの人生における意味とその重みについて気付かされた。このままではいけない、日本を近いうちに脱出しよう。そう思い始めたのも思い返せばこの頃だった(そしてのちに大きな転機となる高城剛氏のメルマガを再購読し始めたのもホーチミンへの旅がきっかけだった)。

ベトナム、タイ、とアジアの非英語圏を訪れたのち、ぼくはオーストラリアのケアンズを訪ねた。アメリカを2020年に離れて以来の英語圏かつ、日本人の多い観光地。この地でぼくは、「どこまでも日本人で、どこまでも日本人でない」自分の特性に気付かされた。服装にしろ、価値観にしろ、どうも典型的な日本人とうまくいかないような気がしてたまらないのだ。まあ、ぼくのこれまでの短い人生を振り返ればそれもそのはずなのだが。海外に住んだ方が居心地が良いのかもしれない。自分らしさを発揮するためにはどうすればよいのだろうか。ぼんやりとではあるが、そんなことをぼくは考えるようになっていた。

フィリピンへの旅はまた一味違うものだった。それまでの旅が文化や文明側だとするならば、マラパスクア島への旅は自然側のもの。周りを海に囲まれた小さな島で空を見上げながら、太陽と共に過ごす日々を送ることで、いかに普段の生活が人工的で不自然なものであるかと気付かされた。情報を一定量遮断し、自分の内面と向き合う。すると自然と自分の中にある創造性の部分が顔を覗かせるようになる。本来の人間の姿とはどうあるべきか。滞在はほんの数日であったが、フィリピンでの日々はぼくに人生の歩むべき方向を教えてくれるような気がする。

そしてもう一つの動きである事業づくり。やっぱり自分はゼロイチでものづくりをしたいとの思いから、真剣に事業を考えてみようという思いつきで始まったこのプロジェクト。こういう運命的な出会いをするときは、なんと言ったら良いのだろうか、ビビッと電気のようなものが自分の中に走り、気がつくと熱狂している。この時もアイデアを思いついた次の日には友人にコンタクトを取り、すぐにアクションモードへと入っていった。

アイデアを練って、ビジネスモデルを思案し、さまざまな人にコンタクトを取ってフィードバックを貰いながら形にしていく。言葉にすると単純明快だが、実際は困難の連続。それでも夢中になってやっている時はそれは楽しいものだった。TOKYO STARTUP GATEWAYにもエントリーし、そこでもさまざまな新しい出会いが待っていた。そういったプロセスの中でぼくは解決する課題とそのニーズが明確にあることを確認し、無事にサービスリリースまで辿り着いた。

登録してくれるユーザーもちらほら出始めた頃、追加の資金調達に成功したベンチャーがぼくの思い描いていたサービスをフルスケールでローンチした。話は色々と聞いていたが、正直タイミングが悪かった。もし同じアクションを1年前、2年前に取っていたら確実に違う未来が待っていただろう。でもぼくにとってこの学びは貴重だった。実際に「動く」ことでしか得られなかった体感的な学び。ぼくはサービスを静かに閉じ、次のステップを模索することになっていった。

ここまでの2023年のぼくを構成するのは旅とビジネス。事業がうまくいけばそのまま独立も考えていたし、いっそのこと仕事を辞めて旅にでも行こうか。そんな考えがふと頭に浮かんだ。そんなぼくは高城剛氏のメルマガでこんな質問をする。

今後の人生プランについての相談です。
アメリカの大学を卒業後、現在製薬メーカー向けの外資系コンサルティングファームで勤務しています。患者向けの新サービスを個人で立ち上げ、起業を模索していましたが、大手ベンチャーの参入により撤退を決めました。年内で現職を退職してしばらく海外放浪しようかなと考えています。1年程度は困らないくらいの資産はあります。スキルとしては、英語、いくつかの新規事業立ち上げ経験、趣味程度のカメラ・映像制作程度です。高城さんでしたら、今後のプランを収入源含めてどのように考えられますか?

そこでこんな回答をもらった。

いいじゃないですか、「しばらく海外放浪」。
思う時に思うままに旅しながら、いままでの人生なんか振り返らずに、日々を楽しんで、気がつくと未来に没頭する。
そんな日々を送ってみましょうよ。
このような時期は、一生通じて何度も訪れるものではありません。
つまり、いま人生を変える大チャンスがやってきました!
そこで、僕からアドバイスをひとつだけ。
持てるだけの書籍を持って(KIndleと自炊)、いまこそ年間1000冊読破しましょう!
この旅の際、「収入源」なんて考えてはいけません。
それは、いまから過去に培われてきた知識の還金に過ぎず、そんな時間あるなら、未来のために一冊でも多くの本を読みましょう。
時間は、誰もが持つ平等かつ最大の財産です。
どうか未来につながる素晴らしい時を!

高城未来研究所「Future Report」Vol.642

なぜだかこの回答がストンと腑に落ちた。あ、これでいいんだ、というように。よく考えると、これまでのぼくは、あと先考えず、「今やりたいこと」「今興味のあること」に熱狂してきた。結果的にそれらの経験が点となり、線のようになってくるように。けれども、この回答で気付かされたのは、ぼくが無意識のうちに過去の延長線上にものごとを考えていたということ。だからこそ、収入源含めたプランについて質問したのだろう。この言葉をきっかけに、なんだか背中が押された気がして、丸3年働いた会社を辞めることを決意した。

こうやってこの1年を振り返って、書き出してみると、もう一つのキーワードが浮かび上がってきた。「気付き」だ。改めて読むと、どの文章にも必ずと言ってほど、こと言葉を無意識のうちに使っている。おそらく、これはさまざま「動いた」結果としての「気付き」であろう。コロナ禍で止まっていたぼくの中の時計の針は確実に動き始めた。そんな気がしてならない2023年の末。来年は一体どんな年になるのだろうか。

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