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足元を、上から見るか横から見るか。


 おしゃれは足元から。
 足元をすくわれた。
 ひとの足元を見やがって。
 地に足つけてしっかり頑張ろう。

 足元に起因する慣用句は様々で良さそうな意味も悪そうな意味もある。いずれにしても人間の基礎で大事なものであると言う認識は共通している様に思う。土台として固めておけば飛躍も出来るし、悪用されたら基礎が崩れるからそこに積み重ねた経験も何もかもが崩れ去ってしまう。悪いやつも馬鹿ではないのだな、大事な足元を弱点として捉えることが出来るのだ。肝心な本質は肝臓でも心臓でもなく、足元にあるのかもしれない。

 先日こんな四字熟語を知った。脚下照顧(きゃっかしょうこ)。
 「自分の足元をよくよく見よという意味。もと禅家の後で、他に向かって悟りを追求せず、まず自分の本性をよく見つめよという戒めの語。転じて、他に向かって理屈を言う前に、まず自分の足元を見て自分の子とをよく反省すべきこと。また、足元に良く気をつけよの意で、身近なことに気をつけるべきことをいう。」(goo辞書より引用)。つまりは、足元を見ることで自らとその身の程を知るべし、という意味であると解釈した。あまり欲張ってはいけないよ、という意味にも思えるのだが、人間たるものどうしたって向上心もまた持ち合わせている。

 向上を目指すならば、人間は上を目指すので必然的に上を向こうとする。下を向くという表現はネガティブな意味合いが強く、落ち込んで、悲しんで、とてもじゃないが向上を目指せる状態であるとは思えない。お月見をして上を向こう、というCMは上手く表現したものだなと思った。何かのついでにでも実際に上を向けば、自然と心も上向く。今のこの社会情勢においては明るさを目指す必要があるので、言霊と同等の効力がある様に思う。さて、足元を見ようとするとどうしても下を向くことになるが、これでは向上を目指すことと反対方向を向いていることになる。だとしたら、基礎を固めることと向上を目指すことは、相反する難しい課題ということになるのだろうか。

 かの有名なジブリ作品の終盤でヒロインが言った。「人は土から離れては生きられないのよ」。空に浮かび浮上を続ける島の上で悪党に諭した場面だった。かの島はかつて根っこを張って美しい自然で覆われて、人々にも豊かさがもたらされていたはずだった。しかし悪党のせいでずっと浮上を続けてしまったので、もはやかつての栄光を享受できる場ではなくなってしまった。文字通り、ひとの手の届かないところへ行ってしまったのだ。ここに取り残された悪党は、自己満足という欲を目指して上しか見ていなかったから、自らが根っこを壊して足元をすくわれてしまった。

 向上を目指すにしても、結局足元の確認を怠ってはならないのだ。下を向くことは悪いことばかりではない。

 ところで私は最近、部屋の中で下を向いて歩いていることが多い。これは、新しくお迎えした小さな仲間を守るためである。私の小さい仲間はまだ子犬で、私のところにとにかくやってくる。台所で料理を作っているといつの間にか足元がさわさわして、毛深いうちの子が来たことをうれしいと感じる。歩いていてもいつの間にか私の足元に来ているから、踏みつけたり蹴飛ばしたりしないように気を付けなければならない。だから私は下を向いて、足元を見て歩いている。姿勢が悪くなっている気はするが、全然苦ではない。私の仲間を守るためだから。

 しかし、上からばかり見ていても私の仲間は分かりやすく満足しない。しゃがんで目線の高さを合わせると、尻尾を振って喜んでくれる。足の短い私の仲間からは、上を向いても私の顔が遠いのだろう。足元を見ることは大切だけど、上からばかり見下すのは良くないらしい。相手の物の見方や思考を確認する思いやりが必要だと知った。相手が人間であっても同様に、相手の立場を考える必要があるということだ。

 お陰で私は、散歩で仲間が立ち止まる度にしゃがんで様子を伺っている。ウォーキングという水平方向の運動と共に、屈伸という上下方向の運動も思いがけずこなすこととなった。

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